メールの返信が遅いだけで、「嫌われているのでは」と不安になる。友達がほめられただけで、「自分が低く評価されたのでは」と不愉快になる。つい私たちは、ちょっとしたことでモヤモヤ、イライラしがちです。小池龍之介さんの『しない生活』は、そんな乱れた心をスーッと静めてくれる一冊。本書が説く108のメッセージの中から、いくつかご紹介しましょう。
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相手の意を受け止めきる
「相手の話を受け止めること」がなかなか難しいのをあらためて実感したのは、つい先日、北鎌倉駅を降りて浄智寺の方へ歩いていたときのことです。
筆者を案内してくださっているかたがふと、「この辺りは駅のホームですら、すぐ木々のしっとりした甘い匂いがしますでしょう」とおっしゃいました。それに対して筆者は「そうですね。でもこの辺りまで歩いてくると、さらに空気が澄んでいますねえ」と返したのでした。
そこで一瞬、相手のかたが鼻白んだようになったのがわかりました。筆者が「そうですね」と言っていますので、一見するとキャッチボールが成り立っているようには見えます。けれども実は「ホームですら空気が良い」という話題そのものには応答していませんから、「話をちゃんと受け止めてくれなかった」というかすかな不全感を、相手に与えてしまったのだろうかと思われます。
──という話を例に取りつつ、「すぐに自分の考えを返す前に、『そうですねえ』としみじみ答えてワンテンポ置き、まずは相手の意を受け止めきることが大事」などと、その翌日、講演会で話したのです。
そしてあろうことかその直後、本にハンコを押す作業を手伝ってくださるかたに、筆者は「ありがとうございます。あ、でも押す場所はもう少し文字に重ねてくださいね」と申していました。「ありがとうございます」と「あ、でも」との間が短すぎて、「ありがとうございます」という受け止めよりも、否定のほうが相手に伝わってしまう。
いやはや、どうぞ反面教師にされてくださいませ。
謝るときは言い訳をしない
「あなたはいつも人の話をちゃんと聞いてくれないから、腹が立つ!」たとえば、こんなふうに責めたてられたとき、私たちの心はすぐに防衛反応に硬直しがちです。
さらに、次のように続いたら、いかがでしょう。
「あのときも私があんなに困っていたのに冷たい態度だった。本当に優しくないんだから……」
自分を守るため、「あなただって○○なくせに」と怒り返すなら、ただでさえケンカごしの相手と衝突するのは目に見えています。心を保つためには怒り返すのは論外としましても、とはいえ相手をなだめようとして謝ってみるのも、それはそれで意外に厄介です。
たとえば「ごめんね、確かにそうだと思う。これから気をつけるよ」と言えたとしても、しばしば「蛇足」を付け加えてしまいたくなるものですねえ。先の例ですと、「ただ実はね、あのときだけは違っていて、仕事があまりにも忙しくて余裕がなかったんだ」ですとか。
私の場合こういった蛇足をつけることで、相手の誤解をときたいと考えるものなのですが、これらはあいにく、ことごとく逆効果。「謝っているくせに部分的に反論してきている」と受け取られてしまい、相手はさらに怒ります。「その場合は違ったのかもしれないけれど、じゃあ○○のときは……」と、さらに追いつめられるだけです。トホホー。
ですから、怒っている相手が出す具体例や説明に間違いや誤解があっても、「それを訂正したいッ」という正しさへの欲望を、手放すことです。ここは謝って和解することを最優先する、といったん決めたなら、相手の発言にいくらかおかしなところがあったとしても、今は耐え、言葉少なに相手の顔を神妙に見て、じっくりうなずきましょう。
しない生活
メールの返信が遅いだけで、「嫌われているのでは」と不安になる。友達がほめられただけで、「自分が低く評価されたのでは」と不愉快になる。つい私たちは、ちょっとしたことでモヤモヤ、イライラしがちです。小池龍之介さんの『しない生活』は、そんな乱れた心をスーッと静めてくれる一冊。本書が説く108のメッセージの中から、いくつかご紹介しましょう。