福島原発も全国の原発の問題も、もう先延ばししない――。急成長する再エネの今を追いながら、原発全廃炉への道筋をまとめた『原発事故10年目の真実 〜始動した再エネ水素社会』(菅直人著、2/25発売)。日本のエネルギー問題の全貌と、未来への希望が見える本書から、試し読みをお届けします。
このエネルギー基本計画が出てから1年も経たないうちに福島第一原発の事故となった。私は2011年3月31日に、「エネルギー基本計画を白紙に戻して見直す」と表明した。「原発を14基以上増設する」方針を白紙撤回したのだ。
それまでは事故の収束に追われていたが、この頃から脱原発への政策転換をしなければならないと決断し、その前提で布石を打っていったが、その最初のものだった。
この「白紙撤回」の表明は同じ日に2回、形を変えて行なった。
最初は共産党の志位和夫委員長との会談の場で、「福島第一原発は事故を起こしていない5号機・6号機を含め、すべて廃炉にすべき」「エネルギー基本計画を白紙に戻して見直す」と表明したのだ。
同日、フランスのサルコジ大統領が来日していたので会談した。日本政府としては、震災・津波・原発事故への対応の最中で、とても外国の首脳を招く状況にはなかったのだが、この年のサミットの議長国だったフランスのサルコジ大統領が、どうしても会いたいと来日したのだ。原発大国で推進派のフランスとしては、日本が今後、原発をどうするつもりなのか心配だったのだろう。会談の場で、サルコジ大統領は放射性物質除去装置(ALPS)の売り込みにも熱心だった。
サルコジ大統領との会談後の共同記者会見の場で、私は「原子力、エネルギー政策は事故の検証を踏まえ、改めて議論する必要がある」と述べた。
外国首脳との共同記者会見は公の場であり、そこでの総理としての発言は重い。国内だけでなく、国際的にも日本政府の公的・正式の発言として受け止められる。その場で、「事故の検証をして議論しなければならない」と言ったことは、実質的にはエネルギー基本計画を見直すという意味で、今後も2030年までに14基以上作ろうとしていた勢力にとっては、まさに水を掛けられたように感じたはずだ。
サルコジ大統領との共同記者会見も含めて、政治家の言葉は、公式の場では、どうしてもいわゆる「お役所言葉」の要素が強くなり、当たり障りのない表現になる。官僚にはそれで伝わるのだが、一般の国民には伝わりにくかったかもしれない。私としてはこの時点で、総理として「今後の原発増設は白紙」と宣言したつもりだったが、そう理解していたのは、皮肉にも原子力ムラの原発推進派たちだけで、この頃から、私への攻撃が始まった。
原発事故10年目の真実 ~始動した再エネ水素社会
原発ゼロは達成できる——その論拠、全廃炉へのすべて。3.11で総理大臣だった著者がこの10年でしてきたこと、わかったこととは。事故後、新エネルギーへの道を切り開いた重要な3つの政策から、急成長する再エネの今、脱炭素の裏にある再稼働の動き、全廃炉へ向けた問題と解決の全貌がわかる。