新聞やラジオの世界で長年活躍する近藤勝重さん。70歳を過ぎたけれど、粛々と老いていくなんてまっぴら御免、なんとか抜け道はないものか――そう考えて健康情報をあれこれ試したり、著名人の言葉からヒントを得たりしてゆく様子をつづったのが『近藤勝重流 老いの抜け道』。
コロナ疲れで疲弊した気持ちがちょっと軽くなるような部分を本書から抜粋して公開します。
今回は大きな笑顔が印象的だったあの有名作家の生き方から「老いの抜け道」を探ります。
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「おせいさん」的生き方に学びませんか
(前略)とにかく、“男は当惑する”のだ。人生の曲り角、曲り角で、当惑を強いられる。
ところが女はちがう。(中略)女も本来、淋しい生物であろうが、一面、まぎれやすい、という神の恩寵があるのだ。関心が拡散する。
しかし男は何としよう、気が散りにくい、思いつめる、という厄介な美質を持っている。
質問です。さてこれはどなたの言葉でしょうか。
うーん……。わかりませんという方に、ヒントになりそうな言葉をもうひとつ紹介しましょう。
私は、小説の効用は〈人生のおちょくりかた〉を暗示する点にもあると思う。
艱難辛苦(かんなんしんく)の人生、〈おちょくら〉ないで、どうして凌(しの)いでゆけよう、というところだ。
これらの言葉で作家、田辺聖子さんを思い浮かべたとすれば、相当な本好きにして、かつ「おちょくらない」という大阪弁にピンとくるものがあってのことでしょうね(引用はどちらも『田辺聖子全集 第5巻』「解説」より)。
牧村史陽編『大阪ことば事典』で「おちょくる」という言葉を引くと、「ふざける。からかう。馬鹿にする」などとあり、こんな句も引いてあります。
「大阪の雪はおちょくるように降り 雅巳」
「おせいさん」の愛称で世代を越えて親しまれた田辺さんも、2019(令和元)年6月、91歳で亡くなられました。
ここでは田辺さんの作品や遺された言葉などにふれつつ、「おせいさん」的生き方に学び、追悼の意をあらわしたいと思います。
最悪の状況を笑いのめす痛快さ
ハイミス物を生む素地となった芥川賞受賞作『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)』や、「姥ざかり」シリーズの現代小説には、重厚かつ深刻な純文学主流の文学界で、戸惑うベテラン作家がいたことも確かなようです。
ですが、ユーモアをかもし出す人間性や、生活感覚を大事にして前向きに生きる人たちを描きつつ、絶望とか最悪の状況をも笑いのめす痛快さで、多くのファンの支持を得たこともまた確かでした。
そんな田辺さんがとりわけこだわった大阪弁は、人間を肯定する描出に生彩を放ち、ひいてはそれが田辺さんご自身をして「私は俳句より川柳愛好者」、すなわち「川柳ファン」と語らせたのではないでしょうか。
大阪の川柳結社「番傘」を率いた岸本水府〈1892(明治25)~1965(昭和40)〉の生涯を軸に、明治から昭和にかけての庶民生活史を描く『道頓堀の雨に別れて以来なり』は上、下巻2500枚の大作でした。
その著にも収められた次の2句などは、水府の名がなくても独り歩きしている名句です。
ぬぎすててうちが一番よいという
人間の真中(まんなか)辺に帯をしめ
『道頓堀の雨に別れて以来なり』の刊行時、田辺さんは毎日新聞のインタビューで川柳を「オトナの文学」で、いかにも大阪の風土にふさわしい、とこうも語っています(1998年4月2日)。
大阪弁の中には、自分で自分を笑うという風があるんです。作者は忘れましたけど『えらいことできましてんと泣きもせず』なんて、自分で自分の難儀をおかしがってるんですね。
自分を笑って高める免疫力
ぼくが選者を務める「健康川柳」にいただいた句にもこういうのがあります。
言わんとこ思ててんけど言うてまう 脊黄青鸚哥
思いあたる人もいるのではないでしょうか。
ぼくにもあって、とりあえずはいうかいうまいか自問します。ま、話の流れ次第でと思いながら、雑談また雑談になったときなど、つい口にしたりします。
いわなければよかったと悔いますが、あとの祭りです。
恥ずかしい言いつつ前に出るおばちゃん 田川弘子
いかにも大阪弁が表わすおばちゃんの姿です。
「いややわあ。きたない顔のまんまやんか」などといいつつ、マイクの前に出てくる。
自分自身を相対化してみせるのに、川柳と大阪弁は何ものにも勝る表現法か、と思わされます。
ユーモアや笑いは人間の免疫力とかかわってきますが、田辺さんは「川柳やってる人は、とりわけ女の人はみんな元気や。長生きできる」とおっしゃっていました。
人生を明るくする川柳の世界
田辺聖子さんの本に一貫しているのは、全肯定から描く人間です。
愚痴ひとつふたつも包み込んで生きています。
そこを詠み切る川柳の世界は、田辺さんの生き方ともなじむものが多々あったのではないでしょうか。
一方で、田辺さんは「奥の細道」の本も出されていますが、いろいろあっても、お互いに笑いながら生きて人生を明るくする川柳が好きだったのでしょう。
またそれが文学のユーモアともなり、源氏物語を描いても田辺さんしか描けないものがあり、それがまた「宝塚歌劇」舞台の原作ともなっていったんですね、きっと。
田辺さんはぼくと同様、全日本川柳協会の顧問をされていましたので、「番傘」とか結社の集まりにも顔を出していました。
みんなで笑いながら詠む。結社でも何百人もの人が笑う。
この光景に聖子さん、「本当に素晴らしい。あったかい。共感がある」と喜んでいたそうです。
わかりますね、その喜び。毎年、新春に大阪・中之島の中央公会堂で「近藤流川柳の集い」をやっていますので、共感の笑いにどれほど力を与えられているか。代わるものって思いつかないほどです。
「とりあえずお昼にしよ」
作家の林真理子さんがやはり毎日新聞への寄稿「追悼・田辺聖子さん」で明かしている話ですが、田辺さんはカラオケも好きでした。
早めに仕事を終えてご主人とカラオケに行かれていたそうです。7人くらいの店のカウンターで『昭和枯れすすき』をご主人と熱唱していた、と。
難儀をおかしがる他にカラオケも忘れたらあかんということでしょう。わかりますよね。
作家の小川洋子さんが田辺さんの訃報を受けた毎日新聞での談話にこうありました(2019年6月11日)。
先生の言葉で印象深いのは、『他人のことをかわいそうだと思えば許せる』です。人間は一生懸命生きており、生きることは切ないことだと。
最後に田辺さんの『星を撒く』からこんな言葉を引かせてもらいます。
せっぱつまって頭に血がのぼったり、もうアカン……人生ゆきどまり、と感じたとき、
「とりあえずお昼にしよ」
と声に出していうことにする。それと、「ボチボチいこか」と組み合せると、何とか、うまく切りぬけられそうな、気がするのだけれど。
田辺聖子さん流の“老いの抜け道”がうかがえそうな場面ですね。
「とりあえずお昼にしよ」、このセリフ、覚えておきます。
近藤勝重流 老いの抜け道
2020年2月6日発売の『近藤勝重流 老いの抜け道』について、最新情報をお知らせします。