いま重力研究は、ニュートン、アインシュタインに続き、「第三の黄金期」を迎えている――。物理学者、大栗博司さんの著書『重力とは何か』は、その歴史から最前線の研究まで、わかりやすく解説。物理や数学が苦手な人でも気軽に読める、格好の入門書となっています。本庶佑さんのノーベル賞受賞で、改めて科学の世界に注目が集まるいま、ぜひ読んでおきたい一冊。本書から一部を抜粋してお届けします。
重力も磁力も作用は同じ
地球が重力でものを引きつける現象は、磁石が磁気力で鉄を引きつける現象と同様、自然界に存在する「力」によって生じます。でも、この二つの現象を同列に並べて比較することを意外に感じた人もいるのではないでしょうか。重力がありふれた日常の現象であるのに対して、磁石の力には何か「特殊」な現象のようなイメージがあるからです。
たとえば小さな子どもに、磁石がくっついたり離れたりするのを見せると、おもしろがってそれで遊び始めます。これも、それが特別なことだと感じるからでしょう。ボールが床に落ちるのを見せても、子どもはあまり喜びません。
子どもが磁石をおもしろがるのは、「離れているのに物体が動く」からです。ふつう、ものを動かそうと思ったら、手で押すにしろ、歯車を使うにしろ、直に接触して力を伝えなければなりません。ところが、磁石は離れたままものを動かすことができるので、子どもにはまるで魔法か手品のように感じられるわけです。
しかし実際には、重力も「離れている物体を動かしている」という点で磁力と変わりません。いまはテレビのリモコンなどを誰でも当たり前に使っているので、こうした「遠隔力」を不思議だと感じる人はあまりいませんが、昔の人々にとって、重力が接触なしに伝わるという考え方は容易には受け入れられないものでした。
ニュートンの登場以前から、物体が落ちる現象を「遠隔力」で説明しようとする人々はいましたが、大半の人々は「そんなバカな」と思い、それを荒唐無稽な珍説として扱っていたのです。磁石の力は神秘的なものとして例外的に受け入れられても、自分たちの日常を支配している重力までが「遠隔力」だと認めることには抵抗があったのでしょう。
そんな時代によく引き合いに出されたのが、「武器軟膏」という薬の話でした。これは離れていても効く軟膏のことで、たとえば戦争で誰かが怪我をしたとき、その傷口ではなく、傷つけた武器のほうに軟膏を塗ると怪我が治るという代物です。もちろん迷信のようなもので、そんな薬は実在しません。ですから、重力が遠隔力だと主張すると「そんなものは武器軟膏と同じではないか。バカバカしい」と反論されたわけです。
重力は「オカルト」だった?
ちなみに『薔薇の名前』で有名なイタリアの作家ウンベルト・エーコの小説『前日島』には、大航海時代に、これを利用して時間を知る話が描かれています。当時は、航海中にどうやって時間を正確に計るかが重要な問題でした。時間さえわかれば、太陽や星の位置から経度を割り出し、自分たちが広い海のどこにいるのかがわかるからです。
そこで小説の登場人物は、傷をつけた犬を船に乗せ、その血のついた包帯を港に残しました。港にいる人は毎日正午になると、その包帯に薬を塗ります。すると遠く離れたところにいる犬が痛がってキャンキャンと吠えるので、航海中でも時間がわかる。犬の鳴き声が「時報」になるというわけです。
重力の遠隔作用は、こういうオカルトめいた薬と同じくらい信用されませんでした。たしかに、常識的に考えれば武器軟膏などあり得ないのですから、その理屈でいけば、リンゴが木から落ちる現象や月が地球のまわりを回る現象を遠隔力で説明するのもきわめて非常識なことになります。
しかし磁力の遠隔作用は誰も否定できないのですから、重力についてもそれがまったくあり得ないとは断言できません。そのため、磁力への理解が進むにつれて、重力の遠隔作用も信じられるようになりました。毎日出版文化賞や大佛次郎賞などを受賞した山本義隆の『磁力と重力の発見』(みすず書房)には、磁力の理解がニュートンの万有引力の発見につながった背景が描かれていますので、興味のある方にはご一読をお薦めします。
ただしその後、自然界で働く「力」の研究が進んだ結果、電磁気力といえども離れたもののあいだに瞬間的に力が伝わるわけではないことがわかりました。これものちほど詳しく説明しますが、磁石が鉄を引き寄せるとき、両者のあいだでは力を伝える粒子が行き来しています。これは、重力でも同じことです。まだ発見されてはいませんが、リンゴと地面、月と地球のあいだでも、やはり目に見えない粒子が重力を伝えていると考えられています。