絶賛発売中の『読んでほしい』は、放送作家の主人公が、初めて書いた小説を、誰かに読んでほしいのに、いつまで経っても読んでもらえない、悪戦苦闘の日々を描いた物語。
かつてのバイト先の仲間に出会った緒方、ついに「小説を読んでくれる人」に巡り合えたか!?
* * *
「違いますよ! 自分が俳優を目指していた時は、青春真っ只中ですから」
「そうだね。お互い夢を目指していた時だもんね」
何だか清々しい気分が広がった。
いつまでも、もじもじを続ける矢方君と、現在の電話番号を交換すると、意外にもお互い電話番号は変わっておらず、嬉しい気持ちになる。矢方君は仕事中のため、話を切り上げ改めて会う約束をした。
買い物を終え、妻に食材を渡した。晩ご飯のアジフライを楽しんだ後、矢方君に連絡をした。お互いが住むちょうど間の駅、本山駅で落ち合って、安価な居酒屋で軽く飲むこととなった。
「矢方君、今は何しているの?」
「僕ですか、僕はスーパーでアルバイトです」
「そうか、じゃあフリーターということ?」
私は心配気に彼に尋ねた。職業差別をするわけではないが、四十歳でフリーターというのはいただけない。私には、そういった古い考えが残っている。そんな私の心配が伝わったのか、矢方君は生ビールを一気に飲み干した。
「緒方さん。僕には夢があるんです」
「夢?」
「そう夢です」
「まさか俳優?」
「違います。先ほども言いましたが俳優はやめました。すみません! ビールおかわりください」
矢方君の声が店内に響いた。さすが元俳優。腹式呼吸ができている。店員さんからビールが届くと、矢方君はまたもや一気に生ビールを飲み干し、空になったジョッキをテーブルに置いた。
「緒方さん、ポッドキャストって知っていますか?」
「ポッドキャスト? 聞いたことないけど」
無知な私で申し訳ない。馴染みのない言葉だ。矢方君はおもむろに自分のスマホを見せてきた。画面の中にはPodcastと書かれたアプリが映っていた。
「ポッドキャストとは、インターネット上で音声や動画のデータファイルを公開するインターネットラジオの一つです」
矢方君は私にそのアプリを見せながら饒舌(じょうぜつ)に語ってくれた。
彼曰く、Podcastはアメリカで始まったサービスらしい。iPhoneの中には最初から入っているアプリの一つで、iPhoneを持っていれば無料で楽しむことができるという。実際にアメリカでは人気があり、言わばラジオ版YouTubeのようなものだという。しかし日本ではあまり浸透しておらず、市民権を得ていないことに、彼は苛立ちを感じていた。
「僕は日本でポッドキャスターになりたいんです」
「ポッドキャスター?」
「そうです。ポッドキャストで喋り、生活をしていきたいんです」
矢方君の目は血走り、何とも言えぬ迫力だった。
実際、彼はすでにいくつか番組を持っていた。番組によっては、数百から数千のリスナーが登録していた。しかしながらYouTubeと違い、スポンサーがなかなかつかないという。どれだけ面白いことを話しても、どれだけいいことを言っても、一銭にもならない状態らしい。
「だから、僕はバイトをしながら活動を続けているんです」
「矢方君はどうしてポッドキャスターになりたいの?」
「ポッドキャストが僕を助けてくれたからです」
矢方君がPodcastに出合うまでには、ちょっとしたドラマがあった。
東京に行き俳優を目指したが、その夢は破れ、十年前に名古屋へ帰郷した彼の心は空っぽになっていた。
実家に戻り、何もしない生活。
何もかもが嫌になった。仕事もせず引きこもり状態。
部屋の中で過ごす毎日。最初は大好きなテレビを見た。テレビの向こう側で活躍する俳優やタレントを見ると、吐き気がした。
自分は目の前にあるテレビという箱の中で動き回るはずだった。しかし、現実は箱の前に座り、茫然と見つめるだけ。自分の存在意義を疑い、己の小ささに嫌気がさした。
そして逃げた。彼はテレビ画面を拳で割った。拳からは血がしたたり、瞳からは涙がしたたり落ちた。矢方君はテレビを捨てた。
その後、彼はインターネットを開いた。そこではユーチューバーという新たな職種が生まれていた。画面の中で自由に駆け巡り、好きなことをする。そんな姿が美しく見えた。
自分にもできるかもしれないと思えた。
しかし、前には進めなかった。その時の矢方君には、あの小さな画面の中で動き回る勇気がなかった。YouTubeを使って、自分は何を届けたいのかわからなかったからだ。
そしてスマホ画面にあったYouTubeも削除した。
何もしない日々は続いた。世界からの隔離。自ら選んだ道。
仕方ない。自分は何ものでもないのだから。そう思っていた。
ある日、頬に蚊が止まった。自らの頬を手の平で叩いた。「痛い」久しぶりに声を出した。ふと、カレンダーを見た矢方君は愕然とした。一週間、声を出していないことに気付いた。このままではいけない。
そう思った矢方君は、部屋から飛び出した。一階にいた母親に朝の挨拶をした。母親は泣きながら、嬉しそうに矢方君を抱きしめてくれた。
その日から、母親と喫茶店には出かけられるようになった。
喫茶店に行き、何をするわけでもなく、客の会話を聞くようになった。何気ない日常。
笑い、喧嘩、痴話言など、人にはそれぞれいろんなドラマがあることを知った。そんな日常の会話の素晴らしさ、日常にある面白さを伝えたいと思うようになった。
そして、スマホをもう一度開いてみた。自分がやりたいこと、伝えたいことを発信するにはどうしたらいいのか調べてみた。そこで出合ったのがPodcastだった。テレビやYouTubeとは違う、音や声だけの世界。
自分の居場所が見つかったと思えた。
Podcastに出合い、自分はなぜ、俳優になりたかったのかも思い出した。
演じたいのではない。目立ちたいのではない。伝えたいことがあるのだということを思い出した。自分はドラマが好きなのだと気付いた。幾数余多(いくたあまた)あるドラマ。
脚本などなくていい。どんな人でも必ず持っているドラマの素晴らしさを伝えたい。そして誰しもが主人公になれることを伝えたい。そして矢方君は、自分もまた主人公なのだと思えたのだという。
「僕、カフェを始めたんです」
「カフェ? バイトをしながら?」
「はい。お店は赤字なんですが、母親と二人でカフェをやってます」
「行ってみたいな」
「今日は休みなんですが、お店覗いてみます?」
「いいの? もしよかったら行ってみたいな」
私は矢方君の誘いを受け入れた。会計を済ませ、本山駅を越え、坂道を上がった。道が進むにつれ、人はどんどん少なくなっていった。気付けば、私と矢方君しか人はいなくなっていた。空を見上げると綺麗なお月さまが見えた。
「ここです」
古い建物にカフェの看板が掛かっている。
「《なんで今さらCAFE》。なんか矢方君らしいネーミングだね」
「ですね」
はにかむ笑顔が愛らしく見えた。矢方君はポケットの中からジャラジャラと鍵の束を出した。その中から一つを取り出し、扉を開けた。
小さな扉の向こうには細長い階段があった。小窓から差し込む月明かりのおかげで階段を上ることができた。矢方君はそそくさと小走りで店に入り電気をつけた。
明るくなった部屋にはテーブルが二つ。
その一つにはマイクが二本置かれていた。その横にはパソコンが一台あった。奥にはカウンターがあり、コーヒーメーカーが置かれていた。お世辞にも広いとはいえない窮屈なスペースだった。
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読んでほしい
放送作家の緒方は、長年の夢、SF長編小説をついに書き上げた。
渾身の出来だが、彼が小説を書いていることは、誰も知らない。
誰かに、読んでほしい。
誰でもいいから、読んでほしい。
読んでほしい。読んでほしい。読んでほしいだけなのに!!
――眠る妻の枕元に、原稿を置いた。気づいてもらえない。
――放送作家から芸術家に転向した後輩の男を呼び出した。逆に彼の作品の感想を求められ、タイミングを逃す。
――番組のディレクターに、的を絞った。テレビの話に的を絞られて、悩みを相談される。
次のターゲット、さらに次のターゲット……と、狙いを決めるが、どうしても自分の話を切り出せない。小説を読んでほしいだけなのに、気づくと、相手の話を聞いてばかり……。
はたして、この小説は、誰かに読んでもらえる日が来るのだろうか!?
笑いと切なさがクセになる、そして最後にジーンとくる。“ちょっとだけ成長”の物語。
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