セックス、ギャンブル、アルコール、オンラインゲーム……人間はなぜ、これらをやめることができないのか? 鍵を握るのが、脳内物質「ドーパミン」だ。テレビなどでもおなじみの脳科学者、中野信子先生の『脳内麻薬――人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』は、そんな不思議な脳のしくみに迫った一冊。ドーパミンの働きから、そのコントロール法まで、知的好奇心をくすぐる本書の一部を公開します。
「アルコール依存症」の恐怖
日本のアルコール依存症は230万人とも300万人ともいわれていますが、その中で入院して治療を受けているのは年間1万数千人にすぎません。つまりほとんどの依存症患者が何の治療も受けていないのです。
アルコール依存症は、その依存対象が麻薬や覚醒剤のように法律で規制されていないだけであって、薬物依存の一種であり、患者数から見て最大の依存症なのです。
この病気は「慢性(一度かかると治りにくい)」で「進行性(症状が次第に重篤になる)」の疾患であって、一度かかると完治することがほとんどなく、時には死を招くこともあります。
また、人格の変化を伴いますから家族や周囲の人々に強いストレスを与えます。治療には長期間の断酒が必要で、一見正常に回復したとしても一度の再飲酒ですぐに再発してしまう病気なのです。
アルコールすなわちエタノールの直接の作用は中枢神経に対する抑制作用です。神経の働きを弱くするわけです。なぜアルコールで酔っ払って暴れる人が多いかというと、抑制性の神経に対して抑制作用が起こるからです。つまり、アルコールは、脳のブレーキの働きをゆるめてしまうのです。
お酒を飲み始めて、血中のアルコール濃度が少しずつ上がると、衝動的な行為や、感情の抑制が利かなくなっていきます。このときうっかり、気になっている異性に過剰にベタベタしてしまったり、普段抱えているうっぷんを、上司に面と向かって言い放ってしまったりすることがあります。この時期の状態を発揚期といいます。
やがてもう少し濃度が上がると、意識や運動をコントロールしている神経も抑制され、刺激に対して反応しにくくなります。これを酩酊期といいます。
さらに濃度が上がると呼吸を含めた生命維持活動までが抑制され、ひどい場合には死に至ります(昏睡期)。
遺伝子が大きく関係していた
さて、この説明では、アルコールが脳の機能を麻痺させる、麻酔に似たような作用を持っていることはわかりますが、なぜ極端な依存症を引き起こしやすいのかについてはわかりませんね。
ジュース、紅茶、コーヒーなど、ほかにも美味しい飲み物はたくさんあります。産地名の付いた名産品や、高価な贈答品などとして売られているものもあり、中にはお酒より高価なものもあるようです。しかし紅茶やジュースの依存症というのはあまり聞きません。
お酒にも「美味しさ」があり、ワインや日本酒などの銘柄にうるさい人はたくさんいます。またビールなどでは「喉越し」の快感を訴える人も多いですね。
しかし、美味しいお酒ほど依存症になりやすいかというと、そうではありません。アルコールが依存症を招く原因は、味のせいではなく、アルコールという物質そのものの働きにあります。
実は、アルコールは味や喉越しを通して快感を与えるだけではなく、報酬系をじかに活動させるのです。
報酬系が活性化されると、ヒトが快感を覚えることはすでに述べた通りですが、前述したようにこの報酬系には、普段、GABA神経というブレーキが掛かっています。
アルコールには、このGABAを分泌するGABA神経を抑制する働きがあるのです。
つまりアルコールがほかの飲み物に比べて特に好まれるのは、味がいいからではなく「ご褒美」のブレーキを弱らせて、ドーパミンをたっぷり分泌させるからなのです。
ところで、アルコールには強い人と弱い人がいます。それはアルコールを処理する酵素を持っているか持っていないかの違いです。日本人の45パーセントほどが遺伝的にアルコールに弱く、ほとんど受け付けない人もいます。
それでは、アルコール依存症にもなりやすい人となりにくい人がいるのでしょうか。
最近、RASGRF2という遺伝子が、アルコールによるドーパミンの放出をコントロールしていることがわかってきました。
マウスの実験では、この遺伝子がないマウスはアルコールが切れても再度求めることはありませんでした。
またヒトの少年の例では、RASGRF2に変異がある少年はそうでない少年より、習慣的に飲酒をしているという事実が明らかになりました。今後、この遺伝子はアルコール依存症になりやすい遺伝子として研究が続けられていくでしょう。
* * *
この続きは幻冬舎新書『脳内麻薬――人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』をご覧ください。