
先月2月2日、朝日新聞の夕刊に、西村佳哲さんの著書『自分の仕事をつくる』に関する記事が大きく掲載された。書いたのは藤生京子記者。記事にはわたしのインタビューも載せていただいたが、藤生さんは同紙の「平成の30冊」という平成を代表する本を選ぶ企画のなかで、わたしが『自分の仕事をつくる』を挙げていたのを覚えておられたのだ。
この本を選んだのは、それが時代のあたらしい気分を表すものであったことはもちろん、そこには個人的な思い入れもあったと思う。『自分の仕事をつくる』の単行本が出版されたのは2003年のこと。その時わたしは広島にいて、勤めていた書店チェーンの支店で店長をしていた。
『自分の仕事をつくる』は、当時様々な仕事の現場で、ささやかに、時を同じくして芽吹きはじめた動きに、確かなことばを与えたと思う。
「たとえ〈わたし〉がいまどこにいたとしても、仕事は本来、自分でつくるものなのだ」
その当時、わたしは会社から与えられた仕事だけでは満足できず、自らの内にあったどこかへ伸びていこうとする芽を、自分でも持て余していた時期であった。わたしがこれから歩むかもしれない道のりが、ここにはきっと書かれている。最初本のタイトルを見た時、そんなかすかな予感があった。
その時から「自分の仕事をつくる」ということばは、わたしの御守になったのである。地方の店であるというハンデを逆手にとり、わたしは会ったこともない東京や京都のアーティストに連絡を取り、「広島でははじめて」という展示やトークの企画をいくつも行った。休日には福山の施設まで赴き、そことコラボしたイベントを行ったこともある。
本屋は取次から入ってきた本を売るのが本分。そうした仕事は、いずれも会社からやれといわれた訳ではなかったが、面白そうなことには体が勝手に動いてしまうものでもあって、それ以降どこにいっても、そうした「課外活動」を積み重ねた結果が、いまのTitleなのであった。
さて、実際の西村さんはとてもおだやかな人で、いつもことばを選びながら、慎重に話をされる印象がある。
そしてその声は、目の前にある口からではなく、どこかもっと体の奥、芯のほうから発せられたように聞こえてくる。決して大きくはないが、自然と耳を傾けてしまうような、深みのある声――
そのようなことを、店に来た校正者の牟田都子さんと話していたら(牟田さんは西村さんがファシリテーターを務めるセミナーで、ゲストとして出演していた)、牟田さんが「まるで森林浴をしているように感じます」と、笑いながら返してくれた。セミナーのあと、一週間はその声が耳に残っていたのだという。
森林浴とはまさにその通り! 西村さんは誰かに近づきすぎることなく、いつもその人のことを気にかけてくださるのだが、声に癒しがあるのは、そうした他人に対するまなざしが含まれているからなのだろう。
Titleが開店してまだ間もないころ、店に来た、悩める(そのように見えた)若い男性から、何かいい本を紹介してくださいといわれたことがあった。聞けば働きはじめて、まだ半年あまりだという。彼にはほかの何冊かの本と一緒に、『自分の仕事をつくる』も手渡した。いまはまだわからなくても、ここに書かれていることが、いつか腑に落ちるようになればよい。本を渡すときに、そのようなことを思ったのは記憶にある。
それ以降様々な、主に若い人たちが、Titleでこの本を買って帰った。わたしはこの本を売るたびに、この世界が個人の意志で切り拓けるものであってほしいと願う。そしていつか彼らにも〈自分の仕事〉を見つけてほしいと、親戚のおじさんのような目ですぐに見てしまうのである。
今回のおすすめ本
『ウクライナ・ロシア紀行』ヨーゼフ・ロート ヤン・ビュルガー編 長谷川圭訳 日曜社
いま起こっていることに目を背けるのではなく、そこに住む人のことをもっと知らなければならない。1920年代、オーストリアの文豪が旅した、ウクライナ、ロシアの諸都市。そこには複雑な状況の中でもたくましく生きる、人びとの姿があった。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。