夫婦間のセックスレスは当たり前、恋人のいる若者は減少し、童貞率は上昇中——。そんな日本人の性意識の変化を大胆に、真摯に語り合った『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』(湯山玲子+二村ヒトシ)が2月6日に文庫で発売されました(解説は、哲学者の千葉雅也さん)。単行本発売時より、より現実のものになった本書の内容を、一部抜粋してお届けします。今回は、湯山さん、二村さんの親との関係について。
親の罪悪感、子どもの被害者意識はどこから生まれるのか?
湯山 私の両親は、放任主義を自任していた。それでも私がグレなかったのは、うちの両親の「音楽に突っ込んだ人生」が、本当に充実していて、迫力があったから。というか、ラクでトクな集団依存ということが、作曲家という父(編集部注:湯山昭氏)の生業では考えられなかったし、母親も作曲家の内助の功の妻というラクでトクを自ら外して、合唱団の指導者になっちゃった。クラシック関係の芸術家は大学教授のポストがメシのタネだったりするんだけど、そこにも父は反発していて、大衆が実際にお金を出して自分の曲を買ってくれるという、子どものためのピアノ練習曲や童謡、合唱曲やらマーケットのほうを選んだ。集団に属していろんなことを我慢する、という日本社会の常識から外れていた。
二村 それはうちの母ちゃんにも言える。母ちゃんは医者という仕事が本当に好きだった。
湯山 父は、「音楽と子ども、どちらを取るか」と言われたら、もう、はっきりと音楽だったでしょうね。それに関して私は悲しいと思わなかった。
二村 僕は母ちゃんの「母親業をちゃんとやれなかった」という罪悪感を、許さないといけないと思ってる。つまり僕が母への被害者意識を手放すということ。そろそろ母ちゃん、いい感じにボケてきているので……。
湯山 うちの親は私に対して罪悪感はまったく持っていないと思う。むしろ、逆に「玲子は親孝行をまったくしない」といつも怒ってる。「ひとりで育った顔をして……」と。その罪悪感というのは、二村さんのトラウマかもね。
二村 そうなんです。
湯山 でも、お母さんは医者としてまっとうしているからいいんですよ。
二村 母ちゃんは僕のことが大好きだったんですよ。だから「ポルノ業者にはなっちゃったけど、あなたの育て方そんなに間違ってなかったよ」と言いたい。
湯山 しかし、どうして、二村さんはそんなに親を意識するのかな。私はまったくそれがない。電話も滅多にしないし、向こうもしてこない。将来、死ぬだろうけど、そんなにダメージは感じないかも。
二村 それは僕もそうですよ。死んだらどうでもいい。
湯山 二村さんは、そんなわけないじゃん。
二村 そうなのかな……。湯山さんのご両親は子離れがうまかったんですかね。
湯山 彼らは彼らの中で円環が閉じてるんですよ。
二村 「子離れがうまくいかないんだけど、どうすればいいか」「子離れできない親を持ってしまったけど、どうすればいいか」といった質問には、経験なさってない湯山さんは答えられないですか?
湯山 いや、そんなの簡単ですよ。その質問に共通する心情は、自分も親も悪者にしたくない、自己嫌悪に陥りたくないという保身です。私は冷静に見て、母親とはセンスや考え方が合わなくて、好き嫌いで言ったら気が合わずに嫌いなタイプ。でも、私は母を尊敬しているし、愛情はある。その矛盾をごまかさずにホールドする心の強さを持ったらいい。だって、究極、親孝行を本気でするとなったら、判断基準は「親の笑顔」になるから、まず自分の人生は生きられないでしょ。年老いた親をひとり暮らしさせて、自分はパリに居続ける人がいる。これ、実は欧米社会ではよくある話なんだけど、そういうことを想像しただけでも罪悪感を持ってしまうタイプは、よく考えたほうがいい。
二村 親よりも、自分の欲望を優先させること?
湯山 うん。その結果、親の死に目に会えなくても仕方がない。
二村 なぜ人間は罪悪感を持つんでしょうか。
湯山 そういう物語が圧倒的に強化され、繰り返されているからですよ。
二村 『スター・ウォーズ』の新作「フォースの覚醒」でも「家に帰ってこず、子育てにコミットしなかった父親の罪悪感」が描かれていました。では、人間が被害者意識を持つのはどうして? 罪悪感と被害者意識は苦しい恋愛、よくないセックスにはつきものだけど、このふたつは裏表で、実は同じものだと思うんだけど。
湯山 私、あんな親だったけど被害者意識、持ってないなあ。
二村 1ミリも持ってなさそうですね、湯山さんは。
湯山 あるとしたら、プロの表現者のハードルの高さを常々刷り込まれていたから、ソンな回り道をしたと思うよね。私を応援してくれるタイプの親だったら、もっと若くして才能を開花させたかも(笑)。その程度の被害者意識はあります。でも50をすぎて、成功しているとは思えないけど、ここまできたというのは落とし前をつけた感じはするね。回り道の経験が今の仕事の引き出しになっているし。
二村 それは被害者意識じゃなくて、悔しさというか〝負けた意識〟であって、それをバネにして努力できているということですね。相手のせいにしているわけではない。負けたのは自分のせい、最初に負けたけれども挽回して、ここまでこられたというのも自分の手柄。被害者意識というのは、親であるにせよ恋の相手であるにせよ、人のせいにすることです。
湯山 状況を考えたら結構ハードですよ。ハンパな二世でしょう。父はクラシックの作曲家だから一般的にはそれほど有名人ではない。母ちゃんはその時代に主婦業をほっぽり出して合唱団なんか始めて、周りの人間から悪口がたくさん入ってくる。友達や近所の人から「あんたの家は変わってるね」と言われるし。そういう意味ならば、小学生のときは「私はかわいそう」という被害者意識があったなあ。子ども時分にその「人並みではない両親」を周りに知られないようにしなきゃ、とは思ったね。まー、よく生き残ったと思う。
二村 「被害者意識はよくない!」と自縛するのではなく、自分が被害者意識を持ってしまっているということを自覚して、それを認めれば、逆にあまり苦しめられなくて、最小限で済むのかもしれない。お父さんは、今の湯山さんを認めてるんですか。
湯山 大好きでしょうね。そう言わないけどさ。でも、インターネットで「湯山」と入れると、私のほうがヒット数が多いのは気にくわないみたい。面白いのが、私が大人になって、色気づいて、いい聞き役になってきたときから、私のことが大好きになった様子がある。
二村 色気づいたころというのは、いつごろのことですか。
湯山 大学生、20歳くらいですかね。考えてみれば、依存してくる子どもが嫌いで、きちんと自分がある自立した存在が好きだったといえる。今、私が何を書いても、親は大喜びですよ。「俺のことをもっと書けよ」と言ってます。自分だけのルールを持っているということは、両親からもらった一番大きな宝だと思ってます。だから、「〝一般的なこと〟は疑ってかかれ」と言いたいね。
(構成:安楽由紀子)
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