特定危険指定暴力団工藤会の総裁野村悟被告に死刑判決、会長の田上不美夫被告には、無期懲役の判決が下されました。そもそも工藤会とはどのような組織なのでしょうか。暴力団組織には、それぞれ複雑な背景、歴史があるようです。
幻冬舎アウトロー文庫より2002年に発売された『命知らず 筑豊どまぐれやくざ一代』は四代目工藤会・会長代行を務めた破天荒ヤクザ・天野義孝の半生を描いた、荒ぶる魂のドキュメントです。一部を抜粋してお届けします。
* * *
大村航空廠での勤務を始めてすぐに…
天野は寮から工場、工場から寮の単調な生活に馴れるとともに、次第に先輩工員をおしのけて親分格になっていった。
天野の大きい態度に因縁をつけてきた男を、工具で一発殴って失神させれば、あとは文句を言う者もいない。まして話題が豊富であり、出水のカシメ時代の女のこと、田川栄町の遊郭から退学事件、それに2つの傷害事件と韓国寮のハグリなど、わいわいやるうちに話せば寮員全体の見る目も変わってくる。
1カ月もするうち、天野には舎弟分ができることになった。これまでも舎弟格は何人かいたが、正式な盃はしないとはいえ、天野を「兄貴」と呼ぶ男ははじめてである。
そうなると天野の頭は素早く働く。給料はだいたいが日給95銭だった。天野は旧制中学中退という学歴、それに明治鉱業、西戸崎鉱業所の職歴もプラスされたのか、20銭高い1円15銭である。
しかしこれでは、1カ月働いて日曜などを含めると30円にもならない。女好きの天野にとって、遊郭へ行く金に不足するなど我慢できることではなかった。
ところが工員寮の生活に馴れると、個人的な小博奕が結構行われていることがわかってきた。天野はここに目をつけた。考えはすぐ実行に移される。
工員寮の消灯時間は9時だった。植松第一工員寮から第七工員寮まで、そのほかも含めて林立した寮がぴたりと真っ暗になる。
天野はその時刻を狙った。
つまり明かりの洩れる場所に毛布を貼り、外部からはわからないようにして、オイチョカブの賭場を開いたのだ。もちろんテラ銭を取る胴元というわけである。
好きな連中が集まり出した。バレないように他の工員寮へは固く口止めしたが、天野たちの寮だけでも部屋は溢れ返るようだった。もう大成功である。
天野は舎弟分を賭場の責任者とし、新たに見張り役を置いて50銭を給金とした。9時から12時あたりまでの約3時間でも、満席で入れない工員が、入れ替わり立ち替わりやってくるから、ひと晩でかなりの金額が動き、当然ながら胴の金も溜まる。儲かった者や損した者がいても、客がいる限り胴の金は減らない。
とくに給料が出た直後の1週間ほどは盛況が続いた。
そうなると天野の遊び好きは止まらない。
「お前、盆がはねたら来い。ええ女つけて待っちょるけん」
舎弟分に言って、彼はさっさと寮を抜け出して遊郭へ行くのである。金の心配がないだけに気楽な気分だった。もちろん後からやってきた舎弟分は、その夜の報告をしたうえで、天野が予約した女を抱くわけである。
まさにどまぐれ的大成功で、天野は日々を楽しく暮らしていた。
賭場の金を奪われた天野は…
ところが賭場が立つようになって2カ月足らず、12月の半ばのことだった。
「おい、今夜も待っちょるけんな」
天野が舎弟分にそう言って遊郭に行き、女といちゃついていたときだった。まだ賭場がはねた時刻でもないのに、部屋の外で舎弟分の慌ただしい声がした。
「兄貴、兄貴、聞こえますか」
「なんや、聞いちょる」
「つかまれたんです。大きい男で、わしには歯が立たんでした」
「なにい、つかまれた?」
「はい、皆の金も全部ですたい」
「ハグリやないか。よし、すぐ行くけん、下で待っちょらんかい」
天野は着替えも早々に部屋を飛び出した。ここはなんとしてでも片をつけねばならなかった。ハグるならともかくハグられるのは口惜しいし、また自分の経験、そうして高山房太郎のことでもわかっていたように、黙認すればまたつかまれるのである。
「その大男のいる寮と名前はわかっちょるのか、これから行って始末ばつけるけん」
「寮の奴が知っとりました」
「よし、案内させろ」
天野は寮に戻るなり、こういうときもあろうかと用意していた日本刀を隠し持って、その男の寮へ乗り込んだ。道々案内役の工員から、福岡県の南部から来た男ということも教えられたが、同県出身などということで許す気分は皆無だった。
部屋の番号を訊いたところで寮の前で案内役を帰すと、天野は舎弟分に男を呼びに行かせた。まだ1時間と経ってないので、男はハグった金でも眺めながら、にやついていたのだろう、悪びれずやってきた。
「お前か、博奕の金つかんだのは」
天野は押し殺した声で訊いた。普段の天野は甲高い大声だが、こういう場面になると凄味がでる。
「おう、そうよ。文句があるなら、博奕やってましたと届けりゃええやろが」
大男で体格もいいだけに、博奕もハグリも経験しているに違いなかった。禁制の弱点をきちんと衝いてくる。
「あほか。だからちゅうてつかんでええとは限らんわい。わしゃつかまれた金を取りにきたんじゃい。返せ、貴様」
「返せるわけがなか。それともわしがあっこで博奕やっとりますと届けちゃろうか」
「お前もへらず口叩く奴ちゃな。返せいうたら返せ」
「返せん、これ以上は無駄や。文句があるなら届け出てからにせい」
男はそういうなり、問答無用とばかり、くるりと背を見せて寮へ戻りかけた。
天野はコートの下に隠し持った日本刀を取り出した。行くとなったらもう止まれない。鞘を払うと抜身を振りかぶって男の背後にしのび寄った。
冬の星空に刀身が冷たく光った。
男の歩く背中が揺れる。
天野はその肩口へ向かって、振りかぶった日本刀を一気に振りおろした。すっと藁束を斬ったような手応えがあって、日本刀はそのまま振り抜けた。
「ギャーッ」
男の悲鳴があがった。しかし男はそのまま揺れながら歩いて行く。天野が星明かりに凝視すると、男の右腕は服のなかでだらりと下がって、左手でそこを押さえようとするが、体が左右に揺れて思うようにいかないらしかった。
ゆらゆら、ゆらゆら、男は2、3歩揺れながら歩いて行って、やがて、「やられたあ、誰か来てくれい」と大声で叫ぶと同時にどどーっと倒れ伏した。静寂な冬の空に響くような大きな音だった。
後にわかったことだが、男の右腕は肩口からすっぽりと斬り落とされていた。歩いて行くときの体が俎板がわりのようになって切断されたらしい。そうして揺れながら歩いたのは、戦争で片腕を失った人によれば、左右均衡の人間の体が、片方失われたことでバランスを崩すのだという。馴れてしまえばなんとかなるが、咄嗟のときなどやはりバランスがとれないというから、男の場合も瞬間的に揺れながら歩いて、痛みに気づいたあと倒れたのだと思われる。
それにしても、前に「悪魔のキューピー」大西政寛との類似点に触れたが、前回のトンビは時代の流行としても、大西が戦後に2人の腕を斬ったと同じ腕斬り事件だった。やはり因縁めいたものを感じてならない。
一方の天野は、男が叫びながら倒れたのと同時に寮へ取って返すと、貴重品と金だけを持って脱走した。幸い大村線の最終に間に合い、行けるところまで行けとばかりに飛び乗った。そして隠れるようにして翌日は長崎本線に乗り継ぎ、佐賀、鳥栖を経て鹿児島本線に乗り、途中で時間を稼いで深夜に糸田の家に辿り着く。
しかし、母・ハルコらはすでに田川署からの連絡で事件を知っていて、いずれ憲兵隊が捜索に来るはずだという。軍属の場合、無断で3日間休めば、国家総動員法によって逃亡罪にあたるうえ、右腕斬り落としというまぎれもない傷害事件に賭博事件である。
待つのは刑務所しかないが、それでも天野はそのまま逃亡状態を決め込んだ。
命知らず 筑豊どまぐれやくざ一代の記事をもっと読む
命知らず 筑豊どまぐれやくざ一代
特定危険指定暴力団工藤会の総裁野村悟被告に死刑判決、会長の田上不美夫被告には、無期懲役の判決が下されました。そもそも工藤会とはどのような組織なのでしょうか。暴力団組織には、それぞれ複雑な背景、歴史があるようです。
幻冬舎アウトロー文庫より2002年に発売された『命知らず 筑豊どまぐれやくざ一代』は四代目工藤会・会長代行を務めた破天荒ヤクザ・天野義孝の半生を描いた、荒ぶる魂のドキュメントです。一部を抜粋してお届けします。