アルコール依存症や離婚を経験しながらも、もう一度、日常の豊かさに立ち戻ろうと決心するなかで綴られた、宮崎智之さんの新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』。本書は、平易な言葉でありながらも、実は哲学に通じる普遍的なテーマがたくさんひそんでいます。前著『モヤモヤするあの人』発売時にも対談を行った斎藤哲也さんと3回にわたって語り合いました。最終回は、他者に寄り添う、「ケアの倫理」にまつわる話から。
個人の個別の問題を社会で共有するために必要な言葉
宮崎 中編では、哲学、倫理学の視点から、アクラシアやケアの倫理など、新刊のテーマの一つである「弱さ」を考えるうえでのキーになるかもしれない考え方について説明していただきました。そして、いよいよ具体的に「人間の弱さ」についてなんですが。
斎藤 前回は、たしか20世紀後半に言挙げされた「ケアの倫理」のところまで話したんですよね。ケアの倫理は、正義の倫理と対比的に語られます。正義の倫理が、理性や論理によって普遍的な行動規範を求めようとするのに対して、ケアの倫理は、状況に応じて他者を気遣うことに主眼が置かれる。その意味では、人間の弱さに寄り添う倫理といえるかもしれません。
宮崎 最近、一般書でも「ケア」という文字を多く見るようになりましたよね。僕が新刊で引用した東畑開人さんの『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』もそうですし、そもそも『居るのはつらいよ』は、話題の本を数々と世に送り出している医学書院の「シリーズ ケアをひらく」から出ています。そのほかでも目にすることが増えた気がします。
斎藤 誤解のないように言っておくと、正義の倫理がまちがっているということではないんですね。人を欺いてはいけない、むやみに傷つけてはいけないなど、誰もが守るべき規範がなくては社会を維持することはできません。だけど、ヨーロッパの思想がこしらえてきた正義の倫理は、自律的な強い個人を基本単位としてきました。それだと、人間の弱さに対する支援のあり方も、個人としての強さをめざすような方向に向かってしまう。でも、人間というのはいつだって具体的な関係性のなかでしか生きられません。ケアの倫理は、正義の倫理だけではカバーしきれない、具体的な関係性に目を向けようというものだと思います。
人間の能力を「エンハンス(増強)」することの是非
宮崎 僕は今回の新刊でアルコール依存症の厄介さを説明するために、「いつでも親は子どもに勉強しなさいと言うものだ」と書いたんですね。つまり、アルコール依存症になる前の僕にファクトを示しても飲んでいただろうし、仮に僕がタイムマシーンに乗って説得しにいっても、自分自身を説得できたとは思えないんです。それって、親の言う「勉強しなさい」と同じような感じで、いくら子どもにメリットを伝えてもやらない子どもはやらない。
斎藤 そうですね。僕もいまだに親から、「タバコをそろそろやめたら?」と言われるけど、やめてないし。
宮崎 だとすると、人間って、親に「勉強しなさい」と言われたけどもやらず、大人になってから勉強の大切さに気がつき、子どもに「勉強しなさい」と言うんだけどやらず……みたいなことを、他のことでも繰り返しているようにも思えるんですね。代が変わるごとに、同じことを繰り返している。だから、「勉強しなさい」で説得できるようになったら、人間は飛躍的に成長すると思うのですが(笑)
斎藤 中編で話した「『わかっちゃいるけど、やめられない』をどうしたらやめられるのか」問題ですよね。「わかっちゃいるけど、やめられない」人間は駄目な人間というのが近代までの流れですが、20世紀になると人間の主体性に疑問符を投げかける思想が登場します。フロイトが無意識を提唱したり、文化人類学では、人間はそもそも文化や言語などに規定されていて、そこまで十分に主体性を発揮できる存在ではないという示唆が与えられたり。こういった思想が、「自律した強い個人」という近代的な人間像にNGを出したんですね。さらに20世紀後半になると、認知科学や脳科学、進化生物学などの自然科学の分野が、客観的なデータと共に「人間はそもそもポンコツである」ことを明らかにしつつある。人間は常にバイアスまみれである、と(笑)
宮崎 おお……(笑)
斎藤 人間はそもそもポンコツだから、理性を働かせるのはかなりしんどいことなんだというのが、現在の自然科学が描く人間像ですね。だから、さっきの宮崎君の問いに答えるなら、タイムマシーンに乗って過去の自分を説得し、納得させられるほど、人間というものは上等にできていない、ということになります(笑)。それができると考える人は、むしろ近代的な強い理性的な人間像に引っ張られている。
ただし、ここでクリティカルな問題になってくるのが、エンハンスメン(増強化)についてです。つまり、人間の知的能力や道徳的な感覚、身体などを医学的な介入によって増強することを是とするか非とするか。わかりやすい例でいうと、「記憶力増強剤」や「集中力増強材」を使っていいかどうか。個人の知的能力だけではなく、他人に対する「共感力」も高められるかもしれない。それを是とするならば、人間はポンコツではなくなる可能性がある。
宮崎 弱くて、愚かで、すぐ間違う存在ではなくなるかもしれない。
斎藤 そうです。賛成派の意見としては、人間はそれくらいやらなければ駄目かもしれない。差別や格差の問題、気候変動の問題などの課題が解決なのは、人間がポンコツすぎるからだ。このままだと人間はいつか滅んでしまうかもしれない。だから、「道徳の薬」でも「共感のサプリ」でもなんでも飲んで、ホモ・サピエンスをパワーアップしていかなければいけない、と。これ、宮崎君だったらどう思います?
宮崎 ちょっとディストピア感がありますよね……。
doに追われ、beでいられない現代
斎藤 多くの人の直感としては、「それはヤバいんじゃないの」と感じるでしょうね。でも、そうこうしているうちに人類滅亡の危機がやってきてしまうかもしれない。だったら人類全体をグレードアップする必要があると、テクノ・エンハンスメント賛成派の人はいうでしょう。そこまで極端な想定を持ち出さなくても、現実問題として、エンハンスメント関連のテクノロジーはどんどん生まれている。おそらく今後、エンハンスメンについての倫理的な議論は、大きな論点になっていくと思います。
宮崎 「人間の弱さ」について、次のステージへと議論が変わってきている、と。だけど、それでは弱くて、愚かだけど、だからこそ慈しみがある、みたいな人間像はなくなりますよね。
斎藤 そこもけっこう微妙で、エンハンスメントによって「共感力」が高まれば、慈しみの心がなくなるどころか、より発揮されるだろうと賛成派なら言うでしょうね。だから、直感に反して反論はなかなか難しいんです。
でも、現実的に考えて、人類がいっせいにエンハンスメントするような状況は考えにくいし、私的な利用が中心になる気がします。結局、そうなると、個人の能力増強という話になってしまうし、エンハンスメントによって新たな「強い/弱い」という線が引かれてしまう可能性もあると思うんです。
はたしてそれでいいんだろうか。宮崎君の新刊にdo(する)とbe(いる)の話が出てくるじゃないですか(第1章 「何者か」になりたい夜を抱きしめて)。エンハンスメンは基本的には個人のdoの能力を高めようとするものですよね。しかし、doの能力が高い人ばかりが集まった社会って、そんなに居心地がいいだろうかという疑問を僕は抱いています。
宮崎 野球だって、四番バッターばかりを集めれば強くなるわけではないですしね。
斎藤 そうそう。一方で、宮崎君の新刊には、be(いる)だけでいい場所や空間の大切さが書かれていますよね。たしかに、現代人はdoばかりに追いかけ回されている節がある。でも、僕が宮崎君の文章を読んで考えたのは、beとdo以外にもbecome(~になる)があるということです。はからずも、宮崎君自身が、「『何者か』になりたい夜を抱きしめて」というエッセイを書いているように、「~になる」という契機が主題化されているところがすごく興味深かったんです。
宮崎 なるほど。
斎藤 僕の中でbecome(~になる)は、新しいbeがcomeするという感覚なんですね。先のエッセイでは、友人たちとキャンプをする時間は、目的達成的なdoから解放され、無目的なbeを享受できるという自身の体験が書いてある。でも、そのときに、仲間と一緒になにかキャンプ特有の感覚を共有しながら、別の何者かになっているという側面もあるんじゃないかな。
中島隆博さんという哲学者は、「ともに人間的になること(human co-becoming)」という概念を提唱していて、誰かと一緒に新しく変容していくことの重要性を説いています。宮崎君の言葉を使えば、誰かと一緒に「何者か」になることってどういうことだろう、というのが、僕が最近考えていることなんです。
宮崎 他者との関係性のなかで、beがbecomeするということですね。
斎藤 そうそう。もちろん言うは易しではあるんだけど、中島さんのような考え方にすごく惹かれるんですよ。
「人間は弱い」という共通理解のその先に
宮崎 本当にそうだと思います。僕は今回の新刊で「態度」を示したかったと前編で言いました。それは、ある意味、be的なものだとも言える。しかし、beになれなかったら、beをどこかに確保できなかったら、becomeにはなれないという思いもあります。実際に僕は今までの人生で、幾度となくそういう部分に躓いてきました。だから、一歩目の階段をしっかり踏みしめ、どこかで掛け違えたシャツのボタンを掛け直すところからやり直そうと思いました。他者と関係を切り結び、お互いを支え合っていくbecomeには一足飛びではなれないのだ、と。そのためには「人間の弱さ」を認めることが、まず必要だと感じています。
斎藤 ひたすら個の能力を高めることに邁進するdoだけの生き方だと、他者を道具扱いしちゃうよね。もちろん仕事をするうえで、能力やスキルを積み重ねていくことは大事だし、そこからいろいろ学べるものもあります。でも、宮崎君が書いているように、キャンプのなかだって、beだけじゃなく、doがまじっている。そして一緒に、何者かになって(become)いきますよね。同じように、学校や仕事のなかだって、もっとbeやbecomeを感じられるようになったほうがいいと思うんです。
宮崎 はい。僕は20代までは、これでもかってくらいdo的な生き方をしてきたので、beになろうと思っても「beをdoしよう」みたいな、訳のわからない状態に陥ることがあるんですね(笑)。だから、まずは「余白のあるbe」、つまり独りよがりで排他的ではないbeに留まりながら、周囲を隈なく見つめてみよう。それを積み重ねることによって、今はまだ僕の想像力が及んでいないbeのことにも想像力を働かせられるようになるのではないか。その過程で起こったことや生じた関係性を通して、becomeするのではないかと思っています。
斎藤 宮崎君だけにかぎらず、資本主義というシステムは、どうしてもdoの能力ばかりが評価されてしまうんですよね。そういう社会で、感情や感覚を共にしながら誰かと一緒に「何者か」になっていくのは、本当に難しい。
でも、新刊の最初の箇所で宮崎君が書いていた「0を作る理論」は、その課題に立ち向かうヒントになるような気がしたんです。無理やり苦労を折半して、重い荷物を両方が持つのではなく、どちらかが持って、どっちかがラクになったほうがいい、と。僕もそう思いますよ。宗教によっては「施し」をすることが、いい来世を生きるプラスポイントになるとも考えられている。「来世」という考えに馴染みがなくても、合理的に割り勘にするよりは、奢ったり奢られたりしたほうが気分がいいと思う人はいるんじゃないかな。
宮崎 僕は意外と人に親切にするのが好きで、少額だけどお金を貸したり、後輩の仕事の面倒を見てあげたりすることもある。でも、それって僕が自分に余裕があるときだけですよ(笑)。余裕がないときは、逆に助けてほしい。だから、僕が、人に親切にしたり、優しくしたりする裏には、どうしても打算的な考えが入ってきてしまっている、ということに気づきました。
斎藤 持ちつ持たれつということですよね。エッセイに「少なくともぼくがつらいときには、堂々とラクな人に頼りたい」と書いてあるけど、これは本当に大事なことだと思います。極論すれば、さっきの「ともに人間的になること(human co-becoming)」って、みんなが堂々と誰かを頼れるようになることかもしれない。
当事者研究という活動で知られる熊谷晋一郎さんは、「自立とは、社会の中に依存先を増やすこと」と言っています。人間は今弱くて、ポンコツなんですけど、社会のなかに依存のロープがたくさん張ってあれば、なにかあったときにそれを手にすることができる。その意味では、宮崎君の「0を作る理論」は、個人の倫理の問題にとどまらず、社会的な課題でもありますよね。
宮崎 そこに「打算」があっても僕は別にいいと思うです。やらないよりはマシですし、僕が「弱さ」、斎藤さんが「ポンコツ」と表現したように、人間なんてそんな上等な生き物ではないですからね。今日は斎藤さんとお話しできて、いろいろな疑問がクリアになったと同時に、さらなる課題も発見できました。お忙しい中、本日はありがとうございました。
斎藤 こちらこそ、ありがとうございました。
宮崎 今度お会いする時は、トラブルを抱えていないように頑張りますね(笑)
斎藤 そう願っています(笑)
(おわり)
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