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ひねもすなむなむ

2021.10.08 公開 ポスト

#1 居場所を求めて辿り着いたのは、北国の寺でした。名取佐和子

自分に自信のない若手僧侶・仁心(にしん)は、岩手の寺の住職・田貫(たぬき)の後継としてはるばる高知からやってきた。田貫は供養の為ならゲームもやるし、ぬいぐるみ探しもする少々変わった坊さんだった。面倒に巻き込まれつつも師として尊敬しはじめる仁心だが、田貫には重大な秘密があり……。切なさに胸がギュッ、泣けて元気の出る小説『ひねもすなむなむ』(名取佐和子著、幻冬舎文庫)から試し読みをお届けします。

イラスト 早川世詩男

◆募集要項◆

【募集職種】  僧侶(住職候補)
【会社】    宗教法人 鐘丈寺(しょうじょうじ) 
【勤務地】   岩手県
【給与】    月給二十万円~
【雇用形態】  正社員(住み込み)
【仕事内容】  法要(法事・葬儀・納骨)の実務、事務(寺務・法要受付)、檀家・参詣者への対応、寺院の清掃等
【その他】   交通アクセス、福利厚生、勤務時間等の詳細は、面談(オンライン可)の際にお話しします。まずはご連絡ください。

担当 桜葉

*   *   *

#1 

三陸海岸を眺めて走る電車が行き着いた小さな駅のホームには、白い塊があちこちに残っていた。三月も半ばをすぎたが、この町ではまだ当たり前のように雪が降るらしい。

仁心は頬を刺す空気を胸いっぱいに吸いこみ、のびをした。

高知の市中にある龍命寺を朝早くに出て、電車と飛行機を乗り継ぎ、はるばる十三時間近くかけて辿り着いた岩手の駅だ。長時間同じ体勢で座りつづけた体の強ばりをほぐすように、腕も足も腰もまわしておく。ついでに首も、と勢いよく前後左右に倒したところ、キャップが脱げてホームに転がり落ちた。仁心はあわてて拾いあげてかぶり直し、つばを目深にしたまま、周囲を見まわす。

太めのストレートデニムにビッグサイズのパーカ、そしてロゴが控えめに入ったキャップという格好だけなら、二十五歳の独身男性の私服として、いたって普通だろう。が、地肌がくっきり見える本気の剃髪となると、人の目を引く。たいていの人から「ああ、坊さんだ」と職業を見抜かれてしまう。

幸い、仁心以外に降りた者はおらず、駅で次の電車を待つ者もいなかった。通勤通学の時間帯でも一時間に一本、その他の時間帯なら一時間半に一本しかない電車だから、利用する人は待ちぼうけにならないよう、時刻表を把握してやって来るのだろう。助かったと反射的に思ってしまう自分に嫌気がさし、仁心は空を見あげた。

──いつになったら俺は、自分が坊さんであることに自信が持てるんやろう?

日がだいぶ長くなった気がしていたが、すでに夜空だ。星がたくさん見えた。スマートフォンで確認すると、もう夜の七時近い。高知でもとっくに日が暮れている時間だけれど、仁心には岩手の夜のほうが少し早くて深い気がした。

IakovKalinin

衣と呼ばれる着物が二領に袈裟、草履、中啓という常に半分ひらいている扇、数珠、経本といった僧侶の必携道具と、わずかばかりの身の回りの品を詰めこんだキャリーケースをひいて歩くこと三十分以上、仁心の手足はとっくにかじかんでいる。凍結しかけた路面では何度もハイテクスニーカーを滑らせた。広くて立派な道路が整備されているのに、さっきから人はもちろん車とも一度も行き交っていない。ただただ暗い道を歩きつづけ、仁心はすっかり心細くなっていた。

「やっぱり、素直にタクシーを使うべきやった」

白い息とともに、弱音が吐きだされる。

本当は、駅まで車で迎えに来てもらえるはずだった。それが突然今朝になって、今回の転職活動の窓口となってくれた桜葉という人物から、住職も自分も手が空かないので自力で来てほしいと連絡が入った。最寄り駅から距離があるのでタクシーを使ったほうがいいと先方は助言をくれたが、その運賃を支払ってくれるとは言わなかった。新しい土地での急な出費に備えて節約したい仁心は、バスで行こうと考えるも、小さな駅の周辺にはバスロータリーが見当たらない。結局、交通手段は自分の足しか残っていなかった。

仁心はスマートフォンのナビゲーションアプリが示すとおり、さらに十五分ほど、車道しかない山道をあがる。あがりながら、鐘丈寺の檀家総代を名乗る桜葉が住職の名前すら正式に教えてくれていないことに今さら気づき、仁心は不安になった。とにかく「住職は多忙」の一点張りで、桜葉が面談日の調整から面談、採用通知、諸々の手続き、仁心の着任日の調整まで、すべて一人で事を進めたのだ。

息が切れ、そもそもこんな山のなかに寺なんてないんじゃないかと仁心が疑いはじめた頃、ようやくそれらしき建物がのぞく。ちょうどアプリからも「案内を終了します」との声があがった。

仁心がきょろきょろしながら建物に近づいていくと、石の柱が二本、左右に分かれて立っている。山門の代わりだろうか。ここに寺があるとわかっている人以外は、気づかず素通りしてしまいそうだ。石柱の足元には雪がうっすら残っていた。土で汚れ、もう白くはない雪だ。

寺があればあったで、汚れた雪を眺めていた仁心にふと、山門をくぐるのを躊躇う気持ちが生まれる。ひとまず山門を離れてみた。広がった視界に、石柱の脇に立つガラスケース型の小さな掲示板が入ってくる。前まで行くと、白い紙に筆文字でたったひと言“おかえり”と書いてあった。釘で引っ搔いたような右あがりの文字は読みづらく、なかなかのインパクトだ。

「なんやこれ」

思わず声が出る。今まで勤めていた高知の龍命寺にも掲示板はあった。毎月一日に“今月のひと言”を筆で書いて貼りだすのは、住職の役目だった。経典の言葉やオリジナルの文言もあったが、伝記にもなっているような偉人、現役のスポーツ選手、音楽家、画家、作家、芸人といった幅広い分野のスペシャリスト達から拝借した名言のほうが多かったように思う。いずれも趣深く、心に響く言葉ばかりだった。十五で龍命寺の僧侶見習いとなった仁心は、寺の掲示板の言葉とはそういうものだとばかり思っていた。

“おかえり”。仁心はこんな日常の挨拶でいいのかと呆れる反面、そのシンプルな言葉に自分の心の芯が撃ち抜かれるのを、たしかに感じた。

厚い鋼板が入ったように強ばっていた仁心の背中がやわらかくなる。おかげでどうにか、石柱の山門をくぐることができた。

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敷石の敷かれた参道を進む。明かりは乏しく、ほぼ闇だ。怖がりの仁心は、自分の踏んだ枯れ枝が立てた音にいちいち背を反りかえらせた。参道の両脇にはしだれた低木が並んでおり、風で揺れるたび何者かの影が走ったように見えるのも心臓に悪い。仁心は一刻も早く明るいところに出ようとキャリーケースを持ちあげ、よろめきながら敷石を飛び越えた。

草木の生い茂った参道が終わり、本堂が現れる。仁心が十年の寺生活で染みついた習慣として軽く手を合わせていると、本堂の左に広がる庭の暗がりから、とつぜん声がした。

「雨漏りがするんですよ」

仁心はひいっと悲鳴をあげかけ、あわてて口を手でふさぐ。必死に目をこらし庭を見まわすも、低木の茂みが邪魔して、声の主らしき人影は見当たらない。住職が一人で住まう寺なのだから、声の主は住職のはずだと、仁心は怯えきった自分に言い聞かせた。

「雨の日も、鐘は朝夕と撞きますから」

仁心のパニックをよそに、声はのんびり話しつづける。誰かと話しているようだが、相手の声は聞こえてこない。

「はい。それじゃひとつ、よろしくお願い致します。ではでは、また、のちほど。今日はお酒も存分に召しあがってくださいね」

仁心が声の在処の見当をつけて茂みに向かって踏みだすのと、そこから四つ足の生き物が飛びだしてくるのは、同時だった。仁心は盛大に悲鳴をあげ、バランスを崩して尻餅をつく。尾てい骨の痛みとともに我に返り、自分の前でぴたりと立ち止まった四つ足の生き物をまじまじと見つめた。

「タヌキ?」

飾りのようなふさふさのシッポ、丸みのある三角耳、毛にみっしりと覆われた顔は横に広がり、目鼻の周りに濃い色の毛が密集しているため、ことさらたれ目に見える。

タヌキらしき生き物は、黒々とした丸い瞳で仁心を見つめたまま一歩も動かなかった。

仁心もまた恐怖と痛みと混乱のせいで立ちあがれず、うわずった声をあげる。

「いや、たしかにここは、しょうじょうじやけど」

狸囃子の童謡でおなじみの“しょうじょうじ”のモデルは、千葉県にある證誠寺だと聞いている。仁心が今いるのは、岩手県の鐘丈寺。響きが同じだけで関わりはないと思っていたが、違うのか?

タヌキはいい加減にらめっこに退屈したのか、大きなあくびをしながら後ろ脚で頭を搔く。そのままずるずると尻を落として座ると、高らかに鳴いた。

「ニャア」

「え、猫がタヌキに化けた? タヌキが猫に化けた? どっち?」

仁心が素っ頓狂な声をあげたとたん、茂みの奥で、誰かがぶはっとふきだす。尻をついたまま後ずさると、「ごめん、ごめん」とあわてた声が追ってきた。低木の茂みが揺れ、携帯電話を持った細長い人影がぬらりと現れる。タヌキが嬉しそうにニャアニャア鳴きながら、その足元にまとわりついた。人影はタヌキの頭を軽く撫でてから、仁心を見おろす。

「ごめんね。電話を切ったあと君の声が聞こえて─のぞき見するつもりはなかったんだけど、あまりにおもしろくて、つい萩の木の茂みに隠れてしまった」

タヌキとの一部始終を見られていたらしい。仁心は顔を熱くしてうつむく。

「つかまって」

そう言って差し出された左手は、女性のそれのように白くほっそりとしていたが、言うとおりにした仁心の体を軽々と起こしてくれたのは、間違いなく男性の力だった。手首を返したときにのぞいた赤黒い痣と白い肌のコントラストが、仁心の目に焼きつく。

「君が高知の─」

「はい。龍命寺から来た木戸仁心です」

「ああ、よかった。到着が遅いから、道に迷ったんじゃないかと心配してたんです」

仁心はなりゆきについていけず、手を取られたまま本堂の前まで戻ってくる。明かりに照らされ浮かびあがった目の前の相手を、あらためて見た。正確にいえば、見あげた。ずいぶん背が高い。そして細い。肩幅は狭く、腰はくびれて、昔、施設で見た旅役者の女形みたいだと仁心は思った。

「はじめまして。鐘丈寺にようこそ。僕が住職の田貫恵快です」

薄い体をぱたんと音がしそうな勢いで折って、恵快は頭をさげる。仁心は耳を疑った。

「タヌキ?」

*   *   *

先を読みたい方はぜひ『ひねもすなむなむ』で!

試し読みは、まだまだつづきます。次回をお楽しみに。

関連書籍

名取佐和子『ひねもすなむなむ』

自分に自信のない若手僧侶・仁心は、岩手の寺の住職・田貫の後継としてはるばる高知からやってきた。田貫は供養の為ならゲームもやるし、ぬいぐるみ探しもする少々変わった坊さんだった。面倒に巻き込まれつつも師として尊敬しはじめる仁心だが、田貫には重大な秘密があり……。後悔のない人生なんてない。「今」を生きるための力をくれる物語。

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ひねもすなむなむ

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名取佐和子

兵庫県生まれ。明治大学卒業後、ゲーム会社でRPG制作に携わる。退社後、フリーライターとして、ゲームやドラマCDのシナリオを手がける。

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