日本だけでなく世界中が新型コロナの話題一色。最新の情報は知りたいけれど、知れば知るほど不安になる――多くの人がそんな生活を送っていた今年6月、『「健康」から生活をまもる――最新医学と12の迷信』(生活の医療社)という、ドキッとするタイトルの本が出ました。著者は医師の大脇幸志郎さん。えっ、だって、健康は何より大事、健康あってこその生活じゃないの? 『「健康」から生活をまもる』の「序」、2回目です。
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ウイルスと人体に働きかける医師の仕事はもちろん大切だ。だが、問題はそれだけではない。人体の問題ではなく、社会の問題もまた問題だ。社会の問題は誰が解決してくれるのだろう。政治家だろうか、社会学者だろうか。いずれにせよ、ウイルスの世界的な流行という巨大で複雑な出来事に対して、少数の専門家ができることは限られている。「偉い人ががんばってみんなを幸せにしてほしい」と願うのは自然なことだが、その願いが叶うことはない。では自分の身を自分で守る方法はあるのだろうか。
あると思う。
この本には、一見ウイルスとは関係ない(*)が、ウイルスに連れられてやってくる真の問題に立ち向かう方法が書いてある。それは一言で言えば「パニックに免疫をつける」ということだ。私たちを襲っているものの正体を知れば、敵から遠ざかる方法がおのずと見えてくるはずだ。あるいは、運悪く出遭ってしまったとしても、被害を最小限に食い止められるはずだ。さらにそれは、敵をさらに増やしてほかの人に振り向けることをも防げるはずだ。ちょうど人体に備わった免疫のしくみがウイルスと戦うように、私たちはパニックと戦うことができる。
(*この本の内容のほとんどは、新型コロナウイルスが話題になるより前に考えたことだ。だから新型コロナウイルスの話はごくわずかしか出てこない。けれども前後に書いたとおり、この本で取り上げた問題はいまの騒動とも深く関わっていて、決して見逃してはいけないことだと思う。)
その方法はまず、敵の正体を知りぬくことだ。
病気を取り巻く現代の文化が、新型コロナウイルスを大騒ぎにした。その元凶はあまりに深く現代社会に染み付いているので、ふだんは「文化」と呼ばれることもなく、当たり前のことと思われている。いや、むしろ客観的事実から必然的に導かれる合理的結論だとさえ思われている。そういうものを、普通の日本語では迷信と呼ぶ。新型ウイルスが登場するよりも前に迷信がはびこっていたからこそ、いまの騒ぎがある。この本は12の章のそれぞれで病気と健康にまつわる迷信を取り上げる。
迷信を見極めたら、次には迷信にどう向き合えばいいかを考える。
迷信とは自分ひとりが知識を持てばなくなるものではない。世の中で大勢の人が迷信を信じているという状況こそが迷信の実体だ。だから、迷信に立ち向かうためには、ただ正しい知識をつけるだけでは足りない。ときには周りの人にも知識を広め、ときには説得をあきらめてほどほどに手を打ち、ときには迷信深い人となるべく関わらないようにするといった、多様で柔軟な戦略が必要だ。だから、12の迷信のそれぞれに対して、筆者の考えで何ができるのかを書き添えてある。
実はいまとよく似た光景を、私たちはしょっちゅう見かけている。
世の中には健康になるための情報があふれかえっている。中には医学がとっくに否定しているものもたくさんある。たとえば「ビタミンCで風邪が治る」(*)とか、「ブルーベリーで視力がよくなる」とか。これぐらい単純な話なら、「実は違った」と言われれば素直に「そうだったのか」と思えるかもしれない。けれども「ビールにプリン体はほとんど含まれていない」と言われるとどうだろうか。あるいは「コレステロールは食べものから吸収されるよりも体内で合成される量のほうがはるかに多い」ならどうだろうか。
(*ノーベル賞を2回受賞したライナス・ポーリングの説がもとになっている。)
やっかいなことに、プリン体とかコレステロールといった専門用語はよく聞くし、わかったような気はするけれども、正確に説明しろと言われると困ってしまう。迷信も何も、そもそも何が常識なのかがわからないから、迷信が広まっているのか、ただ自分が常識に追いついていないだけなのか、区別しようがない。
用語があるからには意味があるはずだし、テレビで白衣を着た賢そうな人が「気をつけてください」と言っているのだから、気をつけて損はしないはずだ。そう考えたいところだが、実は専門家のふりをしているだけの不届き者とか、専門家なのにわざと(注目されて商売をしたいために?)嘘を言っている悪人もいるらしい。となれば、「正しい情報を見分けなければ」と思えてくる。
こういう思考こそが迷信だ。
本物と偽物が目の前にあると思うと、本物を選びたくなる。実は「どちらも要らない」という選択肢もあるかもしれないのに。
たとえば、お酒。健康のためにはおそらく、飲まないほうがいい。いやいや、適度の飲酒は心筋梗塞を防ぐのだ、といった議論もあるにはあるが、この本で紹介するように、それにも反論が来ている。そもそも「適度の飲酒」という言葉自体がどこか変だ。酒は羽目を外したいときに飲むものだから、適度で止められるはずがない。だから残念ながら、健康のためには一滴も飲まないのが模範解答だ。
しかし、酒は羽目を外したいときに飲むものだ。「羽目を外したい」という気持ちこそが確かな現実であって、「酒は健康に良いか、悪いか」という二者択一は、偽の問題だ。健康のことなど考えないで飲めばいいのだ。
健康の話には同じパターンがよく現れる。つまり、専門家のにこやかな顔とともに「あなたのためです」という調子で始まって、知っているような知らないような言葉が次から次へと現れ、しだいに本当か嘘か見分けがつかなくなっていき、いつのまにか現実離れしたアドバイスを手渡されて、困った顔をしていると「健康のためです」という有無を言わさぬ笑顔が幕を閉じる。
健康より大事なことを、本当は誰もが持っている。なんでもいい。おいしい食べものに酒、趣味、仕事、恋愛、あるいは家族。人は何か大事なもののために体を壊す。それは当たり前のことだ。「健康はそのためにある」(*)と言ったノーベル賞作家もいる。
(*バーナード・ショー『医師のジレンマ――バーナード・ショーの医療論』中西勉訳(丸善、1993年)、159ページにある記述を原文から独自に訳した。)
私たちがいつのまにか忘れてしまった当たり前のことを思い出すこと。それがこの本の目標だ。
この本は新型コロナウイルスの本ではない。医学の本ですらない。筆者は医師と言っても感染症については素人にすぎない。だからこの本に書いてあることを医学の知識とは思わないでほしい。
医学の知識よりも大切なことを、あなたは知っていたはずなのだから。
「健康」から生活をまもる
ビールのプリン体、食事のコレステロール等々、健康のためにがまんしていませんか? そのがまん、しなくていいかもしれません!