自分に自信のない若手僧侶・仁心(にしん)は、岩手の寺の住職・田貫(たぬき)の後継としてはるばる高知からやってきた。田貫は供養の為ならゲームもやるし、ぬいぐるみ探しもする少々変わった坊さんだった。面倒に巻き込まれつつも師として尊敬しはじめる仁心だが、田貫には重大な秘密があり……。切なさに胸がギュッ、泣けて元気の出る小説『ひねもすなむなむ』(名取佐和子著、幻冬舎文庫)から試し読みをお届けします。
登場人物
木戸仁心(きど・にしん)
高知からはるばる岩手までやってきた若手のお坊さん。自分に自信がない。料理好き。
田貫恵快(たぬき・けいかい)
鐘丈寺の住職。スラっと飄々としている。供養のためならなんでもやる。
名無しくん
タヌキにそっくりな近所の野良猫。どこにでも現れる。
* * *
#3
「おばんでござんす」
「はーい」
新妻のようにいそいそ玄関へ出ていく恵快のあとに、仁心もつづいた。
土間に立っていたのは、黒のスーツを着た恰幅のいい高齢男性だ。もともとメラニン色素が多いのか、日焼けサロンにでも通っているのか、スーツの外に出ている肌も黒い。金色の腕時計がより黄金にかがやいているように見える。頭は恵快や仁心と同じくらい剃りあがっていたが、全体の風貌から剃髪よりスキンヘッドと呼ぶほうがしっくりきた。黒のスーツより紋付き袴のほうが絶対似合うと、仁心はこっそり思う。
「桜葉さん、お待ちしてましたよ。ほら、彼が木戸仁心君です。仁心君、こちら檀家総代の桜葉虎太郎さん」
「は、はじめまして」
恵快に背中を押され、おずおずと挨拶した仁心の声にかぶさるように、虎太郎が吠える。
「何度も会ってるじゃねえか、オンラインでよ」
「そ、そう──ですね」
虎太郎の迫力に押されてうなずいてしまったが、オンライン面談はほぼ顔だけしか見えていなかったので、ここまで恰幅がいいとは知らなかったし、虎太郎側のカメラに問題があったのか画質が終始粗く、肝心の目鼻立ちもぼんやりとしかわからなかった。質疑応答は事務的かつよそゆきのやりとりで、仁心に余裕がなかったせいもあり、虎太郎の人となりまでは伝わってこなかった。よって仁心は今、虎太郎にほぼ初対面の印象を抱いている。
面談のときの堅苦しさはどこへやら、虎太郎は革靴を脱ぐより先に、黒いネクタイをむしり取るようにして外した。仁心を完全に無視して、恵快に話しかける。
「いや、つかれた、つかれた。今日はつらかった。三会場フル回転だもんな。住職もおつかれさん。あ、雨漏りの件は業者さ連絡しといたから。一度、見積もりに来てもらって、あらためて護持会で相談するべ」
どうやらさっき恵快が電話で話していた相手は、虎太郎だったらしい。靴を脱ぎ飛ばしてあがると、虎太郎は手に持っていた“おくすり”と書かれた白い紙袋を、恵快に突きだした。
「はい、二週間分。忘れねえうちに渡しとく」
「いつもありがとうございます」
恵快は頭をさげて恭しく受け取る。
「通り道だからよう、会社帰りに病院さ寄って薬もらってくるくらい、たいした手間じゃねえよ。んだども、病院の先生がそろそろ診療さ来てくれっつってた。次は住職が自分で行かねえと」
恵快は確約を避けるように、ふふふと笑って剃りあげた頭を搔いた。虎太郎は外したネクタイをくるくると案外器用に丸めてポケットにつっこみ、ちらりと仁心を見る。その眼光が鋭すぎて、仁心は思わず恵快の背中に半身を隠した。
「本当に来たんだな」
「は?」
「やっぱり住職なんて柄じゃねえですって、途中で辞退するかと思ってたが」
図々しく来やがってと言わんばかりの虎太郎に、仁心の心がざわつく。
「──え、だってあなたが、俺、いや私を採用してくださったんやろう?」
「事情が切迫してるなか、応募者一人しかいねがったんだもの」
虎太郎はあっさり内実を漏らし、仁心の頭のてっぺんから爪先までをじろじろ眺めまわした。
「面談ん時の雰囲気とだいぶ違ってら。たしか、年は二十五だったよな」
「そう──ですけど」
「そったなぶかぶかの服着て、顔も声も頼りねえから、大学生のバイト坊主かと思ったわ。
あんた、あれだな。坊さんじゃなぐで、坊っちゃんだな」
虎太郎は口をへの字にして、仁心から目をそらす。太い指で白いシャツを第二ボタンまであけると、あーあ、んだから俺は直接顔見て面談してっつったんだと、これみよがしの大声で叫んだ。
ここに来ていきなりの逆風に、仁心はすっかり鼻白む。恵快が一向に気にしていない口調で、のんびり口を挟んだ。
「桜葉さん、まあそう照れずに」
いやいや、この人どう見ても照れてる感じじゃないだろ、百パーセント敵意剥きだしだろ、と冷めた目つきで虎太郎の黒光りする顔を眺めている仁心に、恵快は顔を近づける。
「仁心君もそんなに緊張しないで。誰が何と言おうと、君は今日からウチで働き、僕の死後、住職になってもらう大事な人なんだから」
「“死後”とか言うなや、住職。縁起でもねえ」
「あ、すみません。僕のなかでは予定の一つに過ぎないので、つい──」
恵快が何でもないことのように謝ると、虎太郎はようやく仁心に顔を向けた。ぎらぎら光るどんぐり眼に、仁心は十年経ってもいまだ僧侶という仕事に自信も思い入れも持てないでいる腹の底まで見透かされている気がしてくる。
「桜葉さんは、五香社という葬儀会社の社長さんをしてらっしゃるんだよ。僕の病気のことを知ってる唯一の檀家さんでもある。いろいろお世話になってます」
恵快の最後の言葉が自分に向けられると、虎太郎は分厚い胸板をそらした。
「仕事柄、お寺さんとの付き合いは密でね。持ちつ持たれつ、先代住職の頃から檀家総代を務めさせてもらってる。求人広告を出して、次の住職候補を探すなんて経験は、今回がはじめてだけどな。さて、吉と出たんだか凶と出たんだか──」
虎太郎は肩をすくめると、ぷいと顔をそむけて廊下を歩いていってしまう。仁心は呆然と見送りながら、恵快に小声で尋ねた。
「檀家さんって、みなさんああいう感じですか」
「そうだね。みんな、今生(こんじょう)を懸命に生きてる人達ばかりです」
恵快はにこにこうなずき、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)。人はみんな、覚りに至る素質が備わっ
ているんだ」と付け加えた。
「それって涅槃経の──」
生きとし生けるものはすべて仏としての種を持っている、という大乗仏教の教えだったはずと記憶を辿る仁心に、恵快はうなずく。
「日常で会う人はみんな、仏様の種だと思ってごらん。仁心君の気持ちや行動が変わるよ。
そしてその変化は確実に、仁心君の生きる力になってくれる」
無礼かつ失礼な檀家総代が今生のうちに仏の素質を磨きあげられるとは、仁心は正直さらさら思えなかったが、合掌して「はい」と言っておく。そして食堂に引き返す恵快のあとに重い足取りでつづいた。
* * *
先を読みたい方はぜひ『ひねもすなむなむ』で!
試し読みは、まだつづきます。次回をお楽しみに。
ひねもすなむなむ
自分に自信のない若手僧侶・仁心は、岩手の寺の住職・田貫の後継としてはるばる高知からやってきた。田貫は供養の為ならゲームもやるし、ぬいぐるみ探しもする少々変わった坊さんだった。面倒に巻き込まれつつも師として尊敬しはじめる仁心だが、田貫には重大な秘密があり......。後悔のない人生なんてない。「今」を生きるための力をくれる物語。