福島原発も全国の原発の問題も、もう先延ばししない――。急成長する再エネの今を追いながら、原発全廃炉への道筋をまとめた『原発事故10年目の真実 〜始動した再エネ水素社会』(菅直人著、2/25発売)。日本のエネルギー問題の全貌と、未来への希望が見える本書から、試し読みをお届けします。
私が「原発ゼロ」へと舵を切った経緯を改めて説明したい。
福島原発事故が起きるまで、私も日本の原発は世界的にも安全性が高いと考えていた。総理になった後も事故が起きる前は、トルコやベトナムの首脳に「原発を導入する気があるのならぜひ日本製の原発を採用してほしい」とトップセールスをしていた。その点では歴代の自民党総理と同じであった。
しかし、原発事故を経験して、原発は日本にとって危険な存在なのでなくすべきであり、当然外国にも原発を売るべきでないと考えを変えた。
事故を経験して、「原発はやめるべき」と考えを完全に変えたのだ。それはあの事故で、「原発は人間の力では制御できない」と痛感したからだ。
2011年3月11日を振り返ってみる。14時46分に東日本大震災が起きると、政府としては、すぐに緊急災害対策本部を立ち上げ、人命救助を最優先に、被害の把握、被害者の救援、避難所のケアといったことを指示し、自衛隊の派遣も決めた。揺れた地域にある原発は、すべて緊急停止したとの報告が入ってきていた。15時27分、「津波」が襲ってきた。
そして、福島第一原発が電源喪失したという一報が入った。その後のことは、『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎新書)に詳しく書いたのでお読みいただきたい。
3・11の「三つの恐怖」
当時、いま思えば、三つの恐怖があった。
第一の恐怖は原発そのものへの恐怖だ。暴走しており、どうなるか分からない。爆発もありうる状況だったので、本当に恐怖だった。原子力、つまり核分裂時に発生するとてつもないエネルギーを制御するのが原発で、瞬時に爆発させるのが原爆だ。コントロールする原発は安全だと考えていたが、そうではなかった。
第二は放射能の恐怖だ。事故が収束できなければ、大量の放射性物質が放出されることになる。どの程度の範囲の人々に、どの程度の影響があるのか、まったく分からない。専門家によって安全だとする基準も異なっていた。
第三の恐怖が、東電と経産省だ。原発を推進してきた彼らは、重大事故を想定しないですべてを決めてきたので、対応力がなかった。
経産省で、原発の事故対応をすべき原子力安全・保安院のトップが東京大学経済学部出身で、原子力の素人だったという人事がその象徴だ。原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は、さすがに素人ではなく専門家だったが、事故は起きないという前提でしかものごとを考えられない人だった。
3月12日朝、福島第一原発へ行くヘリの中で「水素爆発の危険はないのか」と訊くと、「水素が格納容器に漏れたとしても、格納容器の中には窒素が充満しており、酸素はないんです。だから、爆発はありえません」と班目委員長は断言した。しかし同日午後に1号機が爆発したので、問い質(ただ)すと、「水素爆発が起きないというのは、格納容器のことで、原子炉建屋のことではない」と言い訳する始末だ。
3月11日の原発事故発生時から、現地で何が起きているのか、東電本店も経産省も状況を把握できていないことには呆れ、怒り、時にいらだった。分かっていて報告がないのか、分からなくて報告がないのか、それすらも分からない。
さらに、今後、どうなっていくのかの予測もできない。専門家があてにならないのも、恐怖だった。
原発事故10年目の真実 ~始動した再エネ水素社会
原発ゼロは達成できる——その論拠、全廃炉へのすべて。3.11で総理大臣だった著者がこの10年でしてきたこと、わかったこととは。事故後、新エネルギーへの道を切り開いた重要な3つの政策から、急成長する再エネの今、脱炭素の裏にある再稼働の動き、全廃炉へ向けた問題と解決の全貌がわかる。