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いのちの停車場

2020.05.30 公開 ポスト

書評・内田剛さん(ブックジャーナリスト)

人は最期は一人で死ぬのだが、決して孤独ではない。南杏子

発売即映画化が決定した、現役医師・南杏子さんの話題作『いのちの停車場』。ブックジャーナリストの内田剛さんからの書評をお届けします。

*   *   *

医療をテーマにした小説には好著も多いが、この『いのちの停車場』も非常に素晴らしい。著者の南杏子は現役の医師だからその臨場感と説得力は抜群。今すぐに使える医学の知識を授けながら、見事に心震わす人間ドラマを構築している。まさに感動しつつためになる絶妙な作品だ。誰にとっても他人事ではない生老病死について学ぶことは骨格をつくること。情感もたっぷりに人々の物語を味わうのは血肉を培うこと。この一冊は生きていく上で必要な栄養素がバランスよく込められている。読めば必ず自分の生き方そのものも、目の前の景色もガラッと変わる、そんな強いパワーを持っている。誰かに本を薦めることは非常に難しいが、これは多くの人たちと共有したい、読んで感想を分かち合いたい価値のある作品だ。

いま世界は未曾有の危機に陥っている。誰も予想だにしなかった疫病の流行。当たり前の日常は崩壊し、人類が生き残るためのまったく新たな生活様式の変化が求められている。ウイルスが消滅する本当の収束はまだ相当先になりそうな衝撃の災厄。多くの犠牲が日々伝えられており心底この病魔の蔓延を怨むが、暗闇に閉ざされた社会の中にあって数少ない光の一つが医療従事者への惜しみない感謝の気持ちが広まったことだろう。医療崩壊ギリギリの状態の中、自らも感染の恐れが高まる環境で、死の危険と隣り合わせで病魔と闘うその姿にどれほど勇気づけられたことだろう。感謝のライトアップや拍手、プロジェクトにメッセージ……死に立ち向かう方々への思いが共感を呼び、多くの人々の心にも明るい灯火を照らす。医療従事者への感謝、その人間的な優しい温もりと眼差しは『いのちの停車場』からもハッキリと伝わってくる。コロナ騒動のタイミングで、医療に関する様々な問題を問いかけるこの作品が世に出されたのも、刺激的であるばかりか大きな意味があると感じる。

東京の救命救急センターに勤務する主人公の白石咲和子は役職定年を3年後に控えた62歳。あるトラブルをきっかけに責任を問われて辞職する。まさに人生最大の転機。これまで停車することなく超特急で仕事をし続けてきた咲和子にとっての貴重な分岐点が冒頭のプロローグである。いったんレールを乗り換えて次の行き先に選んだのは故郷・金沢で訪問診療。まさに各駅停車のスピードでに再出発だ。医者だった87歳の父とともに限られた時間を過ごしながら、昔なじみの「まほろば診療所」で奮闘する。ここから六つの章で物語が繰り広げられるが、美しく移ろう金沢の自然と街の情景とともに、人間臭いドラマも転がっていき、それぞれに展開する医療問題のテーマも深くてとにかく読ませる。

「第一章 スケッチブックの道標」では社会問題となっている在宅での老老介護。消えゆく老女のいのちを前に頑固な夫に対して、死の兆候から息がなくなるまで具体的にレクチャーする。死は決して恐れるものではない。受け入れるもの。どんな命にも限界がある。身近な死と対峙したあまりにもリアルな描写に胸を締めつける。「第二章 フォワードの挑戦」ではラグビーの試合中の事故で四肢麻痺となった若き社長が主人公。専門医と在宅、二人の主治医制度にも踏み込んだストーリーだが、苦難のきっかけとなったラグビーもまた強い生命力といのちを繋ぐメッセージの伏線となって泣かせる。元気と勇気も湧いてくるのだ。「第三章 ゴミ屋敷のオアシス」ではセルフ・ネグレクトの母と心優しき娘を軸とした家族の再生、「第四章 プラレールの日々」では介護に苦しむ妻とレスパイト・ケアの話。さらに懐かしい玩具の記憶で結ばれた父と息子の絆の物語も重なって読ませどころが満載だ。「第五章 人魚の願い」は小児ガンに冒されながら運命を悟り、両親に感謝する6歳の少女が健気すぎて大号泣。

こうして様々な形で避けることのできない死を伝えながら、それぞれ背中に重荷を背負った「まほろば診療」の院長や若い助手たちの本音や成長も描かれていて、仕事をする喜びや前向きに生きる素晴らしさも投げかける。人は最期は一人で死ぬのだが、決して孤独ではない。満たされた死に方があるのだと気づかされる。そして「第六章 父の決心」は父を在宅で看取る決意をした咲和子の覚悟の章だ。苦しさのあまり強く「積極的安楽死」を望む父を前に、激しく懊悩する彼女が選んだ結末はあまりにも衝撃的。慟哭のサスペンスを読んだように全身が激しく身震いした。最後になんと大きな石を用意していたのだろう。本当にこの著者の引き出しの豊富さと懐の深さには驚かされる。南杏子の今後の新作にも大いに期待しよう。

真っ正面から死にゆく人を照らし出した『いのちの停車場』は、大切な人のために生きる道筋を示してくれる羅針盤だ。心を激しく動かされて実際の生活にも役に立つ。読みながら全身に吸収された知識と感動は、必ずや多くの人々の力となるはず。生きている人の数だけ存在する人生という名の列車がよりよく走り抜けるために、本書が多くの読者のレールと交差することを願ってやまない。

(内田剛・ブックジャーナリスト)

関連書籍

南杏子『いのちの停車場』

東京の救命救急センターで働いていた、六十二歳の医師・咲和子は、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療医になる。命を送る現場は戸惑う事ばかりだが、老老介護、四肢麻痺のIT社長、小児癌の少女......様々な涙や喜びを通して在宅医療を学んでいく。一方、家庭では、脳卒中後疼痛に苦しむ父親から積極的安楽死を強く望まれ......。

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南杏子

1961年徳島県生まれ。日本女子大学卒。出版社勤務を経て、東海大学医学部に学士編入。卒業後、都内の大学病院老年内科などで勤務したのち、スイスへ転居。スイス医療福祉互助会顧問医などを勤める。帰国後、都内の高齢者中心の病院に内科医として勤務。

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