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猫を撫でて一日終わる

2019.05.28 公開 ポスト

最終回

猫を撫でて一日終わるpha

いつの間にか眠ってしまっていたようだ。窓の外はもう暗くなっている。

僕が目を覚ましたのに気づいた猫が、ニャ、と短く鳴いて、こちらに近づいてきた。僕はふとんを押しのけて猫が入ってこれるスペースを作ってやった。猫はそこにやってきて、ゴロン、と横になる。どうしたんだ。撫でてほしいのか? 首筋を優しく撫でてやると、猫はゴロゴロと喉を鳴らし始めた。よしよし。今日もかわいいな。

ふと思いついて、ゴロゴロと鳴り続けている猫の喉に指を回してみた。ふさふさした毛に覆われていて温かいけれど、その中には固い骨や気管が通っているのがわかる。その骨や気管のゴリッとした感触が、昔のある体験を思い出させた。

 

 

それは大学の学園祭のときの記憶だ。友達と一緒にぶらぶらといろんなサークルの出店を見て回っていると、キャンパスの片隅で農業系のサークルが変わった出し物をしているのを見つけた。それは、鶏を解体して調理して食べる、というものだ。カゴの中に鶏が何羽かいて、コッコッコッ、とのんきに鳴いていた。

鶏かわいいなー、と思ってなんとなく見ていたのだけど、そうしたら、そのサークルの人に話しかけられた。

「やってみますか」

「えっ」

やれよやれよ、と一緒にいた友達にそそのかされたのもあって、やることになった。あまり血とか殺すのとかは得意じゃないんだけど、これも一つの経験かもしれないと思って。一羽の鶏が連れてこられる。

「首を切り落としちゃってください。ちょっとゴリッとするけど、力を入れると切れますから」

といって包丁を渡された。

 

鶏の首を持つ。羽毛がふさふさしている。今こいつは生きているけれど、僕がこの生命を奪うのか。そんなのかわいそうだ、と思うけれど、でも自分はいつも鶏肉を食べてるわけだしな。いつもは誰かに殺してもらっているに過ぎない。

鶏の目を見たけれど何も感情を感じ取れない。こいつは自分が今から殺されることをまだあまりわかってないような気がする。

あまり考えすぎるとできなくなりそうなので、何も考えずにやることにする。包丁の刃に力を入れて、嫌な感触を我慢しながら、押したり、引いたり、また押したり、引いたりを何回か繰り返すと、頭部と体が切り離された。やった。鶏は一言も悲鳴を挙げなかった。

頭を失った胴体はまだバタバタと動いている。これはどれくらい動き続けるのだろう。そういえば首を切り落とされたあとも何年も生き続けた鶏というのがアメリカにいたな。

スタッフの人が鶏の足を縛って、逆さに吊るした。血を抜くためだ。切り落とされた首の部分から真下に血が滴り落ち続ける。

逆さに吊られた二本の足の付け根のあたりには、ピンク色の穴が開いていて、ひくひく、と震えていた。鶏は肛門と生殖器が一つになっているというから、それだろう。そこにゆっくりと右手の人差し指を差し込んでみると、あたたかくてぬめぬめとした粘膜が指にまとわりついてきて、とても気持ちよかった。

 

この社会では鶏の首を切ることは許されているけれど、猫の首を切ると人でなしあつかいされる。考えてみると不思議なことだ。鶏だってまあまあかわいいのに。猫は、僕がそんな物騒なことを考えてるなんて思いもせずに、無防備に首を僕にゆだねて喉を鳴らし続けている。

猫はかわいい。そして人になつく。僕はこの猫のことが好きだし、猫も僕のことを好きだ。気持ちが通じ合っている実感があるし、それはとてもうれしいことだ。だけどそれは猫がそういうふうに作られているだけでもある、ということをときどき考える。

人間は古来から猫を飼っていた。それは愛玩用というだけではなく、ネズミを捕ってくれるからという実用的な用途もあったらしいけれど、現代ではその食料庫の番人としての性能はほとんど失われ、ただのかわいくてもふもふした生き物として愛されている。

なぜ猫はこんなに人になついて、こんなにかわいいのか。

その答えは簡単だ。人間がそういう風にしたのだ。

そもそも野生生物であった猫の中から、人になつきやすい性格の個体が、何かの拍子で人に飼われることになったのだろう。

そして、人に飼われている猫の中でも、よりなつきやすい個体はより人にかわいがられて大事にされて長生きして繁殖した。あまりなつかない個体はあまり大事にされなくてすぐに死んでしまったりしただろう。その繰り返しによって、人になつきやすい性質を持つ遺伝子だけが残るようになったのだ。

かわいいという点についても同じだ。人の美意識でかわいいと感じられる個体は大事にされるので長生きして繁殖した。かわいくない個体はあまり大事にされないのであまり増えなかった。そうやって全ての猫はかわいくなった。

そんなゆるやかな遺伝子操作が数千年間にわたって繰り返されてきた。いわば猫というのは人工物みたいなものだ。

猫は遺伝子的にかわいがりやすくなっているというだけではなく、愛玩に向くように人は猫にさまざまな処置をする。その代表的なものは避妊・去勢手術だ。

避妊・去勢をしない猫というのは非常に飼いにくい。発情期になると大きい声で鳴き続けたり、部屋から脱走しようとしたり、そこらじゅうにおしっこをしたりして、ひたすら交尾相手を求め続ける。そして交尾をすると、一度に3~5匹の子猫を生み、それを年に何度も繰り返す。生まれた子猫を全てきちんと育てるのは猫にとっても人にとっても大変だ。

なので大体の場合、飼い猫に対しては避妊・去勢手術をする。手術をすることで、人間にとって飼いやすくなるし、猫も交尾のストレスから解放されるし、生殖器系の病気になるリスクも減るので長生きします、ということが言われている。

実際そうなのだろう。避妊・去勢手術をせずに猫を飼うのは無謀だ。しかし、この子らは一度もセックスをしないままでに死ぬのだな、それはちょっと寂しくないだろうか、ということもときどき思ってしまう。

もし自分がそういう状況で飼われていたらどうだろう。去勢をされて一生家の中に閉じ込められて、毎日同じ餌を食べさせられる。絶対嫌だな。生きてる意味がないなと思う。自分が猫にしているのはそういうことだ。

猫だって部屋の中に閉じ込められて飼われるのではなく、そこら中を駆け回ってスズメやネズミを狩ったり、好きに交尾して増えまくったりしたほうが幸せなのかもしれない。しかし、飼い猫は十五年くらい生きるのに対して、野良猫は三、四年で死んでしまう、と聞く。猫に自由に交尾をさせたとしたら、大量の仔猫が生まれてくるだろうけど、そのうち結構な数の仔猫は親猫も面倒が見きれずに死んでしまったりするだろう。

人間の目から見ると、飼われている猫達は不自由に見えるけれど、生まれてから一度も外に出たことがなく、一度も豪華な食事を食べたことがなく、一度もセックスをしたことがなければ、それが普通だと思って特に不満もないのかもしれない。

僕らはときどき「猫のように生きたい」なんてふざけて口にしたりするけれど、実際に猫のように飼われるとしたら退屈極まりなくて死んでしまうだろう。人間は同じ状況が続くことに耐えられなくて、常に新しいものや今より進んだものを求めてしまう。だから人類は、ただ生き延びることだけが目的だとしたら不必要であるような、こんなに大きな文明を作り上げてしまったのだ。

僕は人間だから、生きているうちは部屋の外に出かけていったりして、いろいろとやっていかないといけない。ときどき疲れたら、こうやって部屋の中で猫を撫でて精神を回復しながら。

猫に向かって短く、ニャ、と呼びかけると、猫はこっちを見て、ニャ、と答えた。

今日は一日何もしなかったけど、明日はちょっとだけ何かしてみようかな。

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猫を撫でて一日終わる

人と話すのが苦手だ。ご飯を食べるのが面倒だ。少しだけ人とずれながら、それでも小さな幸福を手にしたっていいじゃないか。自分サイズの生き方の記録。

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pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職につかず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。Xアカウント:@pha

 

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