いまも続く福島と日本各地の原発問題。急成長する再エネの現状を追いながら、原発全廃炉への道筋とその全貌をまとめた『原発事故10年目の真実 〜始動した再エネ水素社会』(菅直人著)から、試し読みをお届けします。
偶然だが、事故の起きた3月11日に、内閣として「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」(再エネ特措法、FIT法)案を閣議決定していた(国会提出は事故後の4月5日)。再生可能エネルギーの普及を目的とし、電気事業者に再生可能エネルギーで発電した電気の全量買い取りを義務化する法律だ。これを「固定価格買取制度(FIT)」という。ドイツなどで導入され、再生可能エネルギーの普及に有効だと分かっていた。
民主党が政権を獲得した2009年の総選挙では、マニフェストにこのFITの創設も掲げていた。それに沿って、経産省内で議論を重ね、2011年4月に法案として提出されたものだった。
福島の事故の有無にかかわらず、政府としては、再生可能エネルギーの普及促進を政策としていたのだ。
福島原発事故に直面し、私は内心ではすでに脱原発へ政策転換しようと考えていた。脱原発を実現するには、原子力に代わるエネルギーが必要となり、それには再生可能エネルギーしかない。そこで、この法律をなんとしても在任中に成立させなければと決意していた。
この法律で、電力会社は太陽光や風力などで発電した電力を一定期間、固定価格で買い取らなければならないと定めた。これによって、多くの企業が再生可能エネルギー事業を始めることになった。再エネを普及させるためには、発電事業者が「これなら利益が出せる」と思える価格でなければならないので、価格は高めに設定されている。最初の固定価格は審議会で検討され、太陽光発電は1キロワットあたり42円と決まった。
内閣不信任決議案が否決された後、私はいつ退陣するのかと問われた。そこで、退陣の三条件として、このFIT法、第2次補正予算、特例公債法の成立を挙げた。そして三つとも成立したので、8月下旬に辞任を表明する。
このFIT導入により、その後の再生可能エネルギー発電は飛躍的に拡大を続けた。導入以前は水力発電が全電力の10パーセント前後で、それ以外の再エネ発電はほとんどなかった。しかしこの10年間で太陽光発電を中心に再エネ発電が大きく伸び、水力を含めて約20パーセントになっている。
太陽光発電が伸びたのはFITにより、太陽光発電事業の採算が取れるようになったからだ。後述するが、今後は、耕作を続けながら農地を活用して太陽光発電をするソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)を普及させれば、理論上は、日本の電力消費量をすべて再エネ発電によってまかなうことも可能である。
だが、経産省は再生可能エネルギー発電があまりに普及すると原発の存在理由がなくなると考えているらしく、いろいろと画策している。
原発事故10年目の真実 ~始動した再エネ水素社会
原発ゼロは達成できる——その論拠、全廃炉へのすべて。3.11で総理大臣だった著者がこの10年でしてきたこと、わかったこととは。事故後、新エネルギーへの道を切り開いた重要な3つの政策から、急成長する再エネの今、脱炭素の裏にある再稼働の動き、全廃炉へ向けた問題と解決の全貌がわかる。