同じ片見里出身ということ以外、接点のなかった75歳の継男と22歳の海平。二人が出会うことで、足踏みしていた人たちの人生が動いていく。当たり前に正しく生きることの大切さが、優しく沁みる――。小野寺史宜さんの最新長編『片見里荒川コネクション』に寄せられた吉田伸子さんの書評をお届けします。
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本書のタイトルに、! となった小野寺さんのファンも多いのではないだろうか。そう、片見里といえば、『片見里なまぐさグッジョブ』(文庫化にあたって『片見里、二代目坊主と草食男子の不器用リベンジ』に改題)の、あの片見里ですよ、あの。さらにいえば、『ひりつく夜の音』の主人公が若い時につきあっていた女性の実家があるのが片見里だ。
とはいえ、本書は『片見里なまぐさグッジョブ』の純粋な続編ではない。徳弥も一時も登場するけれど、そして相変わらず二人とも物語のなかでは鍵となる立ち位置にはいるけれど、本書単独で読んでも大丈夫(でも、読んだら絶対「なまぐさグッジョブ」を読みたくなるはず!)。
物語は、七十五歳の中林継男と、二十二歳の田渕海平、二人の視点で、一月から十二月までの一年間が交互に語られている。
一月、継男は葬儀に出る。亡くなったのは、小中高と一緒だった楠原作造。作造が亡くなったことを継男に知らせたのは、星崎次郎だ。次郎は継男と違って、今でも片見里出身者たちとつながりがあり、そこから作造のことがわかったのだ。継男と次郎の他にも、葬儀に参列した片見里出身者がいて、それが小本磨子だった。
火葬場に同行しない三人は、セレモニー近くのカフェでお茶をし、越し方を語り合う。次郎と磨子は離婚して今は一人暮らし。継男はずっと一人暮らし。継男が東尾久、次郎が西尾久、磨子は北綾瀬。この三人の住居エリアの設定が絶妙だ。荒川区と足立区、東京の下町にあたるこのエリアで一人暮らしをしている七十五歳。これだけで、人物造形の輪郭が浮かんでくる。小野寺さんは、こういうところが本当に巧い。
二月、海平は地獄を味わう。一月三十一日の朝、うっかり寝過ごしてしまったため、卒論提出の締切に間に合わず、決まっていた大手運送会社への就職も、なかったことに。どうしてビールを飲んでしまったのか、どうして肝心な時に寝坊なんてしてしまったのか。マリアナ海溝より深く後悔しても、現実は覆らない。
翌日、ショックのどん底でやけ酒を飲んでいた海平は、部屋を訪れた同い年の彼女から、一方的に別れを告げられる。自身の甘さ、ダメさを指摘された上で。両親に卒業も就職もだめになったことを早く報告した方がいい、留年だって費用はかかるから、という最後の忠告を残して、彼女・叶穂は去って行く。泣きっ面に蜂どころか、泣きっ面にスズメバチ級の、海平の心境、察して余りあるけれど、まぁでも、身から出た錆ですからね。これはもう、どうしようもない。読んでいるだけで胸が痛くなるけれど、時間は戻らない。
彼女の忠告どおり、正月に帰ったばかりの片見里に帰り、両親に事の次第を報告する海平。そう、海平の実家は片見里にあるのだ。
自分に都合の良いようにちょっとだけ盛って話したものの、予想以上に父親が激怒。学費は出してやるけど、仕送りは半分に減らす、とのお達しだ。もう、このご両親の気持ちも察して余りある。そりゃそうでしょう。聞けば誰でも名前を知っている大手に就職が決まり、とりあえずは息子の将来に安堵した矢先の、この体たらく。
それでもね、この海平のお父さんがね、いいんですよ。海平にこんな言葉をかけるのだ。「せめてこれをいい薬にしろ。お前は人がつまづかないとこでつまづいた。つまづいたままで終わるな」
この後、自室に戻った海平のもとに、祖母がやってくる。その祖母の話というのが、荒川区で人探しをして欲しい、というもので、祖母から渡された手書きのメモにあったのは、「東京都荒川区東尾久 中林継男」だった。祖母は、アルバイト代だといって、海平に十万円を渡す。
ここから、海平と継男がどんな風にして出会って、その出会いが二人にどんな変化をもたらすのか、は実際に本書を読んでください。出会うはずがなかった、老人と青年の、これは小さな奇跡の物語、でもある。
小野寺さんの物語は、いつも静かで、本書もまた然り。次郎が巻き込まれたオレオレ詐欺が継男に飛び火したり、さらにその飛び火の飛び火で、海平が一日だけ探偵(ここで一時の登場だ!)仕事に同伴したり、と“事件”はあるものの、なんというか、物語の佇まいが静かなのだ。だから逆に、読んでいるうちに、登場人物たちの言動や、些細な変化がじわりじわりと読み手に染みてくる。それがいい。そこが、いい。
一月、先は短い、と思っていた継男が、十一月、先は長い、と思って終わるのと呼応するかのように、二月、先は長い、と思っていた海平が、三月、先は短い、と思って終わる。この物語の締め方がいい。それは、小野寺さんからの、だからゆっくりでいいよ、自分の歩幅で歩いて行こう、というメッセージでもある。
吉田伸子(書評家)