豪華キャストで話題沸騰中!
田中圭主演Huluオリジナルドラマ「死神さん」の配信を記念して、
原作となった大倉 崇裕著『死神さん』の内容の一部を試し読みとしてお届けします。
警察の失態をほじくり返す行為ゆえ、指名された相棒刑事の出世の道を閉ざす「死神」と呼ばれている主人公、儀藤堅忍。
現代の暗部を抉るバディ・ミステリーをお楽しみください。
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大塚東警察署刑事課のデスクで、大邊誠(おおべまこと)はスマートフォンの画面に目を落としていた。ネットのニュースサイトにざっと目を通す。目当ての話題は見当たらない。ホッと肩の力を抜いた。
刑事課には、大邊以外、誰もいない。皆、捜査のため街を駆け回っている。
「くそっ」
冷静ではいられない。無性に煙草が吸いたいが、署内は昨年から完全禁煙になった。署から一歩たりとも出るなとの厳命が下っている以上、駐車場の隅で一服というわけにもいかない。
これで二日目。イライラも既に限界だった。
「よう、相変わらずか」
地域課にいる米山(よねやま)がやって来た。年齢は同じ三十五歳、階級も同じ巡査部長だ。自他共に認めるヘビースモーカーの二人は、喫煙所で意気投合、今では時おり、酒を酌み交わす仲となっていた。
「何しに来た」
「おうおう、頭から煙が出てるぜ」
「缶詰にもいい加減、飽き飽きさ。ちょっと神経質すぎやしないか。たしかに俺は、あの事件の捜査本部にいた。ただし、道案内専門の所轄職員としてだぜ。捜査はすべて一課が取り仕切っていたし……」
「そんなことは、みんな判ってるさ。ただ上層部としては、神経質にならざるを得んのだろう。ここんとこ、マスコミには書きたい放題書かれてるからな」
「正面にレポーターの一人でも来てるなら判るぜ。人っ子一人、いやしないじゃないか。ネットで取り上げられたのも一瞬だけ。資産家とはいえ、爺さんが殺された、しかも遺産狙いの身内にだ。マスコミが飛びつくような中身は大してないぜ」
「マスコミは来なくても、死神はやって来るかもしれん」
「けっ、またその話かよ」
「おまえは気楽だよな。捜査本部にいた連中、戦々恐々としているぜ」
「無罪確定と同時に事件の再捜査を始める謎の部署。死神はただ一人の捜査員ってことだよな。そんな身内の傷を抉(えぐ)りだすようなこと、誰がするかよ」
「それをやろうってヤツがいるんだよ」
「警察官が、根拠のないデマに振り回されてどうすんだ。死神だと? バカバカしい」
乾いた革靴の音に、大邊は振り返る。刑事課の戸口に、直属の上司である山田(やまだ)課長が立っていた。
状況をいち早く察したのか、米山はさっと背筋を伸ばし、入場行進でもするかのような足取りで、部屋を出ていった。一人残された大邊は、最近、下腹が目立ち始めた山田と向き合う。
「何か?」
「署長室に来てくれ」
皮膚の表面がざわりと粟だつ、久しぶりの感覚だった。山田は大邊を待つことなく、廊下へと姿を消した。大邊はわざと少し間をおいてから、廊下に出る。署長室は一階上だ。大邊は一段飛ばしで階段を駆け上がり、上り切ったところで、山田に追いついた。正面にある署長室のドアを、山田が控えめにノックする。
「入れ」
牛島(うしじま)署長の太い声が聞こえた。
「山田です。大邊を連れてまいりました!」
大塚東警察署の建物は老朽化が激しく、署長室も例外ではない。低い天井に小さい窓、磨くだけでは取り切れない、汚れがこびりついた床。
ダークブラウンのデスクだけは署長の威厳を保っていたが、それも、通販などで買える組立式の安物であることを、大邊は知っている。
デスクの前には来客用の応接セットがあり、合皮製の硬いソファに、グレーのスーツを着た、地味で小太りの男が腰を下ろしていた。
頭髪は薄く、今ではあまり見かけない、黒縁の丸メガネをかけている。大邊はさっそく品定めを始めたが、どうにも正体を絞りこめない。
銀行員、保険の営業マン、商社マン──デパートの外商のようでもあり、それでいて、キャッチセールスの呼びこみのごとき、うさんくささも感じる。
「私、こういうものです」
男は立ち上がり、名刺を差しだした。それはかつて見たこともない、不思議なものだった。そこに記されていたのは、「警部補 儀藤堅忍(ぎどうけんにん)」という階級と名前だけ。所属部署、連絡先などはいっさい書かれていない。
儀藤は大邊の戸惑いを楽しむかのように、厚い唇を緩めた。
「警視庁の方から来ました。よろしくお願いします」
どうしようもなくなり、大邊は署長に助けを求めた。しかし牛島署長の目は、こちらの視線をわざとらしく避け、未決の箱に山積みとなった書類の側面をふらふらと漂っている。
「大邊巡査部長、どうぞおかけ下さい」
甲高い声で儀藤は言い、大邊を待つことなく腰を下ろした。状況の見えない不安に、口の中が乾いていた。腰を下ろしたものの、何とも居心地が悪い。モジモジと尻を動かすたび、キュキュと合皮が音をたてた。
「まあ、そんなに緊張なさらないで」
儀藤はゆったりとソファにもたれ、臍(へそ)の前で手を組んでいた。
「今日からしばらくの間、あなたには通常の仕事を外れてもらいます」
「は?」
「そんなに長くはならないと思います。二、三日ってところでしょう。よろしく」
「よろしくって……」
「署長の許可は取ってあります。まあ、許可が出なくとも、結果は変わらないのだけれど」
メガネの奥で、やや垂れぎみの細い目が、不気味に光った。嫌な目だった。
「待って下さい。あなたが警視庁から来たことは判りました。しかし、私にも現在、抱えている事件が……」
「そんなものは考えなくていい」
「何ですって?」
「他の者にやらせておけばいい。あなたがこれから関わろうとしている事案は、窃盗や喧嘩とはわけが違う」
「窃盗や喧嘩。犯罪であることに違いはない。儀藤警部補の言わんとしていることが、私には理解できない」
「理解などしなくてけっこう。私どもが担当するのは、一年前に起きた、星乃洋太郎(ほしのようたろう)氏殺害事件です。事件後すぐに、被害者の甥、星乃礼人(あやひと)氏が逮捕されましたが、三日前の公判で、無罪の判決が下りました。検察は控訴しない方針で、判決は確定します。あなたは、事件当時、南平和台署にいて、捜査に参加しましたね」
「ええ。ですが……」
「けっこう。では、仕事にかかりましょう」
儀藤は立ち上がり、署長に一礼する。署長はバツが悪そうな顔を隠そうともせず、小さく咳払いをして言った。
「一階に部屋を設けた。使ってくれ」
「それはどうも」
大邊は署長たちを睨(にら)みながら、敬礼も挨拶もせず、部屋を出た。悪夢の中にでもいるような心持ちだ。ついさっき米山と話していたことが、現実のものとなった。
儀藤堅忍。ヤツこそが、あの死神だ。
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