最近、SNSを開いたり、ネットニュースを目にするたび、気持ちをかき乱されることが多い。
なるべくならSNSやネットニュースを介して無遠慮に飛び込んでくる情報とは距離を置いて生きたいと思うのだが、中には有用なものも混じっているし、それらを完全に遮断してしまって、この現代社会を生きて行こうとすることにも若干の無理があるような気もしている。
なんでこうも質の悪い情報が氾濫するのだろうなあ、と考えていて、SNSもネットニュースも基本的にはタダであるということに思い当たった。
NHKを除く民放テレビもタダである。
最近、新聞を購読する人も昔と比べてかなり減っているような印象がある。多くの人がネットを介して配信される各新聞社の記事をタダで読んでいる。
タダで得られる情報には玉石が混淆している。
受け手が玉と石を選別する判断をしなければならない。
情報のタダ化が進むにつれて、受け手の責任が強まり、送り手の責任が弱まって来ているような気がする。
しかし、人々は案外、そのことに無自覚でいる。
無防備にタダの情報の氾濫の中に身を置いている。
タダで得られる情報の中にはろくでもないものもたくさん含まれているのだということをきちんと把握して生きて行きたいものだなあと思う。
ちなみに、今、貴方が読んでいる僕のこの文章もタダである。
僕がこの連載を始めて六年目に入る。
これまでに大体、150〜160本くらいはいろいろな文章を書いて来た。そのほとんどが今でもタダで読める。
昔、ムツゴロウこと畑正憲さんの番組を作っていた頃、畑さんが話していたことがある。
畑さんは当時、たくさんの動物を飼っていた。その動物たちに子供が生まれた時、最初、畑さんは、望む人がいればタダでその子供たちを譲っていたという。
しかし、いつの頃からか、その個体の市場価格に鑑みて、ある程度の金額を譲り手から頂くようになった。
その行為を批判する人もいた。
ムツゴロウさんが仔犬や子猫を売って金儲けをしている、と糾弾されることがままあった。
畑さんはそれでも、ご自分が納得するだけの金額を頂くことをやめなかった。
不思議なものでね、と畑さんは言った。タダで差し上げると、もらった仔を大切にしない人がいるんですよ。タダでもらったからといって、その仔の価値がタダなのではない。そのことをきちんと理解して頂くために僕はお金を頂くことにしたんです。
そんなふうなことを畑さんは話していた。
なるほどなあ、とその話を聞いて僕は思った。
確かに、人はしばしば、高価なものを大切にし、安価なものをぞんざいに扱ったりするところがある。
タダのものの価値をきちんと評価し、慈しむには、受け取り手の器量が問題となって来る。
その器量がある受け取り手でありたいものである。
かくいう僕は、長年、民放テレビ局で働いて、無料の放送を送り出して来て、今はこうして無料で読める文章を主に書いている。
そのことが僕の表現を奪っているところがあるなあと最近、思うようになった。
地上波テレビ局のドラマよりNetflixのドラマの方が面白いと言う人が増えているような傾向にも考えさせられるところが多い。
まあ、この連載はずっとこのまま無料で読んで頂こうと思いますが、ちょっと違うことも考えなければと思う今日この頃。
タダより安いものはない。
そして、タダより高いものはないということも忘れずに生きてまいりましょう。
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日々を丁寧に慈しみながら暮らすこと。食事がおいしくいただけること、友人と楽しく語らうこと、その貴重さ、ありがたさを見つめ直すために。