毎年、この季節になると必ず取り沙汰されるのが、いわゆる「靖国参拝問題」だ。国家間の対立にまで発展する、根の深い問題であるが、そもそも靖国神社とはどんな施設なのか、誰がなんのためにつくったのか、なぜ首相の「公式参拝」が批判を浴びるのか、天皇はなぜ参拝しなくなったのか……きちんと説明できる人は少ないだろう。そこでオススメしたいのが、宗教学者、島田裕巳さんの『靖国神社』だ。日本人ならぜひ知っておきたい事実が満載の本書から、一部をご紹介しよう。
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「九段坂上招魂場」の誕生
東京に都が移った以上、明治新政府を打ち立てる上で大きな功績のあった戦没者を祀る場所としては京都よりも東京がふさわしい。そこで東京に招魂社を建てることが計画されたが、最初は上野戦争において激戦の地となり焼け野原になっていた上野が有力視された。上野戦争で彰義隊と戦った大村益次郎も、当初、上野に建てるよう建議していた。
ところが、建設地は上野から九段に変更された。大村が、上野を幕府軍の戦死者の霊がさまよう亡魂の地として嫌ったからだとも言われるが、上野に大学病院や公園を建設する計画が持ち上がったからだとも言われる。九段は、幕府の歩兵調練場があった場所で、「九段坂上三番町元歩兵屯所跡」と呼ばれていた。
この土地は、その時点で東京府が所有するもので、軍務官はそれを東京府から譲り受けている。このときの境内地は今よりもはるかに広かった。約33万平方メートルで現在の3倍以上あった。現在の境内地は、第一章でもふれたように約10万平方メートルである。
敷地が広かったことが、境内地として選ばれた大きな理由だったのかもしれない。ただし、創建の翌年、明治3年11月には一番町と富士見町一丁目の全部と同二丁目の一部が売却されている。ここで言う一番町は、現在の千代田区一番町とは異なり、靖国神社のすぐ南側の地域、現在の九段南3のあたりの地域をさす。富士見町は現在の千代田区富士見で、靖国神社の北の法政大学、東京逓信病院、白百合学園などを含む地域をさす。
ここまで東京招魂社という名称を使って説明してきたが、創建の時点では、まだその名称はなかった。祭典の実施を伝える軍務官の布達では、「九段坂上招魂場」と呼ばれていた。ただ、上野を候補地としていた木戸孝允の明治2年正月15日の日記では、すでに「此土地を清浄して招魂社と為さんと欲す」と記されていた。東京招魂社という名称が使われるようになるのは明治7年頃からのこととされる。
かつて靖国は「神社」ではなかった
祭典は明治2年6月29日から5日間続いたわけだが、その前日の夕刻からは、社殿の竣工を祝う修祓式が営まれた。深夜には戊辰戦争に政府側として参戦した諸藩から届け出のあった戦死者3588名の霊を招き降ろし、それを本殿に祀る招魂の式を挙げた。
翌29日には、弾正大弼・五辻安仲を勅使として迎える。勅使は勅幣(天皇から奉じられる御幣)を奉り、それを副祭主となった大村益次郎が内陣に納め、祭主の嘉彰親王が祝詞を読み、参列した官員、華族、各藩の藩士が拝礼した。
この時点では、戊辰戦争の戦死者の霊を慰めるために招魂式を行うことが目的であり、そうした霊を現在の靖国神社のように恒久的に祭神として祀ろうとは考えられていなかった。そこはあくまで招魂場、ないしは招魂社であり、神社ではなかった。
すでに述べたように社殿は仮のもので、また、通常の神社とは異なり神官は置かれず、神職を中心に結成された民兵組織、遠州(現在の静岡県西部)報国隊や駿州(同中央部)赤心隊の隊員62名が招魂社社司として仕えていた。社司は位の低い神職のことである。
したがって、この時代には、九段坂上招魂場にどういった性格をもたせていくか、それは定まっていなかった。最初の祭典が行われた直後の明治2年7月8日には、軍務官は兵部省に改組されているが、兵部省は、翌明治3年4月4日に、太政官に対して上申書を提出し、二つのことを建議している。
一つは、楠木正成など南朝の忠臣を、東京招魂社に合祀することである。当時は、幕末から高まっていた尊皇思想の影響で、正成を「楠公」として祀り、信仰の対象とする動きが盛んだった。
もう一つは、嘉永6年、あるいは安政元年以来、尊皇攘夷を志して亡くなった志士たちや勤王家を合祀することである。
また兵部省は、この二つの建議とは別に、東京招魂社に華族や官員を埋葬するための墓地を造り、霊社を建てて、その霊を祀りたいという願い出も行っている。
こうしたことのうち、後に実現されたのは志士や勤王家を合祀することだけだった。もし他の二つも実施されていれば、後の靖国神社の性格は今とはかなり違ったものになっていたことだろう。だが、この時点ではいずれも採用されなかった。そこには神祇官の意向が働いていた。国家の祭事を司る神祇官としては、兵部省の試みを越権行為ととらえたのである。
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