人類の悲しみの記憶を巡る旅を続けてきた観光学者の井出明さんと、都市の闇に分け入り観察を続けてきたジャーナリストの丸山ゴンザレスさん。このたび、お二人の最新作――『ダークツーリズム』(幻冬舎)と『GONZALES IN NEW YORK』(イースト・プレス)の出版を記念した対談。
最終回は、戦争や災害など、人類の悲劇はどのように後世に伝えられてきたかを語ります。
(構成:東谷好依 撮影:菊岡俊子)
戦争や災害は、当事者しか語ってはいけない?
丸山 先生は『ダークツーリズム』の第9章で、韓国の光州事件について触れていますよね。観光案内所で、おばさんが事件のあらましをこと細かに教えてくれたとか。そのおばさんのような、地域の語り部的な人というのは、やっぱり必要なんでしょうか?
井出 個人的には必要だと思いますが、日本だとなかなか難しいんですよね。というのも、日本では戦後、原爆の悲劇をどう伝えていくかというときに、被爆者の語りを重視した記憶の承継モデルを作ってしまったんです。災害復興の際にもそのモデルが使われていますね。
おかげで、学者やジャーナリストが調査結果を述べようとしても「まずここに住んでから言え」「被災者の気持ちを考えろ」と言われてしまい、議論が先に発展しなくなってしまっています。
被災地には、被災者以外にも医師・看護師・事務系公務員・警察官・消防士・学校の先生などさまざまな関係者がいますが、そういう人たちから話を聞いて、体系的に考えるということができなくなっているんです。
丸山 つまり、当時者しか語る資格がないというふうに捉えられているんですね。当事者が生きているうちはいいですけど、100年、200年先まで記憶を風化させないためには、語り継ぐ仕組みが必要になってくると思うんですよ。
井出 まさにその通りで、当事者世代が失われると、歴史の教訓にならないんです。じゃあ、どういう形で語り継げばいいか考えたときに、参考にしたいのがハンセン病の例なんですね。
ハンセン病の元患者の皆さんは、結婚される際には断種手術を受けなければなりませんでした。そのため、今、ハンセン病の聞き取り調査や資料化などを行っているのは、主として身内ではない第三者なんです。言い換えれば直接の当事者でも、その当時のステークホルダーでもない人たちが、大切な記憶を語り継ぐという意志を持ちながら、現在進行形で活動しているので、いい形で後世に残っていく可能性があるんですよね。
切り口を変えると都市の別の表情が見えてくる
丸山 今回出版した『GONZALES IN NEW YORK』を書く前、複数の人から「ニューヨークなんて皆が行っている街なのに、新しい切り口の本を出せるの?」と言われたんです。
都市は多面体であり、切り口を変えることで異なる表情が見えてくる。それを証明しようというのが、この本の裏テーマだったんですね。
先生も『ダークツーリズム』の中で、切り口を変えると全く違って見える観光地の姿について書かれていますよね。これまで訪れた場所で、特別印象に残っている場所はありますか?
井出 北海道のある島を訪れたときのことは、強く印象に残っていますね。そこの町議会というのは、長いこと無投票で議員が決まっていたんです。でも、あるとき立候補者が増えて、1人だけ落選することになったんですよ。落選したのは、共産党の方で長年議席を持たれていました。地域の功労者でもあるので、その方に名誉職的なポストに就いてもらおうということで、結局「観光協会会長」という役職に落ち着きました。
私はその方に観光案内をしていただいたんですが……もともと野党議員として町長を追求する立場にいた方なので、町を回っていても批判のオンパレードで(笑)。「この公共事業のこの部分が良くない」とか「町政が腐敗していく」とか。あんな面白い観光案内を体験したのは初めてでしたね。
丸山 なるほど(笑)。批判という形であれ、地域の陰の側面を教えてくれる人がいるというのは、実は大事なことかもしれませんね。地域の暗部を隠すことで、場合によってはその話がひとり歩きして、オカルト方面に走ることがあるじゃないですか。
井出 確かに、心霊スポットとして有名になると、無軌道に踏み荒らされてしまうという懸念が生じますね。ただその一方で、オカルトからいい方向に戻ったケースもあるんですよ。
例えば、私が住んでいる金沢で幽霊が出ると噂されていた場所を調べてみたところ、かつてそこで隠れキリシタンの処刑が行われていたとわかったとか……。公にはできなかった庶民の哀しみが、幽霊潭の中にけっこう残るんです。そう考えると、幽霊潭も記憶の承継のひとつの形ですね。そこから歴史を掘り起こしていくことを、私たち学者はしていかなければならないなと思います。
観光客が新たな語り部になるダークツーリズムの可能性
丸山 僕は考古学出身なので「この建物は500年後、1000年後に遺跡になっているのかな」と考えながら街を歩くことがあるんです。先生は、さまざまな土地を旅していて、将来的にダークツーリズムの対象となり得るものを探すことはありますか?
例えばドバイなどは、街に注がれているエネルギーが止まった瞬間に寂れていくんじゃないかとか……。
井出 ドバイは、ダークツーリズムの対象となり得る典型的な都市ですよね。バングラデシュやインドの労働力搾取によって成り立っている街ですから。あそこに行って、楽しいと思っている人がいたら、かなり無邪気なのではないかと(笑)。
丸山 僕は、東京のタワーマンション群が、将来的にダークツーリズムの対象になり得ると思っているんです。取り壊すことはできるのか、どのくらいお金がかかるのか、何か他のものに転用できるのか……。そういうことを考えたときに、巨大な廃墟として残る未来も想像できてしまうんですよ。
井出 面白い見方ですね。確かに今の日本には、結果的に残ってしまった構造物というのが、けっこうある気がします。例えば、軍艦島で人気のスポットとなっている昭和30年代のアパート。あれは、軍艦島が最も栄えていたときに造られたアパートで、平成まで放置されて残ってしまったものですよね。広島の原爆ドームも、当時は壊すお金がなかったために残ってしまった構造物でした。遺構として保存することが決まったのは、昭和40年代になってからです。
ダークツーリズムでは、物や構造物としてその土地の記憶が残っているというのは、重要かなと思います。虐殺の悲惨さを伝えたいなら、言葉だけではやはり弱くて、アウシュビッツの壁に残る弾丸の跡に触れてもらったほうが早いですから。
丸山 実際に物が残っていて、それを見に行く人がいる限り、その場所で起きた出来事というのは語り継がれていきますよね。パッケージツアーに組み込まれていたという理由でそれほどアウシュビッツに興味がなかった人が現場を訪れて衝撃を受けたとしたら、「アウシュビッツはこんなところでね……」と新しい語り部になってくれますから。ただし、物は失われてしまうことがあるので、記憶として広く分配していくことも、やはり必要だと思います。
井出 ダークツーリズムの価値というのは、まさにその「広く分配していく」という点にありますね。
丸山 そうですね。いまはダークツーリズムの黎明期であり、批判も多くありますが「ダークツーリズムってそんな扱いだったの?」といわれる時代がそのうちくると思います。
そういえば、最近ネットフリックスで放送されている「Dark Tourist」というドキュメンタリーが注目されているそうですね。日本編もあってその部分の取り扱いで議論も呼んでいるようです。ちなみに日本では「世界の"現実"旅行」という微妙な邦題が付けられていますが……。
井出 「Dark Tourist」というタイトルをそのまま使っていないんですね。
丸山 この邦題を見ると、いまの日本におけるダークツーリズムの認知度がわかりますよね。これから10年後、ダークツーリズムという言葉がどこまで浸透しているか、非常に楽しみです。
(終わり)
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<金沢と新潟で井出明さんトークイベント開催>
「ダークツーリズム~世界と北陸 悲しみの記憶を巡る旅」
会場:石引パブリック(石川県金沢市石引2丁目8-2 山下ビル1F)
日時:2018年10月21日(日)開場15時/開演15時30分
入場料:1000円(1ドリンク付)
詳細・予約のページ
井出明「ダークツーリズム入門」
会場:北書店(新潟県新潟市中央区医学町通2番町10-1 ダイアパレス)
日時:2018年10月28日(日)
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