「『春と修羅』を作曲する時、原作を読んだ多くの人がどんな楽曲なんだろう、と心待ちにしていたと思います。すごいプレッシャーだったと思うのですが、作曲する上で大変でしたか?」
それはNHKのテレビの番組に出演した時に、女優の松岡茉優さんから訊かれたことだった。
僕はその時はポーランドのワルシャワにいたのでオンラインでの(実はiPhoneを使っての)出演だった。
僕は映画が大好きなこともあって、松岡さんが出演なさっている作品はわりにたくさん観ていたので松岡さんの仕事は知っていたけど、実際に話すのは初めて。
若いのに話の受け答えがすごく知的で、相当頭のいい人なんだな、と即座に思った。
松岡さんにこの質問をされるまで、僕は一回もそんなことを考えたことがなかった。
僕は、たいがいの自分が作る音楽について、実際、僕以外の人にはどうやって聞こえているんだろう、どう感じられているんだろう、と考えたことがない。
僕は自分の作品での作曲者であるけれど、同時に自分の曲のリスナーでもある。
僕の耳にうまく聞こえていたら、他の人もそう聞こえてるんだろうな。
そう思わない人はその人の問題だし……僕は自然に思ってしまう。
なんて言うと、僕を長く知る妻は「そういう人だよね、あんたは」という感じで目を回す。
でも松岡さんの質問は当を得ていて、おそらく普通はそういうプレッシャーを感じるものなのかもしれない。
まったく気にしない僕も、今回は一人だけ反応を気にした人がいた。それは原作者の恩田陸さんだ。
なので、いつもよりは聞こえ方を気にした状態ではあった。
映画を制作した東宝の人たちに聞くと、映画「蜜蜂と遠雷」は今、大ヒット中らしい。
僕もちょこっと関わっただけ、とはいえ、それは本当に嬉しい。
11月の終わりに日本にいくので、それまで上演されてたら僕も映画館で観られるのにな、と思う。
今から考えると、「春と修羅」の原作の描写は、本当の意味の「現代音楽」だった。
まさに現代の「現代音楽」。
というのも今から20年前なら、「現代音楽」と言ったら、本当に耳を塞ぐような激しいもの(それでいて素晴らしい音楽も多々ある)、ピアノの鍵盤を一切触らず、ピアノの内部だけを触るピアノ曲(これは1970年代に流行った)、拳骨や肘で鍵盤を叩いたりするもの、など多かったと思う。
でも今の世界的な現代音楽の流れはもうそんな感じでもない。
恩田さんが書いた原作『蜜蜂と遠雷』の中の曲「春と修羅」描写には「無調」とある。
それに加えて、オクターヴが連発、安心感、曲も至ってシンプルに展開、ちょっと物悲しく、とあって、さらに「メロディ」という言葉が出てくる。
ある意味、「超・現代」な現代音楽な描写だと思う。
「現代」「音楽」なので、現代、まさに今の音楽。
世界中のいろんな作曲家、いろんな年代の作曲家が今、作曲しており、その時代の潮流ができてくる。
だから、20年前と今を較べると大きく「今の音楽」「現代音楽」の響きも変わってくる。
音楽の歴史上、音楽のスタイルは常に変わっているから、後から歴史を眺めて「時代」というのが見えてくるわけで。
20年前の話をしていて思い出したけど、最近、僕が20年近く前に書いた作品を「是非演奏したい!」と複数の若い音楽家たちが言ってきている。
僕もその楽譜を久しぶりに見直している。
そのまま演奏してもらってもいいものか、それとも書き直したほうがいいのか。
かなり悩む。
なんだか別人が書いたかのような気がする僕の20代前半の作品なのだ。
その楽譜を見ていると、僕が今書いている音楽より、もっと厳しい、というか、部分的に(おそらく巷で言われる)「いかにも現代音楽」という要素のある音楽。
でも当時は現代音楽と言ったらそういう感じの音楽がコンサートでも演奏されていた。
もしかするとまだご存命の高齢の作曲家の中には、今なおそうした感じの音楽を2019年も書いている人がいるのかもしれない。
もちろんその方の年代の作風なのだからそれで全然問題はない(し、作曲家は好きなように音楽を書けばいいんです)。
ふと思う。今、僕は42歳だが、もし38年後、自分が80歳になったらどんな音楽を書いているのか。
今のような音楽をあと38年間も書くのか(それだったら、おそらく2057年には80歳の僕の新作が発表された時に「ああ、藤倉さんってあの年代だから響きも2020年台って感じだよね」という声が後ろの席とかからヒソヒソと聞こえてくるのかもしれない。
それがいいことなのか悪いことなのかわからないけど。
なんだか色々と思わされる今日この頃。
藤倉大の無限大∞
ロンドン在住、42歳、作曲家。これまで数々の著名な作曲賞を受賞してきた藤倉大の、アグレッシブな創作生活の風景。音の世界にどっぷり浸かる作曲家は、日々、何を見、何を感じるのか。