豪華キャストで話題沸騰中!
田中圭主演Huluオリジナルドラマ「死神さん」の配信を記念して、
原作となった大倉 崇裕著『死神さん』の内容の一部を試し読みとしてお届けします。
警察の失態をほじくり返す行為ゆえ、指名された相棒刑事の出世の道を閉ざす「死神」と呼ばれている主人公、儀藤堅忍。
現代の暗部を抉るバディ・ミステリーをお楽しみください。
2
大邊たちにあてがわれたのは、つまるところ、物置部屋であった。
内容物不明の段ボール箱と箒、モップ、バケツなどが押しこめられた、黴(かび)臭い小部屋のことである。
今はそれらを運びだし、会議用テーブルと椅子二脚が放りこまれていた。
中をひと目見るなり、儀藤は「フフフ」と笑う。
「物置部屋を整理したとのことでしたが、物置部屋以上に居心地が悪い」
「劣悪な環境には慣れっこってわけですか。さすが死神」
「そのあだ名、いつの間にか定着してしまいましてね。まあ、気に入ってはいるので、そのままにしています。さて……」
儀藤は椅子に座り、頭の後ろで手を組んだ。
「私の噂については、もうお聞き及びで?」
「薄々。まさか、自分が指名されるとは思っていませんでしたが」
「噂にもいろいろありましてね。尾ひれがつきすぎたものもある。ただ、さすがは警察、おおむね正確でしてね。私の職務は、無罪判決が出てしまった事件を再捜査し、真犯人を突き止めることです」
「この際だから聞いておきます。そんなことをして、何になるんです? 一年間にどれくらいの人間が逮捕起訴されているか……」
「訴訟事件の総数は、昨今の平均で七万件強」
「うち、無罪になったものは……」
「約百件」
「〇・一四パーセントですよ。その中には、正当防衛や責任能力がない場合、つまり過失が認められず無罪となったケースも含まれている。無罪になったからって、再捜査が必要なケースなんていったい、どれだけあるっていうんです?」
「付け加えるのなら、証拠不十分で無罪となった場合、一事不再理により、再捜査はできない」
「そんなこと、言われなくても判ってますよ。ですから、いったい一年に数件、あるかないかのケースのために、わざわざ部署を作って、専従捜査員を置くなんて……」
「バカバカしいと?」
「ご本人を前にして失礼ですが、その通りだと思います。最近、不祥事などで警察に対する風当たりは強い。マスコミ向けのポーズとして、形だけの部署を作った。そんなところじゃないんですか?」
儀藤は薄い笑みを浮かべつつ、大邊を見上げた。
「残念ながら違います。ポーズなどではありません。私の仕事はね、あなたがズラズラと並べ立てた文言など必要ない。ただ一文で済みます」
儀藤は右手の人差し指を立てる。
「逃げ得は許さない」
その顔はもはや笑ってはいなかった。
「どれだけ件数が少なかろうと、無罪判決の後ろには、いまだ野放しとなった真犯人がいるのですよ。そいつらをそのままにできますか? きっちりと裁きを受けさせなければ、大人しく刑務所に入っている者たちに失礼でしょう」
「……いや、まあ、失礼とまでは思いませんけど」
「被害者の無念を考えれば、マスコミなど、糞(くそ)食らえですよ」
「いや、しかし……」
大邊は本音をぶつけることにした。
「身内の誰も喜びませんよ」
「身内とは?」
「とぼけんで下さい。我々、警察組織です。無罪判決が出るということは、理由はどうあれ、我々には黒星です。特に、犯人の取り違えなんて、黒星の中の金メダルだ」
「上手(うま)いこと言いますね。まさにその通りだ」
「そうした事件はタブー扱いになって、誰も口にしなくなる。あなたは、そんな警察の傷口をほじくり返していくんだ。逃げ得はどうのとか、お題目はけっこうですが、誰も喜びはしないでしょう」
「それこそが、死神というあだ名の所以(ゆえん)ですかな」
「いや、それだけじゃありません。あなたは再捜査を始める前、かつて捜査本部に籍をおいた一人を相棒として指名する。指名された時点で、その人のキャリアはおしまいだ。だってそうでしょう? 自分たちの傷口をほじくり返す手伝いをしたんだから。堅牢な警察組織の中にあって、もうその人の生きる場所はない。だから、死神」
「それは酷い。そんなことは……」
「ない?」
「ある」
「あるのかよ!」
「とにかく、問題の事件、星乃洋太郎氏殺しについて、おさらいをしましょう。我々警察は一度捜査をして、間違えた。そのポイントを探るのです」
「はいはい。大邊誠、最後の事件の始まりぃ」
「事件が起きたのは、今から一年二ヶ月前。事件現場は、南平和台三丁目にある、星乃洋太郎氏宅。一階の居間で、一人暮らしをしていた洋太郎氏、六十二歳が刺殺された。発見者は被害者の甥である星乃礼人氏、三十二歳。用事があって被害者宅を訪ねたところ、血まみれになっている伯父を見つけた」
儀藤は事件概要すべてが頭に入っているらしい。何も見ず、スラスラと言葉が出てくる。
「被害者の死亡推定時刻は午後九時前後。礼人氏による一一〇番通報は九時三十二分。家内から現金五百万円が消えていたことなどから、強盗殺人の線も考えられたが、第一容疑者として名前が挙がったのは、発見者である甥の礼人氏だった」
大邊にしても、星乃洋太郎殺しの詳細については、頭の中に残っている。大邊は言った。
「礼人は普段から被害者と折り合いが悪く、その前夜にも言い争いをしていました。動機は充分にあった」
「礼人氏は博打(ばくち)好きで、ヤミ金に八百万近い借金があったのでしたね」
「蔵町(くらまち)金融とかいう、質(たち)の悪いところから借りていました。内臓を売れだの、マグロ船に乗せるだの、まあ、古くからある脅し文句を、毎日のように浴びせられていたようです」
儀藤は腕を組み、薄く目を閉じてスラスラと話し始める。
「被害者星乃洋太郎氏は、星乃産業を一代で興した男。六十歳で会社を第三者に売り渡し、悠々自適の生活を送っていた。妻、子供はなく、身寄りと言えば、甥の礼人氏と姪の佐智子(さちこ)氏の二人だけ」
「二人は洋太郎の弟の子供で、彼らの両親は交通事故で他界しています」
「礼人氏が十五歳、佐智子氏が十二歳のときだったとか。洋太郎氏は二人を引き取り、ずっと面倒を見てきた」
「つまり、礼人は育ての親を惨殺し、借金返済のため金を盗(と)ったと思われていた。一年後に、まさかの無罪判決が出るまではね」
儀藤は足を組み替えると、壁に立てかけてある椅子を示し、言った。
「座らなくていいのですか?」
「腰を痛めているんで。立ったままの方が楽なんです」
「判りました。少し長くなります。座りたくなったら、いつでもどうぞ」
大邊は内心、うんざりしていた。この調子でいくと、今日は残業だ。
「被害者の姪、佐智子氏は、大手旅行代理店に勤務。本人に問題はなかったが、当時つき合っていた男性には多額の借金があった」
「捜査段階でも、その点は問題になったと記憶しています」
「問題の男性は、広也乙彦(ひろやおとひこ)氏、四十二歳。太陽光発電に関係するベンチャー企業の共同経営者でした。事業も軌道に乗り、さあこれからというときに、もう一人の経営者が死亡。事業が立ちゆかなくなり倒産してしまった。その結果、一億を超える借金を背負うことになった、というのが概要です」
「そんな状況になっても、関係が続くってのがすごいですよね」
「二人は先月、結婚しましたよ。佐智子氏は、旅行代理店を退職。現在は専業主婦だとか」
「愛は借金に勝るか」
「借金は洋太郎氏の遺産でほぼ返済したようですね。うーむ、資料ではこのあたりが不明瞭なのですが、つまり、姪の佐智子氏にも伯父を殺害する動機があったことになります。なぜ、礼人氏だけが容疑者となったのでしょうか?」
「被害者が、佐智子を援助することを表明していたからです。実際、消えた五百万は、もともと佐智子に渡すものだったようです」
「なるほど。兄妹でこれだけ扱いが違う。礼人氏としては、面白くなかったでしょうね」
「この件が、礼人の殺意を強める結果になった。みんな、そう考えていましたよ」
「動機のほかに、礼人氏の犯行を裏付けるものとしては……まず、洋太郎氏宅への侵入方法」
「鍵をこじ開けたり、窓を割ったりなど、そうした痕跡はまったくありませんでした」
「犯人は堂々と鍵を開け、玄関から入った。あるいは、被害者自らが開け、招き入れた」
「礼人は、洋太郎宅の鍵を持っていました。条件に当てはまります」
「第二に、消えた五百万。当日、星乃家の者で、それだけの現金が洋太郎氏宅にあると知っていたのは、誰と誰なのです?」
「確実とは言い切れませんが、礼人と佐智子の二人だけであったと」
「ここでもその二人ですか。しかし、折り合いが悪かった礼人氏に、現金のことを話すとは思えませんが」
「話したのは、佐智子です。事件当日の午後、礼人は電話で佐智子とも口論しています。その際、佐智子が口を滑らせたようです」
「それから決定的なことがもう一つ。事件後、礼人氏は借金の一部を返済している」
「ええ。それも事件当夜、洋太郎殺害から一時間とたたないうちに、ヤミ金の事務所に五百万を届けている」
「それは、本人が?」
「いえ。本人の代理人が置いていったとか」
「代理人の身元は?」
「確認できていません」
「礼人氏に大金を託せるような友達がいたのですかね」
「その辺りも未確認です。いずれにせよ、伯父が殺害され、現場から五百万が消えた。その夜、長らく滞っていた借金の返済が同額分、なされた。これだけのことが揃っていたら、些細(ささい)な疑問なんか無視して、礼人を疑うでしょう。殺害時刻のアリバイはなし、凶器には指紋あり」
「凶器ですが、洋太郎氏宅内にあったものなんですね?」
「台所にあった包丁です。洋太郎に加え、礼人の指紋もべったりついていました」
「なるほど」
「もう一つ、決定的なものとして、自白があります。任意同行での取り調べで、礼人は犯行を認めているんです」
「しかし、礼人氏は公判で自白を撤回した」
「あれには驚きました。テレビのドラマとは違って、現実には滅多(めった)にないことですから」
「礼人氏の自白についてですが……」
ここで初めて、儀藤は椅子の脇に置いた焦げ茶色の書類カバンから、数枚の資料を取りだした。
「侵入については、鍵を使った。金の件で腹が立ったので、会って話をつけようと思った。居間で口論となり、台所の包丁で発作的に刺した。その
後、封筒に入れたまま放置されていた金を盗り、逃げた。その金は人に頼み、ヤミ金の事務所に届けさせた」
儀藤は資料の端を指で弾くと、意味深な目つきで、大邊を見上げた。その視線を大邊は受け止めきれず、腕を組んで天井を見やる。
「大邊巡査部長、捜査本部の様子はどんな感じでしたか? あなた個人の見解でけっこうです」
「かなり偏っていたのは間違いありません。発見者を疑うのはセオリーですが、調べれば調べるほど、ボロが出てくる。捜査は始まったばっかりだっていうのに、どこか安堵感のようなものまで、流れていました」
「安堵感ね……。事件は単純明快、スピード解決で鼻高々。そんなところですか」
「礼人を引っ張って、すぐにゲロしたら、もう一気にその流れに乗る感じになって」
「そこに隙があったということかな。いや、これは失礼。誤解しないでいただきたいが、私は捜査の不備を追及しに来たのではない。あくまで、真犯人を突き止めたいだけです」
「どっちでもいいですよ。礼人が無罪になったところで、責任を取る者はいないでしょう。誰とは言いませんけど、当時捜査本部長を務めていた人だって……」
儀藤は大邊の言葉など聞いていないようだった。資料に目を落とし、靴の踵(かかと)でコツコツと床を鳴らしている。
「礼人氏がなぜ、自白を撤回したのか、知っていますか?」
「詳しくは知りません。弁護士が説得したとか何とか。礼人の弁護についたのは、そこそこ名の通った先生、名前は忘れました。雇ったのは妹の佐智子です。折り合いの悪い兄妹でも、さすがに放っておけなかったんでしょうね」
「礼人氏がなぜやってもいない殺人を自供したのか、どうしてそれをひっくり返したのかは、気になりますねぇ。そして、ここが一番肝心なのですが、なぜ無罪になったのか」
「なぜ無罪になったのかくらいは、聞いていますよ。自白の信用性が疑わしいこと、もう一つ、アリバイが証明されたらしいです」
「検察庁などから引っぱりだしてきた、詳細な資料がここにあります」
「検察が? 資料を警察官であるあなたに渡した? 信じられない」
「まあ、いろいろと手づるがありましてね。私の仕事は、検察の協力なしでは、成り立ちませんから。フフフフ」
彼が検察にどんなパイプを持っているのか気にはなったが、あえて知りたいとは思わなかった。次元が違う、そんな気がしたからだ。
儀藤は大邊の返事も待たず、話し始めた。
「まず、礼人氏がやってもいない人殺しをあっさり認めた点についてですが、彼は当時、定職についておらず、借金まみれ、頼みの伯父にも愛想をつかされ、事実上、ホームレスの状態にあった」
「自棄(やけ)になっていた。社会で生きていくことに疲れた。そんなところでしょうか」
「礼人氏を犯人と決めつける、かなり強硬な取り調べもあり、あっさりと罪を認めた。強盗殺人がどれほどの罪になるか、よく考えもしないで」
「死刑の可能性だってある。特に、一審は裁判員裁判、どう転ぶか判らない」
「その通りです。同じことを弁護士も礼人氏に伝え、彼は震え上がった。そして、自供を翻した」
「凶器に指紋がついていましたよね? それはどうなりました?」
「台所にあった包丁ですから、礼人氏がさわる機会はありました。ちょくちょくキッチンで料理をしていたとの証言があります。金がないため冷蔵庫の食材を使っていたようです」
「しかし、それで無罪というのは……」
「無論です。そこで出てくるのがアリバイです。彼は被害者の殺害時刻、北池袋のバーにいました。行きつけではなく、初めて入った店だとか。証言を受け、捜査員が裏付け捜査を行ったところ、数人の目撃者が現れ、万事休す。裁判はあくまでも形だけ、無罪を追認するものだったようです。こうしたことを勝ち負けで言うのは、不謹慎かもしれませんが、つまり、警察、検察の完全なる黒星です」
「話を聞いて、余計に頭が痛くなってきました。証拠不十分で無罪ってパターンより遥かに悪い。完全な取り違え、怠慢捜査を指摘されても、無理からぬところです」
「上層部が神経質になり、あなたの外出を禁じたのも、判るでしょう?」
「そして、人身御供(ごくう)として、俺を差しだした……か」
大邊は観念して、椅子を引き、腰を下ろした。
「再捜査、けっこうだ。やりましょう」
「あなたなら、そう言ってくれると思っていた」
握手でも求められるかと思ったが、そんなことはなく、儀藤は相変わらず、椅子にちょこんと尻を乗せたまま、書類をパラパラとめくっていた。だが、メガネの奥の目は、書類の文字を追っているわけではないようだ。
どこか、もっと遠くをうかがっているような、焦点の定まらない目つきをしている。彼の頭の中では、某(なにがし)かの設計図が組み上がっているようだった。
ふいに、儀藤が顔を上げた。彼を観察していた大邊と目が合う。
「では、行きますか」
「……どこへ?」
「捜査ですよ」
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