大手メーカーの販売代理店で営業部長をつとめる五十嵐卓也は、社長に乞われ、業績が悪化している中小企業に出向することになる。五十嵐は社員たちとぶつかりながらも、ビジョンの共有、仕組みの構築、情報の活用、教育の強化の4つの視点で、一人ひとりの意識を変えていく。そんなある日、想像だにしなかった最大の危機が五十嵐に襲いかかる……。元リコージャパンのトップマネージャー、杉山大二郎さんが書き下ろした『ザ・マネジメント』は、最強のチームをつくり方をわかりやすく教えてくれるビジネス小説。部下や後輩を持つ人なら絶対役に立つ本書、第一章「ビジョンの共有」から一部をご紹介します。
* * *
「いいか。今月は絶対に落とせないからな。今日から数字を出していくぞ。遠山運輸の会計システム、もう2カ月も進んでないだろう。どうなってんだ」
中川が加藤を睨みつける。
「社長が忙しいとのことで、なかなか会う時間がないと」
「経営者ってのはな、会社の利益になると思えば、なんとしてでも時間を作ってくれるもんだ。会う時間がないって言ってるのは、会う価値がないって思ってるからだ」
「それは……」
「気持ちの入ってない提案だから、聞く耳を持ってもらえないんだよ! 遊びじゃないんだ。もっと気合いを入れて仕事しろ!」
「すみません」
部下を叱るというより、まるで佐伯と競い合っているかのようだ。それを大村専務が離れたところから見ていて、何度もうなずいていた。
佐伯と中川は、明らかに大村専務を意識している。
その向こう側では、公共営業課リーダーの高橋秀樹が、我関せずといった淡々とした表情でノートパソコンに向かっていた。
高橋は定年まであと5年を切っている。このまま何事もなく平穏無事にすごせればいいと考えているのか、波風を立てないように仕事をするタイプのようだ。
公共営業課はすでにミーティングを終えていた。課別のミーティングがはじまって、まだ5分も経っていない。
毎月締め日が来る大手営業課や地域営業課とは時間の流れが違うようだ。それにしてもこの温度差は気になった。その間も佐伯と中川の怒声が響き渡る。
営業部長のポジションは長らく空席で、大村専務が兼務してきた。五十嵐が就任したとはいえ、あくまでも出向者だ。いずれはハピネスコンピュータに帰るものだと思われているだろう。そうなれば次に部長になるのは、3人のリーダーの内の誰かだ。
いや、高橋は出世競争などには興味がなさそうなので、佐伯と中川がライバル関係ということになる。乱暴になりがちな言葉遣いも、競争への焦りがもたらすものだろう。
五十嵐は、腕組みをしながらミーティングの様子を見ている大村専務のところへ行くと、
「いつもこんな感じなんですか?」
溜息交じりに話しかける。大村専務がその顔に笑みさえたたえながら、機嫌よく答えた。
「なかなか活気があっていいだろう。まあ、今朝は期初だし、五十嵐部長の初日ということもあって、いつもよりだいぶ気合いが入ってるようだけどな」
「これではかえって逆効果な気がするのですが……」
さすがに初日から波風を立てることには迷いがあったが、それでも言わなければならない。
「逆効果?」
大村専務の表情が不機嫌そうなものに変わった。
「……ハピネスコンピュータと違って、うちみたいな小さな会社はなあ、きれいごとばかりじゃやっていけないんだよ」
「しかし──」
ミーティングが終わると、蜘蛛の子を散らすように、営業マンたちが外出していった。営業部で残ったのは、3人のリーダーだけだ。
五十嵐の言葉には聞く耳も持たず、話はそこまでとばかりに、大村専務も鞄を手に出かけてしまった。社長や専務のスケジュール管理をしている業務課の女性社員に外出先を尋ねると、朝礼後の2時間ほどは近所の喫茶店で朝食を取りながら、日経新聞や業界紙に目を通すのが日課だと言う。いくらオーナー企業とはいえ驚きだった。
それを聞いて溜息を漏らすと、
「誰も文句言う人はいませんからね」
年配の女性社員もつられるように苦笑しながら溜息をついた。
6 会社は夢を実現する場所
その夜、五十嵐の歓迎会を兼ねて、期初の決起会が行われた。居酒屋の2階を貸し切りにして、大村専務と営業部の3つの営業課のメンバーが参加した。
昼間の緊迫した空気を引きずるかのように、酒宴にもかかわらず今一つ盛り上がりに欠けた。どうやら無礼講とはいかないようだ。
他社からの出向者である五十嵐に対しても、なかなか距離が縮まらない。時間の経過とともに酒が進んでも、席を立って隣に座ってくる社員は現れなかった。結局、五十嵐は最後まで、大村専務や3人のリーダーたちと呑むことになった。3時間ほどの決起会が終わると、二次会に行く者もなく、早々とお開きになった。
帰宅のための地下鉄は、同じ路線を使っている本多と一緒に乗った。帰宅ラッシュの時間帯をすぎていて車内はさほど混んでいなかったので、並んでシートに座った。
本多が気を使っているのがわかる。当たり障りのないやり取りがつづく。
ふと、本多が視線を泳がせた。やがて、五十嵐をまっすぐに見つめてくる。
「言いたいことがあるんだろう?」
「い、いえ……」
「遠慮することはないさ」
意を決したように、本多が口を開いた。
「会社は夢を実現するための場所だっておっしゃってましたよね?」
「ああ。部下の夢を一緒になって叶えることがリーダーの仕事だと思ってる」
「ハピネスコンピュータでもそんなことをおっしゃってたんですか?」
まるで珍しい生き物でも見るかのような目で、五十嵐を見つめてくる。
「俺はそんなに器用じゃないからな。どこで仕事しようとも、やることは変わらないよ」
「今朝、専務とやり合ってましたね」
「やり合ったわけじゃない。問題点について、ちょっと指摘しただけだ」
「だけど、今までは専務に面と向かってあんなことを言った人はいませんでした」
「そりゃあ、みんなは大村事務機の社員だからな。オーナー企業の経営陣に意見するのは難しいだろう。こういう言い方をすると誤解されるかもしれないが、それこそ俺のような立場の者の仕事だと思ってる」
「帰る場所があるから……」
言いかけて、その非礼さに気づき、
「……すみません」
本多があわてて詫びの言葉を口にした。
「いや、いいんだ。実際、そうなんだからな。でも、これだけは信じてほしい。俺は決して腰かけのつもりで大村事務機に来たんじゃない」
本多が黙ってうなずいた。
「考えたこともありませんでした」
「えっ?」
「夢なんて、子供が見るものだと思ってました」
「そうか。でもな、今からだってまだ間に合うだろう」
「まだ、間に合うのかな……」
本多が目を伏せた。
「娘さんのことだっていいんだぞ」
五十嵐の言葉に、本多が驚いた表情を見せる。
「なんで私に娘がいることを?」
「そりゃ、人事ファイルには家族構成が書いてあるからな」
本多がさらに驚いたように、目を見開いた。
「まさか、営業部全員の家族構成を覚えたわけじゃないですよね?」
「もちろん、全員覚えたよ。部下の人生にどれだけ深くかかわれるかが、リーダーの大切な条件だからな」
「それにしたって……」
「全員っていったってせいぜい30人程度だ。さすがにハピネスコンピュータにいたときは全員ってわけにはいかなかったけどな」
「五十嵐部長は、驚いた方ですね」
「娘さん、2歳なんだろう。かわいい盛りだよな。うちの下の子と一緒なんだ。うちは娘が2人で、これから先が大変だよ」
「うちの子もほんとに元気で。妻に似て、おてんばになりそうで、先が思いやられますよ」
そう言いながら、本多が本当にうれしそうに微笑んだ。
──なんだ、こんなふうに笑うんじゃないか。
歓迎会ではついぞ見せなかった笑顔だった。
「毎週水曜日は、ノー残業デーにしようと思うんだ。早く帰って、子供を風呂に入れてやりたいだろう?」
「今だって、残業は禁止なんですよ。でも、それは残業代削減が目的であって、実際は定時に帰れることなんてありませんけど」
「これからはサービス残業は一切認めない。本当に必要な仕事なら、きちんと残業を申請してやってもらう。その代わり、水曜日は絶対に残業なしにする。サーバーの電源を強制的に落としてネットワークに入れなくして、仕事ができないようにするから」
五十嵐が悪戯っぽい笑顔を見せる。
「部長がもう少し早く来てくれたら、いろいろなことが変わっていたかもしれませんね」
「これから変えればいい。一緒にやろうぜ」
五十嵐の力強い言葉に、本多はふたたび小さくうなずいた。
ザ・マネジメント
大手メーカーの販売代理店で営業部長をつとめる五十嵐卓也は、社長に乞われ、業績が悪化している中小企業に出向することになる。五十嵐は社員たちとぶつかりながらも、ビジョンの共有、仕組みの構築、情報の活用、教育の強化の4つの視点で、一人ひとりの意識を変えていく。そんなある日、想像だにしなかった最大の危機が五十嵐に襲いかかる……。元リコージャパンのトップマネージャー、杉山大二郎さんが書き下ろした『ザ・マネジメント』は、最強のチームをつくり方をわかりやすく教えてくれるビジネス小説。部下や後輩を持つ人なら絶対役に立つ本書、第一章「ビジョンの共有」から一部をご紹介します。