あえて無能な者に留守を任せる
ヒトラーの獄中生活は逮捕から数えても一年ほどで終わった。1924年12月には釈放されてしまうのだ。
その間、ドイツの中央政府は新通貨に切り替えることでハイパーインフレを脱した。そう決断させたのには、間接的にヒトラーの一揆が影響しているのかもしれない。さらにロンドンで国際会議が開かれ、ドイツを救済することも決まり、アメリカから多額の資金が融通された。賠償金問題も解決しインフレも解決したので、ドイツ経済は快復していった。
ヒトラーの入獄中、ナチスの党運営はアルフレート・ローゼンベルク(1893~1946)に任せられた。この人物は反ユダヤの論客として知られ、彼の代表作『二十世紀の神話』こそがナチス思想の基本となった。こんにちでは、まともな本とされていないが、ゲルマン民族の優位性を解説したこの本はミリオンセラーとなり、ドイツ民族主義、反ユダヤ思想のテキストとなった。
しかし本を書く能力と、政党の管理運営の能力とは別である。ローゼンベルクが指導者となると、党は大混乱に陥った。ヒトラーの人事は失敗したのだろうか。
ヒトラーにはローゼンベルクが知名度はあっても実務的には無能であることが最初から分かっていたようだ。ヒトラーはあえて無能な者に留守を任せたのである。自分の留守中に党が拡大してしまったら、その者に権力と権威が渡り、ヒトラーが出獄してきた時には乗っ取られているかもしれない。
ヒトラー自身が他人が作ったナチスを乗っ取った男である。それゆえに、党首という立場がいかに脆いものかを知っていた。ヒトラーとしては、自分が出獄して鮮やかに再建するためにも、留守中の党は低迷し混乱していないと困るのである──と、そこまで考えていたのかどうかは確証はないが、そういう説がある。
いまならばインターネットもあり、たとえ海外にいても即時に連絡がつくが、ちょっと前までは企業トップが長期出張に出る場合、留守中の権限を誰に委ねるかは重要な課題であった。
有能な者に留守を預ければ、乗っ取られる恐れもある。といって、あまりにも無能な者に任せて組織そのものが潰れてしまっては、元も子もない。
ナチスの場合、結果としてヒトラーが党の再建に成功したからいいようなものの、危険な賭けであった。
ヒトラーはローゼンベルクに全権を委ねると、彼との接触も避けるようになった。『我が闘争』の口述に集中していたのだ。
ヒトラーはナチスにおいても、後には国家全体においても「独裁者」なのだが、何から何まで自分で決めるタイプではなかった。大きな方向は決めるが、その後は部下に丸投げしてしまい、一切、口出ししない。自分の興味のあることにしか関心がなかった。部下の段階で決定しかねる問題があれば、いろいろな意見を出させた上で決断していた。その点においては、下の者からすると、「理想の上司」だったのかもしれない。だが、自分にとって邪魔になる者は容赦なく、粛清した。