3月3日19時から、医師で医療ジャーナリストの森田洋之さん著『うらやましい孤独死――自分はどう死ぬ?家族をどう看取る?』(三五館シンシャ)刊行記念として、同じく医師の大脇幸志郎さんとのトークイベントをオンラインで開催します。
森田さんの新刊に大いに共感しながらも、そこにはある危険な思想が孕まれているのでは? と思い至った大脇さん。
大脇さんの「健康から生活を守るブログ」から、大脇さんから森田さんへの公開質問状!を転載します。
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森田洋之さんとは去年、『日本の医療の不都合な真実』という森田さんの前著の記念イベントで対談させていただきました。このときの参加者アンケートの回答率が異様に高く、任意記入欄にも大変な熱意がこもっていたので、主催の幻冬舎さんともども、「またやりたいね」と話していたところです。
今回森田さんの本は三五館シンシャ発行・フォレスト出版から発売ですが、イベントの仕切りには引き続き幻冬舎さんが入ってくださって、ありがたいことです。
森田さんの紹介と、前回のイベントの背景については別の記事で書きました。
今回の『うらやましい孤独死』は、ぼくの理解では前著の内容と対談の内容をふまえ、さらに深まった問題意識から書かれたもので、これはすごい本に出会えたものだと興奮しつつ、この本のイベントとなれば一筋縄ではいくまいと重圧を感じています。
本の内容は、おおむね序文にある「それまでの人生が孤独でなくいきいきとした人間の交流がある中での死であれば、たとえ最後の瞬間がいわゆる孤独死であったとしても、それはうらやましいと言える」という言葉に要約されています。
これは逆説的に、「孤独死ではなく生きているうちの孤独こそが真の問題だ」と指摘しているのだと思います。森田さんは前著『真実』ではいわゆる医療崩壊が実はコロナ以前からある医療体制の問題だという指摘によって、「コロナで医療崩壊するから困る」という言説の前提をひっくり返しました。
その続きとして『孤独死』を読むと、従前の医療体制の問題(の一部)は孤独という問題に帰着されること、その観点からはコロナ対策としてなされるディスタンシングの思想は本来の問題を悪化させ、なんの解決にもならないことが理解できます。悪化する一方の現実に耐えかねて「ゼロコロナ」という奇抜な現実逃避がはびこるいま、まさに必要とされている重要な指摘だと思います。
さて、そのうえで、森田さんとぼくの考えには一致しない部分もあります。
細かい点についてはイベントで、執筆と取材の背景などをインタビューしながら話していきたいと思っています。ここでは1点だけ、少し抽象的なレベルのことを言っておきます。
それは「死を価値中立と考えると、安楽死や命の選別が許されてしまうのではないか?」ということです。
孤独死であっても「うらやましい」と思える場合はある。それは「孤独死」と呼ばれる出来事が、実は孤独でない死かもしれないから。それはそうでしょう。しかし、孤独でない死と孤独でない生の比較ならば、孤独でない生のほうが「うらやましい」と言うべきではないでしょうか。
本の中では「死か孤独か」というトレードオフが繰り返し取り上げられ、死を選ぶほうが常に肯定的に語られます。これは相手が孤独というきわめて大きなマイナスだから成り立っていますが、この対比を強調することにより、死が過剰に美化されてしまうおそれはないか。
現代は医療化の力があらゆるところに働く時代です(医療化とは何かについては過去記事参照)。「死んだほうが幸せな場面があるかもしれない」と考えた瞬間、「では医療によって幸福な死を提供しよう」という結論が出てしまいます。これはたいへんヤバいことで、森田さんの理想とはまったく違っているはずですが、『うらやましい孤独死』の枠組みによってこの誤りをどう回避できるのか。
イベントの限られた時間でここまでたどりつけるかどうかわかりませんが、それくらい話を深めていければと思っています。
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コロナ禍の今だからこそ、人を幸せにする医療・介護について、一人ひとりにとっての「理想の死」について、楽しくタブーなく、一緒に考えてみませんか。イベントの詳細・お申し込みは「幻冬舎大学のお知らせ」からどうぞ。
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