特定危険指定暴力団工藤会の総裁野村悟被告に死刑判決、会長の田上不美夫被告には、無期懲役の判決が下されました。そもそも工藤会とはどのような組織なのでしょうか。暴力団組織には、それぞれ複雑な背景、歴史があるようです。
幻冬舎アウトロー文庫より2002年に発売された『命知らず 筑豊どまぐれやくざ一代』は四代目工藤会・会長代行を務めた破天荒ヤクザ・天野義孝の半生を描いた、荒ぶる魂のドキュメントです。一部を抜粋してお届けします。
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恐喝事件の犯人として逮捕された天野
当然ながら取り調べも厳しかったが、天野としては否認するのみである。事件としては単純であり、被害届が出ているうえ、状況証拠なども揃って検察としては起訴できるが、それにはやはり天野の自供が必要だった。それだけに天野としては、うかつなことは言えない。日々があの手この手の押し問答が続けられた。
天野としてはなんとか窮地を脱したかった。留置場での生活そのものは苦にならなかったが、水田検事と角突き合わせるように毎日を過ごすのが苦痛になったのだ。
それに較べて、留置場の寝起きにそう不自由は感じなかった。点検もなんのその、起きたいときに起き、煙草も自由である。
折りから昭和23年は、GHQの指令に基づいて旧警察法が施行された年だった。つまり、市と人口5000人以上の町村は市町村警察を設置し、それ以外を国家警察が管轄するという、自治体警察との2本立て制度の誕生である。
この旧法は占領解除後の昭和29年、現行警察法になるが、それまでは市警だ、国警だとややこしいことが続き、とくに施行された当初の1、2年は、同じ警部補でも市警と国警では格が違ったり、国警と市警にわかれたため、急普請の留置場を作ったりと笑えない出来事も多かったのだ。
天野の留置場生活も、そういう制度の岐れ目であり、なにかと指揮系統が乱れがちのところから監視も甘くなっていたといえた。
女性拘置所が満杯になると…
これよりもっと後に、天野は博多の土手町にあった福岡拘置所も経験しているが、ここでもしたい放題なのである。
場所は大手門にあるいまの検察庁の近くであり、裁判所と遠くないところといえばいいだろうか。そこもまた風紀はかなり乱れていたのだった。
折りから厳冬期であり、寒さしのぎに丹前の差し入れが大目にみられ、さすがに雪駄までは認められないから、派手な丹前にゴム草履という珍妙な出立ちで所内を闊歩するばかりか、点検もなんのその、寝たいときに寝て、起きたいときに起きる生活なのだ。もちろん煙草も自由である。
しかも土手町の拘置所は、裏に女性拘置所が隣接されていて、そこが満杯になると隣接する男たちの舎房が使用されることになるからたまらない。
満杯というのは、売春婦たちの一斉狩り込みであり、当時は彼女たちをパンパンと呼び、一斉とは路上で客を引く彼女らの不意を襲うもので、パンパン狩りとして月に一、二度行われていたが、そういうときは女性拘置所に入り切らず、男たちの本監房を使って臨時収容するといっても、それは担当台を境界にカーテンが吊ってあるだけなのだ。当然ながら彼女たちが入ってくると騒々しいのですぐわかった。
「おーい、女ご入っとるんか」
「今日は多か、2、30人はおるんと違うやろか」
「よーし、いっちょ拝み行こか」
耳敏く聞きつけた天野たちが押しかける。そうして担当が見回る隙をみては、カーテンの下をひょいとくぐって、向こう側へ入り込むのだが、彼女たちも強者であり声ひとつ立てるでもない。
「なによ、あんたたち」
「なによはないやろ、ベコ見せろ」
「はいよ。でも差し入れに来たんやないの、なに持ってきよったのよ」
「ほれ煙草、憩や」
「あら、嬉しか。はいーっ、よーく見らんとね」
まるでストリップなみに開けてみせるが、時には風呂へ入っていず臭気が発散する場合もあって、それでまた騒ぐのである。
舎弟にコンドームと注射器を差し入れさせて…
まったくいまでは信じられぬ状況であり、田川署はそれほどではないといっても、それなりの自由はあったから苦にはならなかったが、やはり水田検事の態度は不気味だった。
そこで天野は先制攻撃に移ることにした。面会はかなり自由で、差し入れも雑役に話を通してしまえば簡単である。天野は舎弟分に注射器とコンドーム3つを差し入れるように指示した。
あとは演技よく実行するまでである。翌日の午前中、取調室へ行く前に天野は注射器で自分の血を抜き取った。それをコンドーム3つの先端部分へ多めに入れ、糸できっちり絞ったうえで余った部分は切り捨て、3つの血液球として手に持ち、呼び出しに応じることにした。
「1万円を手にしたのは事実だね」
「そやから借りた……ゴホッ」
天野はコンコンと何度か咳き込んだ。水田検事が不審そうな眼で天野を見る。ゴホッ、コン、コンコン。風邪か、なんかおかしな咳やな、その眼はそう問いかけていた。自分が結核をしているだけに、咳に敏感なはずと天野が察しての演技だった。しかし、水田検事は盲腸事件があるだけに、意地でも同情の言葉はかけない。
「でも返済していない。それに貸したというほうは、出せと凄まれた言うとる」
「そりゃあ、言葉の行き違いです」
検事は調書へ眼を落としながら、なおも天野の言葉を書きとめようとしていた。
いまだ、と天野は作戦を実行に移した。手にした血液球3つを素早く口に入れ、2つを奥歯で思いきり噛み切ると、口中に溢れた血を、咽喉でググッ、コンと咳しながらガバッと調書の上に吐き出したのである。
水田検事は椅子ごと飛び上がったようにみえた。自分の手にかかった血を拭おうともせず、調書に散った鮮血と、まだ血のしたたる天野の口元を驚愕の眼で凝視しているのみだった。天野が残り1つを噛み切ってまた咳き込む。
「おーい、看守はおらんか。天野を連れて行け。それから医務の手配をせい」
水田検事がやっと叫んだ。
知略の勝利だった。というより、悪知恵の限りというべきだろうか。血を吐いている以上、医師も結核を含めた病の疑いを認めざるを得ない。その日のうちに、天野の在宅調べは決定した。
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