いまも続く福島と日本各地の原発問題。急成長する再エネの現状を追いながら、原発全廃炉への道筋とその全貌をまとめた『原発事故10年目の真実 〜始動した再エネ水素社会』(菅直人著)から、試し読みをお届けします。
私がもしあと2年、総理を続けていたら、「エネルギー基本計画」を改定し、「原発ゼロ」を明確にし、後戻りできなくしていた。
2011年6月の政局で、数か月後の退陣を余儀なくされていたので、そこまでは無理と判断した。そこで6月22日に「エネルギー・環境会議」を立ち上げ、約1年後の2012年8月までに「革新的エネルギー・環境戦略」を策定すると決めた。
この会議を野田政権が引き継いで、2012年9月14日に「革新的エネルギー・環境戦略」が決定した。パブリックコメントを導入して、国民の意見も広く聞いて、策定されたものだ。そのプロセスも内容も画期的なものだったが、その後の安倍政権が実質的に抹殺したので、忘れた方も多いと思う。
「革新的エネルギー・環境戦略」では、今後のエネルギー政策の〈第一の柱〉として、「原発に依存しない社会の一日も早い実現」を明確に掲げ、これを確実に達成するために、三つの原則を定めてあった。これにより、〈第二の柱「グリーンエネルギー革命の実現」を中心に、2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する。その過程において安全性が確認された原発は、これを重要電源として活用する〉と明記されていた。
「2030年代」というのは、最長で2039年まで、2012年からだと27年先なので、私も遅すぎると感じたが、脱原発を求める人々の多くも「即時ゼロ」ではないと批判した。
一方、原発推進派には政府の公式文書に「原発稼働ゼロ」と明記されたことはショックだったはずだ。
原発事故10年目の真実 ~始動した再エネ水素社会
原発ゼロは達成できる——その論拠、全廃炉へのすべて。3.11で総理大臣だった著者がこの10年でしてきたこと、わかったこととは。事故後、新エネルギーへの道を切り開いた重要な3つの政策から、急成長する再エネの今、脱炭素の裏にある再稼働の動き、全廃炉へ向けた問題と解決の全貌がわかる。