幻冬舎plus人気連載『カニカマ人生論』が書籍化されました!
“人生論”だけに、清水ミチコさんが背中を押してもらった「名言・迷言」の数々がちりばめられています。「背中を押すどころか、むしろヒクような話もたくさん」と清水さんは冒頭で書かれていますが……発売を記念して「よりぬき カニカマ人生論」をお届けします。
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映画「ゴッドファーザー」をテレビで観ました。初めて観たのは中学1年生で、以来なぜかテレビでやってれば繰り返し観てしまい、かれこれもう8回くらいは観たかもしれません。マリオネットがアイコンになったイタリアンマフィアの映画なのですが、だいたい私はお爺さんが好きだし、映画に出てくるファッションやインテリア、車に至るまで自分好みの世界なのでした。栄光を掴んだぶん、必ず暗い影がついてまわるという人生の縮図もすごくいい。かの有名なテーマ曲も陰→陽→陰と、陽をはさむことで悲しみをさらに引き立たせてあります。考えてみれば悲しみってホント不思議ですよね。音楽にしろ、映画や絵画にしろ、マイナスな感情なのになぜ強く惹かれてしまうのでしょう。
ところで私は若い頃、ちょっと気がゆるめば風邪でもひくかのように、やたらとふさいでしまう時期がありました。まだ20代前半、バイトをしてた頃の話です。ある日、私が尊敬してる林のり子さんから「清水さんは時々、フッと元気がないように見えるんだけど、何かあったの?」と言われたことがあり、気にかけてくれてる人がいる、ということだけでも救いになりました。孤独も感じてたのですが、視線は愛情に似ているのか、その言葉だけでも本当に嬉しかった。
その頃に持っていた漠然とした「面白くない」という気持ちを、うまく口にするのは難しかったのですが、「何をやってもうまくいかなくて、つまらないんです。一生懸命やってるつもりなのに」と、言っても仕方のないようなことを言ってしまいました。それでも心のどこかでは(裕福で美人、教養もある林さんに、私の気持ちなんかわからないでしょうけれども)とも思っていました。きっとサッとなぐさめてくれるのかな、と思ってると、「どんな人だって幸せにはなれないようになっているのよ」という意味のことをあっさり言うではありませんか。え。「世の中はむしろ、うまくいかないようにできていることを知ってた方がいいですよ」と、明言されたのにびっくりしました。思わず二度見しました。
私がかけてもらうのは、ありがちな言葉で充分だったのです。それなのに魂というか、実感のこもった言葉を投げてくれ、たじろぎました。私はなんとなく、世界とは偽善じみたものや言葉で構成されていると思ってたし、これからもそういうものに包まれて生きていくのだろう、とばかり思ってたのです。
「だから、立てた予定が思い通りうまくいった時や、たまにいいことがあったなんて時にはうんと喜ぶようにするといいです」。私はこの言葉がいまだに忘れられません。「努力すれば報われますよ」「明日を信じて頑張りましょう」ではないのでした。この言葉を、いまだに何年もガムのように噛んでいます。まだ味がするすごいガムです。
言われてみれば、確かに幸せそうな人はいるけど、それは長くは続かないようになっているようだし、たとえどんなに幸せな家庭があっても、たいてい一過性であるという現実があったりして。私にはまわりばっかりが幸せに見えて、自分だけ不公平な思いをさせられていると感じてたけど、自分だけではないのか? 誰もが儚い時間を並列に過ごしているのかもしれない。私にそんなことを教えてくれた彼女も、私みたいに不満を愚直に顔に出さないだけなのかもしれなかったのでした。
中年を過ぎた今も思います。不運なことが多い世の中だからこそ、喜びは見出せるということ。若い頃は私だっていつかは幸せになれる、と思ってたけど、そういうものでもないらしい。幸せにはなれないようにできているから、一瞬の笑いも生まれるのかもしれません。もしも清廉潔白な、心優しき政治家がいて、本当に幸福な社会になったら、皮肉の一つも言えない。そう思うと、天国ではきっと幸福状態ゆえに、冗談もいらないため、ちっとも笑えず、逆に地獄はタチの悪いような冗談や笑いでいっぱいかもしれませんね。まずまずの不運の中にいるけれども、時折光がさす時がある。それで充分なんだわ、と思うようにすることで、ものすごく気が楽になったものでした。後ろ向きな言葉のようでいて、私にとっての一生のガムになったのです。
ところがです。その十数年後に彼女に「あの時、こう言ってくださったことが、私にとっていかに救いになったか。ありが……」と、私がお礼を言おうとすると、「言ったかしら? そんなこと」と、不思議そうだったのにこっちが驚きました。マジすか。メモしてたんだけどなあ。もしかしたら、私の中でいつのまにか思い出を都合のいい方向にねつ造していたのでしょうか。それとも、寂しい私に彼女を介して天が与えてくれた小さな恵みだったのでしょうか。単に林さんが忘れてるのかもしれませんが。それでもいつの世も、またいつの夜も、地球はやんわり悲しみに満ちている、と知ってた方が救われます。そしてそれだからこそ、人は明るく生きようとしてちょうどいいんですね。
病原菌は蔓延する、隣の国からミサイルは飛ぶ、戦争は勃発するなど、最近もマイナスなニュースの方が目立ちますが、それでも今日もおいしいコーヒーを淹れることができていることも同列に実感したいものです。人は泣きながら世の中に出てきて、旅立って行く時はまわりの人間を泣かせる、という永遠なるルーティンを考えると、人生はあらゆる感情の中でも、「悲しみ」とだけはより深い縁で結ばれているものなのかもしれませんね。