特定危険指定暴力団工藤会の総裁野村悟被告に死刑判決、会長の田上不美夫被告には、無期懲役の判決が下されました。そもそも工藤会とはどのような組織なのでしょうか。暴力団組織には、それぞれ複雑な背景、歴史があるようです。
幻冬舎アウトロー文庫より2002年に発売された『命知らず 筑豊どまぐれやくざ一代』は四代目工藤会・会長代行を務めた破天荒ヤクザ・天野義孝の半生を描いた、荒ぶる魂のドキュメントです。一部を抜粋してお届けします。
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中学入試に250人中3番で合格した天野。しかし…
天野家の喜びは半年も続かなかった。義孝の受験勉強で蓄えた学力がもったのは1学期までであり、学年で40番以内には入ったものの、その頃には勉強も放り出したばかりか、遊び心を抑え切れなくなってしまうのである。
遊びといっても、もう小学生のそれではない。田川の街で玉突きの面白さを覚えたのが病みつきになり、そういう溜り場で今度は、当時でいう女郎買いに夢中になるのだ。
場所は田川の栄町である。田川市は昭和十八(一九四三)年に伊田、後藤寺の二町が合併して市制施行されるから、このときは伊田の栄町だったわけだが、その頃から田川郡一帯の歓楽街として有名であり、義孝はなんとそこへ繰り出してしまうのだ。
そうして夏休みが終わった2学期、彼は学校をサボって栄町へ通い、授業が終わって徒歩通学の同級生が栄町を抜けて帰路につく頃には、通りに面した女郎屋の2階の窓から着崩した浴衣姿で彼らに向かって、「おうい、学校でなんかあったかあ」と呼びかけるのである。
驚いたのは同級生のほうだろう。
入学したのが昭和11(1936)年4月。本当に食べてしまいたいほど可愛い入学式の新入生の容姿からは想像もつかない。教師たちはよく、後に不良生徒が出ると、あのときやはり食べてしまえばよかったと冗談まじりの溜息を吐くというが、天野の場合はまさにそれだったろう。
12月が来てやっと満13歳。まだ12歳で女の味など、いくら数え年の頃とはいえ、さらに性に関してあけっぴろげな筑豊の環境や周囲の影響があったとはいえ、やはり早熟そのものであり、前述したように祖父譲りの血というしかあるまい。ともかく田川中の1年生に凄いどまぐれがおるという噂は、栄町の天野を目撃した同級生の間からたちまち広まることになった。
補導されても映画館へ
前後して何度も補導を受ける。
定年退職をした元教師らが、不良学生の監視にあたる教護連盟にもよく引っ張られた。
学校へ行かず映画館へ行く。ちょうど林長二郎(長谷川一夫)と入江たか子の「お夏清十郎」の頃である。スクリーンに惹き込まれていると、後ろからポンポンと肩を叩かれ、「学校は?」。
「見りゃわかるやろ、田川中」
「そうやない、なぜ行かんのか」
「わしの勝手やろうもん」
「なんちゅう奴か貴様は! ちょっと来い」
そういうことで補導されるが、続きを観たくてその足で映画館へ逆戻りする。
赤池─金田─糸田から田川後藤寺を結ぶ汽車通学の生徒は金田学友区と選別され、やはり風紀を監視する担任の先生がいた。痩せて色が牛蒡のようだったから、仇名はゴンボといったが、この先生にもよく職員室へ呼びつけられた。しかしここでも彼のどまぐれぶりは復讐を計画する。
お説教のはずみでゴンボが、L字型の黄色い大きな定規で彼の頭をポーンとやった。ちょうど間が悪く直角の部分が当たって、痛っと手で押さえると少し血が出ている。彼は掌に付いた血をゴンボに見せると黙って職員室を出るや家へ一直線に帰るのだ。そうして父に無実を訴えて頭の傷を見せる。
友次郎も血の気は多かった。その足で学校へ駆けつけ、「どげんして定規で叩くんか」と職員室へ怒鳴り込むのである。ゴンボの知らせで校長、教頭も出てきて、3人が平身低頭したというのも語り継がれている話だ。
中学2年で、通っている学校だけでなく地域の番長に
もちろん、朝礼のとき週に1回ある服装検査でも、彼は配属将校にど突かれることになる。なにしろ規定の制服では見栄えが悪いとばかり、学校指定の店に注文して、海軍の制服、つまり後の予科練のように上着はベルトあたりまで短くし、ズボンは裾を広くして、ポケットを横ではなく前に付けたのだ。さらに学帽もワセリンを塗ってテカテカにしてある。ど突かれないほうがおかしい。
2年生になる頃には、成績の急降下と反比例して田川中学で天野義孝の名を知らない者はいなくなった。
もちろん喧嘩もする。天野の態度に目をつけた上級生、主として金田学友区の4、5年1組、つまり進学しない者が集められるクラスだが、彼らは残る学生生活を存分に楽しむから下級生に威張り、それに対して屈しない天野をどやしつけようとしたのだ。帰りの汽車の中で、彼らが天野を取り囲み、お前の態度はなんかとなった。
相手は背の低かった彼からみればみんな大男だが、そんなことで怖じけづく天野ではない。そっぽを向いて彼らがごたくを並べるのを聞きもせず、彼はいきなり囲みを突破すると手にしていた工作袋から鉋をつかみ出し、彼らへ向かって投げつけるのだ。
鉋は1人の男の上着をかすめ、ボギッと音立てて座席の背もたれにめり込んだ。列車の座席の背が板張りだった頃だが、それで大男たちの顔は蒼ざめた。
「まだうじゃうじゃ言うかあ。なんや上級生ちゅうて威張りくさって、この野郎。やるんなら相手になってやるけん」
天野は大声のあと声を低くしてドスをきかせた。彼らはみな黙っている。
「なにも、天野、お前、悪気はないけん」
そのうち1人がバツの悪そうに言うと、彼らは顔を見合わせるようにして、やがてこそこそと後ろの車輛へ移って行った。
以後はもう怖いものなしである。
編上げ靴にゲートル巻きの規定も糞喰らえだった。特別製の制服に朴歯の高下駄を履いて闊歩しても、文句どころか注意する者は誰もいない。いわば2年生にして田川農林中学を含めた金田通学区の番長どころか、全校生が天野の闊歩を避けるようになるのだ。
なんとも恐るべき13歳であり、いってみればどまぐれは完全に萌芽しきったというべきだろう。
そのため彼は愉快な恩返しのある人助けもするが、やがてそのどまぐれぶりは退学になる事件を起こしてしまう。
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