他人に誤解されることが多い。昔のことをいつまでも引きずってしまう。人の気持ちを気にしすぎて常に自分を責めてしまう……。
世界で5人に1人が生まれながらに備えているという、刺激に対して非常に反応しやすい気質、HSP(Highly Sensitive Person)。脳科学医でありながら長年この「敏感な気質」で苦しんできたという高田明和さんが執筆された『脳科学医が教える 他人に敏感すぎる人がラクに生きる方法』から、同じように悩む人たちへ、生きづらさとうまく付き合っていく方法をご紹介します。
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超過敏にとって日本は生きづらい
私は超過敏に生まれて、なんとなく他人とは違うということをずっと感じてきました。しかし、生きづらさをはっきりと感じるようになったのは40歳を過ぎてからのことでした。
それまで生きづらさを感じる暇がなかったともいえるでしょう。小中学・高校生の頃は同じように超過敏な母がそばにいましたから、自分のおかしさをあまり感じずにいられた気がします。その後進んだ医学部の6年間、大学院の5年間は勉強尽くめでしたし、大学1年生のときに理解者である妻とは出会っていたので、友人関係はあまり広げず、ずっと彼女と一緒にいたのが幸いし、平穏に過ごせました。さらに卒業後の約10年はアメリカで研究者として忙しく過ごしましたから、自分の性格にかまっていられなかったというのが本当のところです。
ところが、日本に帰ってきた40歳を境に生きづらさが私の人生に重くのしかかってきたのです。生活環境の変化も大いに関係しているでしょう。講演や執筆など、本業以外で人と付き合うことが多くなり、やらなければいけない雑務も増えていきました。それまでのように狭い社会で生きていられなくなったのですから、たまりません。
さらに、そんな私に追い討ちをかけたのが、日本独特の同調圧力というか、ムラ社会的な考え方でした。和を重んじ、「みんな同じ」からはみ出すのは悪という考え方に、アメリカ帰りの私はとても馴染(なじ)めませんでした。
もちろん、できるだけ普通にいられるように努力もしました。もう少し余裕があれば、そんな自分の個性を生かすという考え方もあったでしょう。しかし、当時は周囲に倣(なら)うというのを実践しなければ、日本社会では生きていけないと思い込んでいたのですから、まさに八方塞がりの状態だったのです。
育った環境が生きづらさをつくる
生きづらさがつきもののようにいわれる超過敏。実際、私もずいぶん苛(さいな)まれてきました。しかし、超過敏だからといってすべての人が「生きづらい」と感じるわけではないのです。「敏感さ」は持って生まれた気質ですが、それをどう捉えるかは育ってきた環境が大きく影響しているようです。
私は8人兄弟でしたが、その中で超過敏だったのは私だけでした。そして、私の母もおそらく超過敏だったのだと思います。気質が似ていたからなのか、幼い頃、私はずっと母にくっついていました。そして、母の話し方そのままだといわれるほど、母の影響を受けていたのです。母は、小さなことをくよくよと気にして常に自分を責めている人でした。そして、そんな母にくっついていた私もまた、小さいことでくよくよと悩み、自分を責めるようになったのだと思います。
一方、親が超過敏ではない場合、子どもが抱く敏感ゆえの感覚を理解してもらうことはとても難しく、自分を責めたり、大人に不信感を抱いたりしがちだといいます。親や教師など、幼い頃に頼りになるはずの大人が自分を助けてくれないことで、生きづらさを感じるようになるのは仕方ないでしょう。
反対に、「敏感さ」に理解を示してくれたり、超過敏を個性と認めてくれる誰かがいたりすれば、自分の「敏感さ」に対しても自信がつき、その才能をのびのびと生かすことができるのでしょう。
超過敏であることが必ずしも生きづらさと直結するわけではないことは、ひとつの希望になるのではないでしょうか。長年しみついたものの考え方を変えることは簡単ではないにしても、それができれば生きづらさから解放されるのです。
脳科学医が教える他人に敏感すぎる人がラクに生きる方法
他人に誤解されることが多い。昔のことをいつまでも引きずってしまう。人の気持ちを気にしすぎて常に自分を責めてしまう……。
世界で5人に1人が生まれながらに備えているという、刺激に対して非常に反応しやすい気質、 HSP(Highly Sensitive Person)。長年この「敏感な気質」で苦しんできたという高田明和さんが執筆した『脳科学医が教える他人に敏感すぎる人がラクに生きる方法』から、同じように悩む人たちへ、生きづらさとうまく付き合っていく方法をご紹介します。