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猫を撫でて一日終わる

2018.10.13 公開 ポスト

最近猫が冷たいpha

 こんにちはー、と言いながら部屋に入ると誰もいなかったので、部屋の隅の椅子の上の、猫がいつも居場所にしているところに向かう。いた。よく眠っている。眠っている猫の頭を撫でると猫は眠そうに目を少しだけ開けて、僕の顔を見て撫でているのが誰かを確認すると、ニャ、と短く小さく鳴いて、また目を閉じた。

 これが昔だったらな、と思う。僕の足音を聞いただけで駆け寄ってきて、足元にまとわりつきながらニャーニャーニャーニャーとうっとうしいくらいに何かを訴えかけてきたのに。猫が最近明らかに昔より冷たくなっている。理由は簡単で、一緒に住まなくなったからだ。

 前にこのシェアハウスに住んでいたときに猫を飼っていたのだけど、いろいろあって近くにある別の家に引っ越すことになって、そして新しい方の家がペット禁止だったので前の家に置いてきてしまったのだ。それは一時的な処置のつもりで猫と一緒に暮らせる物件にすぐ移る予定だったのだけど、それがうまく行かずぐだぐだになってしまい、結局もう一年くらい猫と離れて住んでいる。

 近くだからちょくちょく行って会えばよいだろうと最初は思っていたのだけど、猫の良さって、ときどき会いに行くというのでわかるものじゃないんだよな。ふとしたときにいつも側で寝ているとか、何かやってるときに邪魔しに来るとかそういうのが猫の良さだ。一緒に暮らしていないと見られない猫の表情というのがたくさんある。

 離れて暮らす期間が長くなるにつれて、猫の親密度がだんだん下がっているのを如実に感じる。会いに行っても「誰? ああ、そんな人もいましたね。で、何しに来たの?」みたいな顔をして他の人の膝の上に乗っていたりする。

 面倒臭い。なぜ、会ってなくてもずっと同じように、僕のことを好きでいてくれないのだろうか。定期的に交流をしないと親密度が下がるということに納得がいっていない。

 猫だけでなく人付き合いでも同じことを感じる。あのときあんなに何でも話し合っていた友人とも気がつくと何年も会っていなくて、懐かしく思う気持ちもあるのだけど、用もないのにわざわざ会うのも面倒だな、とか思っているうちに、いつの間にか疎遠になっているというパターンが多い。あの人もあの人も別に嫌いになったわけではないのにな。この世界は、親密度ゲージを一定に保つには定期的に連絡をしたり顔を見たりしないといけないというシステムになっているらしい。

 昔よく行ってたお店やよく参加してた集まりに行かなくなるということもよくあるけれど、たまに顔を出してみると「久しぶり、もっと遊びに来てよ」とか言われてしまい、そういうときに「いや、最近忙しくて……」って本当は全然忙しくないのに言い訳してしまうのも気まずい。

 あの店には三か月くらい行ってないなと思って、実際に日付を確認すると前に行ったのは半年前だったりするし、あの人には一年くらい会ってないなと思ったら、前に会ったのは三年前だったりする。時間の流れがどこかで歪んでいる。

 定期的に会わなくても、全ての仲が良かった人と、一番仲が良かった頃のままいられたらいいのにな。でも世の中はそうなっていないらしい。

 そもそも、人間関係に限らず、時間とともに減衰するものが全て嫌だという気持ちもある。例えば、いつの間にか服が擦り切れてヨレヨレになってるとか、靴の底が剥がれて履けなくなってるとか、昔からそういうのにすごく納得がいかない。全ての持ち物は半永久的に使えてほしい。なんだか毎週毎週何かを買い換えなきゃとか補充しなきゃと思ってる気がするんだけど、そんなどうでもいいことに思考のリソースを取られたくない。

 別に何もしていないのに、気づいたら髪が伸びすぎているから切らなきゃいけないし、爪もとがっているから切らないとだし、靴は壊れるし鞄は穴が開くし、シャンプーはまたなくなってるし、猫は冷たくなるし昔の仲間はみんなどこかに行ってしまったし、こないだまで夏だと思ってたらもう冬が来るし、駅前にできた新しい店は一度も行かないままに潰れて別の店になったし、なんだかよくわからないまま平成も終わって別の何かになるし、時間の流れが速すぎる、といつもいつも思っている。いつも時間の流れに置いていかれているような気がする。この世界は自分には速すぎる。

 猫はそんなこと考えないんだろうな、と、再び眠り始めた猫の顔を見ながら考える。猫は自分の小さな世界で静かに生きているだけだから、時間の流れが速いとも遅いとも考えないだろう。ただあるがままをそのまま受け入れている。猫から人間を見ると、いつもよくわからないことでバタバタしてるけどもっとちょっと落ち着けよ、ゆっくり部屋でごろごろしていればいいじゃん、という風に思うだろう。

 本当なら、猫のほうが人間より寿命が短いから時間の流れが速いはずなのにな。僕がひとつ歳を取るたび猫は人間の五歳分くらい老いてるはずだ。でも猫は余計なことを考えず、ただ時間をそのまま生きて、寿命が来たら死ぬだけだ。この猫はあと何年生きてどんな時間を過ごすのだろうか。そしてこの猫が死ぬとき自分は何をしているのだろうか。

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猫を撫でて一日終わる

人と話すのが苦手だ。ご飯を食べるのが面倒だ。少しだけ人とずれながら、それでも小さな幸福を手にしたっていいじゃないか。自分サイズの生き方の記録。

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pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職につかず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。Xアカウント:@pha

 

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