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モヤモヤするあの人

2018.10.31 公開 ポスト

前編

日常のモヤモヤと哲学者のモヤモヤはつながっている斎藤哲也/宮崎智之

新しい価値観と古い価値観が衝突する時代に感じるモヤモヤ。これは現代のことだけではありません。ギリシア時代から人間は同じようにモヤモヤを抱いてきたのです。
私たちは、そんな割り切れない気持ちとどう付き合っていけばいいのでしょうか? 
『試験に出る哲学』の斎藤哲也さんと『モヤモヤするあの人』の宮崎智之さんが、哲学を参照しながら語り合いました。

難しい西洋哲学を高校生レベルから学び直す

宮崎 今日は、ライター、編集者の大先輩である斎藤さんとの対談ということで緊張しているのですが、同じTBSラジオ「文化系トークラジオLife」の出演者としてよく顔を合わせている仲でもありますので、胸を借りる気持ちでざっくばらんにお話できればと思います。

斎藤 こちらこそよろしくお願いします。考えてみると、対談って生まれて初めてなので、ドキドキしております。

宮崎 それはすごく意外です。そういえば、9月に出た『試験に出る哲学』も一般読者向けの単著としては初めてなんですよね。

斎藤 そうなんです。本が出た直後は、どんな感想が書かれるかすごく不安でした。宮崎くんの本じゃないけれど、『試験に出る哲学』ってタイトル自体、モヤモヤするじゃないですか。哲学とセンター試験って普通に考えれば水と油ですよ。「マークシート式の試験で哲学を勉強するなんて何事だ!」とお叱りを受けることを危惧していたんですが、今のところ好意的な感想が多くてほっとしています。

宮崎 僕は、『モヤモヤするあの人』という本を出しているだけあって、日々モヤモヤしていているんですね。だから、なんとかそのモヤモヤを解消したい、世界の真実を知りたいということで、ちょこちょこ哲学書や入門書を読んでは、感銘を受けたり、途中で挫折したりを繰り返していました。

それで、今日の対談に向けて家の本棚をガサゴソしてみたところ、斎藤さんの本と同じNHK出版の「哲学のエッセンス」という入門シリーズをけっこう買っていました。たぶん、探せばもっと出てくるのではないかと思います。でも、なぜかドゥルーズの入門書だけ、2冊あるんですね。しかも、副題を見てみると、「解けない問いを生きる」とある。これはもう、一生モヤモヤしていくしかないのかな、と(笑)。

斎藤 僕もそのシリーズの本はたくさん持っています。入不二基義さんの『ウィトゲンシュタイン』や永井均さんの『西田幾多郎』は、いまでも読み返すほど好きな本です。それはそうと、宮崎くんの本も「解けない問い」がいっぱい詰まってます。電車で化粧をすることの是非とか、焼き鳥の串を抜くのは無粋かどうかとか(笑)。簡単に解けないからこそモヤモヤするんでしょうね。

ソクラテス、デカルトも時代にモヤモヤしていた

宮崎 現代は変化の激しい時代だと思います。恋愛観、家族観、働き方など、人々の意識は急速に変化していますし、テクノロジーも日進月歩です。それこそ、僕の本で取り上げた「嫌いな上司からのSNSの友達申請は承認すべきか」「休日の仕事のメールにも返信すべきか」といった問題には、日々頭を悩ませている人が多いでしょう。そういう些細なモヤモヤをスルーせずに、しっかりと言語化することによって、現代社会と自分との距離が見えてくるのだという想いで、本書を執筆しました。

斎藤 新しい価値観と古い価値観が衝突する時代にモヤモヤが発生しやすいということですよね。哲学の歴史を見ても、価値観が大きく転換する時代と、哲学者が活躍する時代はけっこう重なっています。たとえば、デカルトが生きた時代はちょうど30年戦争があり、カトリックとプロテスタントが血みどろの戦争を繰り広げていた。つまり、キリスト教が二つにわかれて戦っているわけです。それだけでもモヤモヤするんだけど、その時代はまたケプラーやガリレオなどによる自然科学の新しい発見があり、世の中の価値観が大きく揺らいでいた。

そんなモヤモヤが溢れていた時代のなかで、デカルトは真理を求めて学校に入るんですが、卒業するころになっても疑問は深まるばかり。人文系の学問に愛想を尽かして旅に出てしまう(笑)

宮崎 余計にモヤモヤしちゃったわけですね(笑)。

斎藤 それで自分で一から哲学を作らなければいけないと考え、あらゆるモヤモヤを疑ってみようというところからスタートした。そういう意味でデカルトは、キング・オブ・モヤモヤ男子なんですよ。

宮崎 ソクラテスもそうですよね。古代のアテナイでソフィストたちによる弁論テクニックの教示が商売になっている状況にモヤモヤして対立し、最後には死刑が宣告されることになってしまった。

斎藤 ソクラテスの言動はプラトンのフィルターを通じてのものだから、どこまでが本当かどうかはわからないんですけど、きっとモヤモヤしていたでしょうね。そもそも、ソクラテスは一番の知恵者だという神託にもモヤモヤし、自分より賢い人間を探そうと問答に出かけるような人物でしたから。

でも、みんな知ったかぶっているだけだった。現代にソクラテスがいれば、「セルフブランディングせよ!」といった自己啓発本にもモヤモヤし、その著者のところにおもむいて問答しているでしょうね。そもそもセルフとは何なのかって。

宮崎 「人を言いくるめて、自分をよく見せよう」みたいな言説に抵抗していた、と。セルフブランディング的風潮には違和感を覚えている人は多いですし、今も昔もモヤモヤの種は変わらないということでしょう。斎藤さんの本を読むと、古代から近代まで、偉大な哲学者もまたモヤモヤと格闘し続けてきたことがよくわかります。

なぜ、ゴルフをしないと「変な人」になってしまうのか

斎藤 僕が宮崎くんの本で一番面白いと思った文章は、「前歯がないブルース」というエッセイです。

宮崎 「なぜ、前歯の差し歯が取れただけなのに、アウトローになった気分になってしまうのか」というモヤモヤのエッセイですね。エッセイにも書きましたが、僕の前歯の差し歯は本当によく取れるんです。今日は前歯がついているので、こうして対談の場にも出てくることができたんですけど(笑)。

斎藤 もちろん他のコラムも面白いんだけど、途中に挟まっているこのエッセイは、筆致が伸び伸びとしていて、しかも洞察に深みがあって、抜群に面白かったです。宮崎くんは、実はエッセイスト体質なんだなと思いました。

宮崎 ありがとうございます。最近書いた蓄膿症のエッセイも、たくさんの反響をいただきました。あと、本の巻末に収録されている「救急車に乗った僕はアゴが少し伸びていた」というエッセイにも、多くの人から感想が寄せられました。

斎藤 前歯がないエッセイでは、「前歯が取れた瞬間に人は、『前歯がない物語』を生きていかなければならない」と書いてあるじゃないですか。しかも、それは金髪やタトゥーとは違うんだ、と。主体的に選び取ったわけではないのに、前歯がないだけで、ある種のメッセージが発生してしまう。

これを読んで思い出したのが、さきほども名前をあげた哲学者の入不二基義さんが書いた「無関係という関係」というエッセイです。このエッセイは「酒好きの人」と「酒を飲めない人」との関係を考察するところから始まります。ポイントは、「酒を飲む/飲めない」という区分は、酒を飲む側から投げかけられるというところです。なぜなら、酒が飲めるかどうかは、酒を飲む人が焦点にすることですから。

ということは、「こんなに美味しいものを飲めないなんて、お酒を飲めない人は、残念な人生だね」といったような言葉は、「酒を飲めない人」にとって、本当に大きなお世話なわけですよ(笑)。だって、もともとお酒を飲まないことが当たり前なんですから。にもかかわらず、「酒を飲む人」と関係を持ったばかりに、「酒を飲めない人」にされてしまうし、酒を飲めない物語を生きていかなければならない。

宮崎 体を壊して断酒中の僕からしてみれば、「酒を飲める人」のほうが欠落を抱えているケースが多いと思いますけどね(笑)。その欠落を埋めるために飲む人も、なかにはいますから。それに、人類にとってお酒がないのが、本当はプレーンな状態だったわけです。しかし、今の社会は「酒を飲める人」が多数を占めているので、「酒を飲めない人」が欠落を抱えているように思われてしまう。

斎藤 そうですね。「酒を飲めない人」は、「酒を飲める人」と出会わなければ、自分の欠落を感じることもなかった。前歯の話も少し似ていて、「前歯がない物語」も、前歯のある人たちの視線を経由して背負わされるものですよね。

宮崎 縄文時代とかなら、前歯がなくても「変な人」ではなかったと思います。前歯がないことぐらい、当たり前だったでしょうし。でも今の時代なら、なんらかの手当ては基本的に可能だし、金髪やタトゥーと違って、あえて前歯を抜く人なんていないでしょう。だから、ただ単に前歯の差し歯が抜けただけなのに、自分では意図しないようなメッセージを発してしまうことになる。なぜだか、社会にコミットできないような気持ちになるんです。

斎藤 そういうことって、他にもたくさんあると思います。たとえば、ゴルフがそうですよね。「営業職なのに、ゴルフをしない」ということが、企業の組織文化に対するある種のメッセージになってしまう。

宮崎 なるほど、「ゴルフをしない人」になってしまいますよね。前歯にしろ、酒にしろ、ゴルフにしろ、欠落の物語を抱えさせられることになる。

斎藤 これって、けっこう根深い問題をはらんでいると思うんですよ。そういった場面で「寛容」であるということは、「酒を飲む人」が「酒を飲めない人」に対して、「それでもいいよ」という方向で生じる態度のことでしょう。酒を飲めないなんて不幸だね、と言うよりはマシかもしれないけれど、酒を飲めないという欠落が埋まることはない。それに比べて、関係がそもそも生じない「無関係」は、欠落の物語を背負う必要がないわけですよね。

哲学者の千葉雅也さんは『動きすぎてはいけない』という本のなかで、つながりすぎる現代社会のありようを「接続過剰」と呼んでいますが、それは関係過剰の社会でもある。僕は入不二さんのエッセイを読んで、関係することの後戻りできない怖さみたいなものを感じました。

宮崎 「寛容」よりも、「無関係」のほうが、欠落を感じることがないから楽かもしれない、と。現代の分断について考えるうえでも、とても示唆的ですね。なんか、僕のくだらないエッセイが、哲学的なものに思えてきました(笑)。

(中編につづく。11月2日公開予定です)


【お知らせ】
斎藤哲也さんと宮崎智之さんが出演しているTBSラジオ「文化系トークラジオLife」(パーソナリティー:鈴木謙介さん)の次回放送は、

11月4日25:00〜28:00
「平成スタイル~そしてみんなユニクロを着るようになった」

「文化系トークラジオ Life」は、TBSラジオAM954、FM90.5にて、偶数月の第4日曜日25時~生放送(radikoアプリでスマートフォンでも聴取可能)。
今回は変則日程での放送になります。ラジオクラウドで、予告編や過去分の放送が聴くことができます。

関連書籍

宮崎智之『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』

どうにもしっくりこない人がいる。スーツ姿にリュックで出社するあの人、職場でノンアルコールビールを飲むあの人、恋人を「相方」と呼ぶあの人、休日に仕事メールを送ってくるあの人、彼氏じゃないのに〝彼氏面〟するあの人……。古い常識と新しい常識が入り混じる時代の「ふつう」とは? スッキリとタメになる、現代を生き抜くための必読書。

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モヤモヤするあの人

文庫「モヤモヤするあの人」の発売を記念したコラム

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斎藤哲也

1971年生まれ。編集者・ライター。東京大学哲学科卒業。『哲学用語図鑑』(田中正人・プレジデント社)、『現代思想入門』(仲正昌樹ほか・PHP)などを編集。『おとなの教養』(池上彰・NHK出版新書)、『知の読書術』(佐藤優・集英社インターナショナル)『世界はこのままイスラーム化するのか』(島田裕巳×中田考、幻冬舎)ほか多数の本の取材・構成を手がける。著書・共著に『読解評論文キーワード』(筑摩書房)、『使える新書』(WAVE出版)など。TBSラジオ「文化系トークラジオ Life」出演中。

宮崎智之

フリーライター。1982年生まれ。東京都出身。地域紙記者、編集プロダクションなどを経てフリーに。日常生活の違和感を綴ったエッセイを、雑誌、Webメディアなどに寄稿している。著書に『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。
Twitter: @miyazakid

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