世界屈指の「無宗教の国」とされる日本。しかし初詣は神社に行き、結婚式は教会で、葬式は仏式で、というのは一般的です。日本人にとって宗教とはどのようなものなのでしょうか。伝統宗教から新宗教、パワースポットや事故物件、縄文などの古代宗教。さまざまな観点から日本人と宗教の不思議な関わりを解き明かす『宗教と日本人』(中公新書)より、一部を抜粋してお届けします。
豊かに語られる縄文人の心と信仰
近年の縄文文化をめぐる動向としては、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産登録運動が重要だろう。2019年末に同物件の推薦が閣議決定され、順調にいけば、2021年夏にユネスコ世界遺産委員会で審議される見込みだ(編集部注:審議の結果、世界遺産に登録することが決定しました)。その構成資産となる各地の遺跡では、縄文人の心や信仰が実に豊かに語られる。
秋田県鹿角市の大湯ストーンサークル館には、夏至の日に縄文人が儀礼を行う姿を想像して描かれた絵がある。縄文人たちが輪になって座り、中心には太陽に向かって両手を掲げる人物がいる。絵の右上には、「大湯遺跡の祭りのクライマックス。特別な立場の人物が環状列石の中心に座り、特殊組石の立石の向こうに日が沈むのをみとどける。先祖の墓からなる舞台装置の中で、参加者の意識は高揚する」という説明文が添えられている。太陽崇拝と先祖祭祀が読み込まれているのである。
北海道千歳市には、縄文時代後期に造られた集団墓「キウス周堤墓群」があり、墓の中から赤い顔料が見つかっている。千歳市埋蔵文化センター展示室の説明板では、赤は太陽や血の色であるため、縄文人が死者の再生を願って撒かれたものと推察されている。他にも、石棒は男性のシンボルで特別な霊力を持ったシャーマンが所持したもの、子供の足形のついた土版は死んだ母親に持たせたものといった具合に、縄文人の信仰と実践が解説されるのだ。
2018年7月には、NHKで放送された『歴史秘話ヒストリア』の「縄文一万年の美と祈り」で大島直行の主張が参照され、縄文人の月信仰が詳しく紹介された。また、岩手県の御所野縄文博物館では、世界遺産登録運動のための一連の講演会が行われ、大島も登壇している。
講演内容は、同博物館編『環状列石ってなんだ』(2019年)に収められているが、そこでも、「「月」と「子宮」と「水」と「蛇」の関係が、一連のものとしてシンボライズされているのは、世界中で常識となっています」と主張され、縄文土偶だけでなく、イースター島のモアイ像も、妊娠した女性が月を見ている姿であるといった解釈が披露されている。
現代社会への不満と表裏一体に投影される縄文のイメージ
興味深いのは、ケルトにも見られたように、想像力で復元した縄文文化が現代人にとっての規範やアイデンティティの源泉とみなされ、それが世界遺産の推薦書原案のような公的な文書にも見られることだ。
世界遺産登録のためには、その物件が他にはない顕著な普遍的価値を有することを示す必要がある。2013年の推薦書原案では、縄文には「堀(濠)や防御施設のない協調的、開放的な社会の継続的な形成」が見られ、農耕牧畜とは異なる「縄文里山の成立による持続可能で自然資源の巧みな利用による定住を実現」したことが、普遍的価値の源泉として述べられている。
そして、縄文人に学ぶためのワークショップが、各地の博物館で開催されている。御所野縄文博物館では、各種の「縄文体験」が準備されている。教育関係者用のパンフレットでは、木の皮のストラップや植物の繊維のコースターを作ることで、「縄文人は季節に合わせて上手に生活していた」といった学びがあることが強調される。青森県の三内丸山遺跡にも同様の体験プログラムがあり、季節ごとに祭りも開催されている。
人類学者の古谷嘉章は、ブラジルのアマゾン地方の住民に、彼らのルーツではない先史時代の文化の土器のレプリカを作るといった「先史文化の現代的利用」が見られることに着想を得て、現代日本で縄文が消費される現象に注目している(『縄文ルネサンス』)。
確かに博物館による縄文体験プログラムや縄文まつりは全国各地で開催され、他にも、地方自治体による縄文文化を利用したまちづくり、人材育成、広域ツーリズムの創出などもある。さらに縄文からインスピレーションを得たミュージシャンや芸術家によるフェスやイベント、土偶をデザインした縄文グッズ開発など、例を挙げればきりがない。
古谷はこれらを「知らなかった縄文文化(のモノ)に、気づかなかった価値を見出し、現代社会で生きる私たちの生活に活かす、多種多様な現象」として総括し、「縄文ルネサンス」と名づけている。重要なのは、縄文ルネサンスの興隆は現代社会への不満と表裏一体で、「「問題含みの現在のイメージ」と「縄文イメージ」がネガとポジの関係にある」という指摘だ。現代社会は平和ではなく、格差が広がり、環境が破壊されていると感じる人々が、その対極を縄文に見出すのである。
信仰なき信仰構築
考古学者の山田康弘によれば、縄文時代後半には階層社会が出現した可能性がある。また、縄文人の遺骨の多くに傷痕がないことを理由に、縄文に戦争はなかったなどと言われるが、これまで発掘された遺骨はごくわずかで、むしろ、それらに石斧で打撃を加えられた頭蓋骨などが一定数含まれることを考えると、縄文にも暴力は当然あったとしか言えないという。さらに、食糧のほぼ全てを自然に依存していた縄文人には自然との共生以外に選択肢はなく、環境保護思想があったわけでもない(『縄文時代の歴史』)。要するに、堕落した近代社会と理想的な古代社会という対比が繰り返されているのである。
第2章で取り上げた写真家エバレット・ケネディ・ブラウンも、著書『失われゆく日本』を「縄文のコスモロジー」という章で結んでいる。それによれば、縄文人は土器や土偶などのものづくりを通して神や「絶対の世界」といった「大いなるもの」を見ており、そうした中から信仰が生まれてきたかもしれないという。遠く隔たった他者の信仰であるからこそ、自由に語れる。宗教的なのは古代人ではなく、古代人の信仰を想像的に作り出して規範とし、時にそれに基づいた実践を行う現代人なのである。
エリアーデであれば、葬式の祭壇の装飾や焼香の所作に無数の再生を願うシンボルを見つけ出し、地鎮祭は天地開闢の反復であると読解するだろう。そして、東京スカイツリーは世界の柱で、天空的祖型への憧憬だと論じ、周囲を流れる隅田川、旧中川、荒川は蛇のシンボリズムだと指摘してみせるかもしれない。しかし、こうした議論は、現代社会への不満や批判が、古代人という想像上の他者に仮託されて噴出したものである。
そして重要なのは、自らの信仰が他者に重ねられるわけではないことだ。自分が一度として信じたことのない信仰が、古代人をはじめとする他者の信仰として語られるのだ。現代宗教として注目すべきなのは、語りえぬ他者の信仰を想像し、それがいかに社会的に共有されるか。つまり、世俗社会の信仰なき人々によって信仰が作られる過程そのものなのである。
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この続きは中公新書『宗教と日本人』をご覧ください。
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宗教と日本人
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