絶賛発売中の『読んでほしい』は、放送作家の主人公が、初めて書いた小説を、誰かに読んでほしいのに、いつまで経っても読んでもらえない、悪戦苦闘の日々を描いた物語。
主人公の緒方は、かつて「作品」を買わされた、後輩の芸術家から呼び出された―ー。
* * *
「これが最新の“愛ちゃん”です」
ムギタ珈琲店のテーブルに、忌々しい物体が置かれた。
芸術家である田川は“愛ちゃん”を量産していた。
この三ヶ月間、私は大げさではなく週一ぐらいのペースで田川に呼び出されている。その都度、様々な形の“愛ちゃん”を見せられている。
田川が作る“愛ちゃん”は、お人形に限らず、お絵かきレベルに近いデッサン的なものもあった。この日の“愛ちゃん”は、木彫りのトーテムポールのような長さ三十センチほどのものだった。
とにもかくにも田川が作り出す作品は全て“愛ちゃん”なのだ。
これも全て私のせいだ。私が「何か凄い」などと言ってしまったものだから、彼を調子づかせてしまった。彼はものすごい勢いで芸術と向き合い、作品を生み続けている。ただし、私の頭では理解できないものばかり。例えば、この作品達が商品だったとして、誰が買うのだろうか。かなりの確率で値はつかないと思う。
しかしながら否定はできない。私は芸術において素人だからだ。美術市場ではどういったものが売れるのかもわかっていない。だから簡単には否定できない。
「今回も、何か、凄いね……」
毎度毎度のセリフが出た。
何か、凄いという言葉しか出てこない私は、無力だ。
「ですよねぇ、ですよねぇぇ」
これも毎度ながら彼の自信には頭が下がる。自分の作品に何の疑いもない。強き“芸術家”であることは間違いない。
「この作品って、これからどうしていくの?」
「勿論、売るつもりです」
危険だ。彼は商人の一面も持っている。
「実際、もう売り出し中すよ」
「え? もう売り出しているの?」
「はい」
「どこで?」
「メルカリっす! メルカリぃぃ」
陽気なテンションで、田川は叫んだ。
「そうなんだ。実際いくらぐらい?」
「最初の愛ちゃんは、一万円です」
「まぁまぁするね」
ちょっと待て! “愛ちゃん”に一万円は高いだろう。
江川が言っていた餃子がお買い得に感じる。
「ほかは?」
「相場は五千円から一万円ですね」
田川は自慢気にスマホをこちらに向けた。見ると、メルカリの田川の個人ページには、びっしりと“愛ちゃん”の画像が並んでいた。
無論、SOLDの文字は一つも見当たらなかった。
しかしながら、こうも異質な物体が整然と並んでいると、迫力は感じた。
もしかすると、これが、芸術なのかもしれない。
私は画面に並ぶ“愛ちゃん”を見つめた。一つ一つ見ると違和感だらけだが、やがて全ての“愛ちゃん”に一つの共通点を見つけた。
「これ全部、ハートがついているね」
「そうすよ。それが愛ちゃんです」
「そうか……これが愛ちゃんか」
何だろう。このスッキリ感。この爽快感。様々な作品の全てにハートがついていた。と言うより、田川目線で言えば、ハートに異物がついているのだ。ただの意味不明なものではなく、彼なりの意味が表現されていたのだ。
そう考えると、芸術も面白いものだ。作品を眺めながら作者の気持ちを読み取り、自分なりに分析する。それこそが芸術の楽しみ方なのかもしれない。
ありがとう田川。少しだけ芸術の世界に足を踏み入れることができた気がするよ。よし、その気持ちで今回の作品を見てみよう。今回の作品には、果たしてどこに“愛ちゃん”がいるのかな?
『ウォーリーをさがせ!』みたいに楽しめばいいのだ。そうなれば、今度から田川に呼び出され、謎の作品を見せられたとしても、ちょっと楽しい気がする。
「緒方さん……緒方さん、緒方さん!」
田川が私の名を呼んでいる。
「……ゴメン! ちょっと考えごとしていて」
「スマホばっか見てないで、今回の愛ちゃんを楽しんでくださいよ」
「そうだね。楽しませてもらうよ」
もう大丈夫。なぜなら田川の作品の楽しみ方がわかったのだから。それでは楽しませていただくよ。今回の“愛ちゃん”はどこにいるんだ。私はトーテムポールのような木彫り版“愛ちゃん”を持ち上げ、様々な角度から眺めた。
「どうしたんですか。今回は、やたら眺めますね」
「まぁね。何か楽しみ方がわかったんだ」
「そうなんですね。嬉しいです」
田川は、いつもより大きく頷き、微笑んでいた。
しかし、今回の“愛ちゃん”は難解だ。どこを探してもハートがない。つまり“愛ちゃん”が見当たらない。どこだ。“愛ちゃん”はどこだ。私は右から左、上から下まで舐めるように“愛ちゃん”を探した。
「なんか今日の緒方さん、猟奇的ですね」
「そうかな。芸術ってそういうものだろ」
ない。ハートがない。“愛ちゃん”がいない。
どこに“愛ちゃん”はいるのだ。てか、そもそも“愛ちゃん”って何だ。もうハートでいいや。どこにハートは隠れているのだ。
見つからないのが悔しい。田川にハートのありかを聞くか。いやダメだ。負けた気がする。ここまできたら、何とか自分で見つけたい。しかし、どこを探してもハートがない。
ヒントぐらい聞いてみるか。
ダメだ。負けるな! 緒方正平。せっかく楽しみ方がわかったのだ。存分に楽しめばいい。制限時間があるわけじゃない。見つけ出すのだ。自分の力で。
「緒方さん……緒方さん」
「なになに、もうちょっと待って」
「いや、その呼び出しておいて、あれなのですが」
田川は店の壁に掛けられた丸時計を見つめた。あろうことか、お店に来て二時間も経っていた。
「部屋の片付けがあるんで、帰ってもいいですか」
田川は私から“愛ちゃん”を引き上げた。
「ちょっと待ってくれ」
私は田川の右腕を掴んだ。
「今回の“愛ちゃん”はいくらだ?」
* * *
緒方は、結局「愛ちゃん」を買ってしまうようです…
次回からは「ポッドキャスターに読んでもらおう!編」です。
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読んでほしい
放送作家の緒方は、長年の夢、SF長編小説をついに書き上げた。
渾身の出来だが、彼が小説を書いていることは、誰も知らない。
誰かに、読んでほしい。
誰でもいいから、読んでほしい。
読んでほしい。読んでほしい。読んでほしいだけなのに!!
――眠る妻の枕元に、原稿を置いた。気づいてもらえない。
――放送作家から芸術家に転向した後輩の男を呼び出した。逆に彼の作品の感想を求められ、タイミングを逃す。
――番組のディレクターに、的を絞った。テレビの話に的を絞られて、悩みを相談される。
次のターゲット、さらに次のターゲット……と、狙いを決めるが、どうしても自分の話を切り出せない。小説を読んでほしいだけなのに、気づくと、相手の話を聞いてばかり……。
はたして、この小説は、誰かに読んでもらえる日が来るのだろうか!?
笑いと切なさがクセになる、そして最後にジーンとくる。“ちょっとだけ成長”の物語。
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