福島原発も全国の原発の問題も、もう先延ばししない――。急成長する再エネの今を追いながら、原発全廃炉への道筋をまとめた『原発事故10年目の真実 〜始動した再エネ水素社会』(菅直人著、2/25発売)。日本のエネルギー問題の全貌と、未来への希望が見える本書から、試し読みをお届けします。
「原発ゼロ」への政策転換を決意した後、さまざまな布石を打ったが、なかでも大きかったのが、中部電力への浜岡(はまおか)原発の運転停止要請だ。
浜岡原発には5基の原子炉がある。そのうち1号機と2号機は2009年1月の段階で運転開始から40年近くが過ぎていたため運転終了、廃炉が決まっていた。3号機は2010年11月から定期検査のため停止しており、運転しているのは4号機と5号機のみという状況だった。
浜岡原発は静岡県にあり、太平洋に面している。東海地方に大地震が起きた場合は、かなり危険だと指摘されていた。そして、東海地方にマグニチュード8程度の地震が今後30年間に起きる確率は87パーセントという数字が、国の中央防災会議で報告されたばかりだった。
5月6日に、海江田万里経産大臣が「浜岡は危険なので止めたい」と言ってきた。私もどうにかしなければと思っていたところだったので、賛成した。
と同時に、経産省が浜岡を生贄に出したなと感じた。浜岡原発の運転停止要請は、海江田大臣から経産省の松永和夫事務次官へ持ちかけたということだが、それを受けて、経産省内で、浜岡を生贄に出して、それ以外の原発は今後も運転し続けられるようにしようとの合意があったと思われたのだ。
そうでなければ、事務次官が海江田大臣の浜岡視察のお膳立てをするはずがない。経産省の事務方は、福島の事故前同様に原発を運転し続けるのは、世論の反発が強く難しいと感じ、浜岡だけを止めることで、批判をかわそうとしていると推察したのだ。
総理大臣は、事故を起こした東電に対しては原子力災害対策本部の本部長として指示することができるが、他の電力会社に対し、正常に運転している原発を止める権限はないので、どういう法的根拠とするか議論した結果、経産省が「法律上の措置ではなく、政治的な判断として中部電力に経済産業大臣が行政指導する」という案を作ってきた。
法的根拠がないとひっくり返されるおそれがあるので、私は「さらに検討してくれ」と、いったん返した。しかし、法的に運転停止を指示するのは難しく、行政指導しかないとの結論だというので、私も同意した。
国民に向けての発表は、経産大臣ではなく、総理である私が行なうことにした。政府が民間会社である電力会社に運転停止を要請するのは前代未聞のことなので、最終責任者である総理が国民に向かって発表すべきと考えたからである。もうひとつの理由が、海江田大臣に発表を任せた場合、経産省の意を汲んで、「浜岡だけを止めて、他は動かす」と発言されると困ると考えたからだ。
私は記者会見では浜岡以外の原発については、何も明言しなかった。
このことで、脱原発運動をしている人たちは、「浜岡以外を止めないのはけしからん」と批判していたようだが、あえて、浜岡以外については言及しなかったのだ。私としては、この時点ですべての原発を止めなければならないと考えていたが、政府としてはそこまでは決めていない。したがって、常識的には、「安全と認められる原発は動かしていく」方針が生きている。だが、それを明言するのを避けたのである。
運転停止は浜岡だけと考えていた経産省としては、私が発表したことと、その場で他の原発は動かしていく方針を明言しなかったことは、計算違いだったはずだ。
中部電力は、私が要請した3日後の5月9日、臨時取締役会を開いて要請を受け入れた。記者会見で水野明久社長は「総理からの要請はきわめて重いと受け止めている」と語っている。
原発事故10年目の真実 ~始動した再エネ水素社会
原発ゼロは達成できる——その論拠、全廃炉へのすべて。3.11で総理大臣だった著者がこの10年でしてきたこと、わかったこととは。事故後、新エネルギーへの道を切り開いた重要な3つの政策から、急成長する再エネの今、脱炭素の裏にある再稼働の動き、全廃炉へ向けた問題と解決の全貌がわかる。