諦めてはいけないと、教えられたかもしれません。
でも、前に進むとき、「諦める」ことが力になることもあります。
禅僧・平井正修著の新刊『老いて、自由になる。 智慧と安らぎを生む「禅」のある生活』に学んでみましょう。
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私たちの「無力」
──「諦める」ことで前に進む
手強い新型コロナウイルスに対して、あなたができたことはなんでしょう。私の場合、丁寧な手洗いや、マスクの装着くらいしかありませんでした。でも、もともと、私たちにできることなど、そんなに多くはないのです。
医療関係者が最大限の努力をされていることに本当に頭が下がりますが、それでも多くの人が亡くなりました。これは新型コロナウイルスによる肺炎に限ったことではなく、予後の悪いがんや心筋梗塞の発作など、誰がどう頑張っても助けられない命というものがあります。
国や自治体に対して、「対応が遅い」と怒りをぶつける人たちもいました。あるいは、活動を自粛しないで動き回る人を許さない「自粛警察」なるものも現れました。
おそらく、誰が悪いわけでもないでしょう。みんな、その立場で精一杯やっているのだと思います。しかし、私たち人間がどれほど精一杯やってみても、どうにもならないことが世の中にはたくさんあります。
ところが、私たちは長い間、便利な文明社会を生きてきたために、「どうにもならないことなどない」という勘違いをしてしまったのかもしれません。とくに、職場や学校では、「努力すればなんとかなる」ということが、当然のように言われてきました。
でも、今回のコロナ騒動で、その大前提が崩れたわけです。どうにもならないことはあるのです。
現代人に欠けていて、ゆえに現代人を不幸にしている要素の一つが「諦め」です。諦めることは、とても大切です。
諦めるというと、多くの人が敗北感を抱き、悪い方向へ考えます。しかし、「諦める」の語源は「明らむ=明らかにする」。仏教では、「物事の理(ことわり)をはっきりした上で、その理に合わないことを捨てる」という意味があります。つまりは、いらないものを捨てるだけの話です。
たとえば、愛する異性がいて、どうしても自分のほうを見てほしい。でも、その人がこちらを愛してくれないのであれば諦めるしかありません。このとき、しつこく追い回しても嫌われるだけ。そして、自分の人生を無為に送ってしまうだけ。それは物事の理にかなわないことです。だから、諦めるのが正しいのです。
命に関しても同じことが言えます。
「あのとき、もっと注意していれば助かったかもしれない」
「もっと、いい治療が受けられたら助かったかもしれない」
大切な人を失ったら、こうした思いは残ります。しかし、少し冷たい言い方になるかもしれませんが、それもまた諦めるしかないのです。受け入れて前に進むことです。
老いて、自由になる。
長生きも不安、死も不安――。
しかし、「散る」を知り、心は豊かになります。
残りの人生を笑顔で過ごすために、お釈迦様の“最期のお経《遺教経》"から学びましょう。
・持ちすぎない――「小欲(しょうよく)」
・満足は、モノや地位でなく、自分の「内」に持つ――「知(ち)足(そく)」
・自分の心と距離を取り、自分を客観的に眺める――「遠離(おんり)」
・頑張りすぎず、地道に続ける――「精進(しょうじん)」
・純真さ、素直さを忘れない――「不忘(ふもう)念(ねん)」
・世の中には思いもよらないことが起こると知る――「禅定(ぜんじょう)」
・目の前のものをよく観察し、自分の頭で考える――「智慧(ちえ)」
・しゃべりすぎない――「不戯論(ふけろん)」
「心を調える」学びは、一生、必要です。