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靖国神社

2020.08.11 公開 ポスト

昭和53年、ひそかに進められた靖国神社「A級戦犯」合祀プロジェクト島田裕巳(作家、宗教学者)

毎年、この季節になると必ず取り沙汰されるのが、いわゆる「靖国参拝問題」だ。国家間の対立にまで発展する、根の深い問題であるが、そもそも靖国神社とはどんな施設なのか、誰がなんのためにつくったのか、なぜ首相の「公式参拝」が批判を浴びるのか、天皇はなぜ参拝しなくなったのか……きちんと説明できる人は少ないだろう。そこでオススメしたいのが、宗教学者、島田裕巳さんの『靖国神社』だ。日本人ならぜひ知っておきたい事実が満載の本書から、一部をご紹介しよう。

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靖国を変えた宮司、松平永芳

筑波に代わって第6代の靖国神社宮司に就任したのは、元海軍少佐で、戦後は陸上自衛隊に入り、一等陸佐として退官した後は、福井市立郷土歴史博物館館長をつとめていた松平永芳であった。祖父の松平春嶽(慶永)は第16代の越前福井藩主だった。

(写真はイメージです:iStock.com/kanzilyou)

最初、松平は、神職の資格をもっていないことと、靖国神社に祀られた戦没者の遺族が次々と亡くなっていくなかでは神社の経営手腕が必要だと断ったが、結局は石田に説得されて引き受けている。

松平は、東京裁判を否定しなければ、日本精神の復興はできないという考えを、それ以前からもっており、石田に対しても、そうである以上、「いわゆるA級戦犯の方々も祀るべきだ」と述べ、石田から「国際法その他から考えて当然祀ってしかるべきものと思う」という同意の見解を引き出している。

こうした人物が新たに靖国神社の宮司に就任したわけだから、A級戦犯の合祀が行われるのは必然である。松平を選んだ人間たちも、だからこそ松平に白羽の矢を立てたに違いない。松平は宮司を退任後、そのときのことを次のように語っている。

「私の就任したのは53年7月で、10月には、年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏して御裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく。そういう書類をつくる関係があるので、9月の少し前でしたが、『まだ間に合うか』と係に聞いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思い切って14柱をお入れしたわけです」(「誰が御霊を汚したのか──『靖国』奉仕14年の無念」『諸君!』平成4年12月号)

ただ、靖国神社の側が、宮内庁に対して事前にA級戦犯を合祀することを伝えていたかどうかについては、関係者によって証言が異なっており、はっきりしない。伝えたにしても、宮内庁の側が諒承したわけではないことはたしかだろう。事後承諾だった可能性が高く、合祀の後、靖国神社の側は、A級戦犯について「昭和殉難者」という新しいカテゴリーをもうけ、それを冊子にして宮内庁に提出したらしい。

秘密裏に進められた「A級戦犯」合祀

侍従長だった徳川義寛は、「昭和53年秋にひそかに合祀される前、神社側から打診があり、『そんなことをしたら陛下は行かれなくなる』と伝えたという」(朝日新聞、平成元年1月16日付)。

(写真はイメージです:iStock.com/ofriceandzen)

ただ、前掲の徳川の回想録では、合祀のことを伝えられ、「一般にもわかって問題になるのではないか」と文句を言ったとされるが、その理由としては、「私は東條さんら軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしいのじゃないか、と言った」と説明されている。これだと、靖国神社の合祀の基準からずれていることが反対の理由だったことになる。

それでもやはり、靖国神社の側には、A級戦犯の合祀は密かに行いたいという意向があり、靖国神社が編纂した『靖国神社百年史 事歴年表』では、それが行われた昭和53年10月17日の項目に、合祀された者として、第29師団海上輸送隊陸軍中尉西田耕三の名前が筆頭にあげられ、A級戦犯の個々の氏名については言及されていない。

 

合祀の事実が明らかになった際に、当時権宮司だった藤田勝重は、「A級戦犯とはいえ、それぞれが国のために尽くした人であるのは間違いなく、遺族の心情も思い、いつまでも放置しておくわけにはいかなかった。なお、不満の人もあることから、いちいち遺族の承諾を求めるものではないと判断し、案内も出さなかった」(朝日新聞、昭和54年4月19日付)と述べている。

靖国神社の側は、合祀の事実が広く知れわたり、それが問題になることを恐れ、秘密裏にことを進めていった。合祀した翌日の当日祭の挨拶でも、松平は、東條以下の名前をあげず、「白菊会に関係おありになる14柱の御霊もその中に含まれております」と述べただけだった。白菊会は、ABC級戦犯遺族の会のことである。

靖国神社の側は、A級戦犯の合祀を秘密裏に行ったわけだが、それは功を奏し、その事実は半年にわたって世間に知られることはなかった。その事実をスクープしたのは、共同通信の編集委員で厚生省を担当したこともある三ヶ野大典で、記事は昭和54年4月18日夜に配信されている。

翌日には各紙が報道するが、当時はそれほど大きな話題にはならなかった。秦郁彦は、それについて「マスコミも半年前の旧聞に属する既定事実をむし返し騒ぎたててもしかたがない、と早々にあきらめてしまったからである」と述べている。

 

これは、現在の感覚からすれば、理解しがたいことである。現在靖国神社のことが問題になるとき、真っ先にあげられるのが、現役首相の参拝であり、その際にはA級戦犯が合祀されていることが首相参拝の問題点として指摘される。

それと比較したとき、合祀当時における社会の側の反応は大きく違った。しかも、その状況はしばらくのあいだ続く。

関連書籍

島田裕巳『靖国神社』

戦後、解体された軍部の手を離れ、国家の管理から民間の一宗教法人としての道を歩んだ靖国神社。国内でさまざまな議論を沸騰させ、また国家間の対立まで生む、このかなり特殊な、心ざわつかせる神社は、そもそも日本人にとってどんな存在なのか。また議論の中心となる、いわゆるA級戦犯ほか祭神を「合祀する」とはどういうことか。さらに天皇はなぜ参拝できなくなったのか--。さまざまに変遷した一四五年の歴史をたどった上で靖国問題を整理し、そのこれからを見据えた画期的な書。

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毎年、この季節になると必ず取り沙汰されるのが、いわゆる「靖国参拝問題」だ。国家間の対立にまで発展する、根の深い問題であるが、そもそも靖国神社とはどんな施設なのか、誰がなんのためにつくったのか、なぜ首相の「公式参拝」が批判を浴びるのか、天皇はなぜ参拝しなくなったのか……きちんと説明できる人は少ないだろう。そこでオススメしたいのが、宗教学者、島田裕巳さんの『靖国神社』だ。日本人ならぜひ知っておきたい事実が満載の本書から、一部をご紹介しよう。

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島田裕巳 作家、宗教学者

1953年東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。主な著作に『日本の10大新宗教』『平成宗教20年史』『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『靖国神社』『八紘一宇』『もう親を捨てるしかない』『葬式格差』『二十二社』(すべて幻冬舎新書)、『世界はこのままイスラーム化するのか』(中田考氏との共著、幻冬舎新書)等がある。

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