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さすらいの自由が丘

2022.12.02 公開 ポスト

死に怯え、自由が丘を暗くして、同級生ノンちゃんに逮捕される(前編)今村三菜(エッセイスト)

唐突だが、バウハウス以降、世の中の建築物やその内装は直線的に、シンプルかつ機能的になり、無駄な装飾が排除された。これがモダンデザインとなった。IKEAの家具などを思い浮かべてもらえばいいだろう。猫足のテーブルやイス、花柄のヒラヒラのカーテンなどは、バウハウスの対極にあるといえるだろう。

そして、シンプルでスッキリが大好きな私は、四角くくて真っ白な壁のマンションに住み、また、狭い空間を少しでも広く見せようと、壁と同じ真っ白なカーテンをリビングにも寝室にもつる下げた。

 

 

去年の今頃、伯父(呼称・ちんちん)の奥さんである義理の伯母が亡くなった。実は、伯父が奥さんを亡くすのは、これが2度目だった。伯父の最初の奥さんは、とても若くてTVのコマーシャルに出ていたとても美しいチャーミングな人だった。伯父は若い頃CMプランナーをしていた。伯父の奥さんは、臨月になって赤ちゃんが産まれそうになったので、「行ってきまーす」と、大きなお腹で元気に病院に向かったが、赤ちゃんをお腹の中に入れたまま、分娩室で亡くなってしまったのだ。

その当時の気持ちを伯父が教えてくれた。歩いていても寝ていても、胸に大きな穴が空いていて、そこをヒュウヒュウと冷たい風が吹き抜けるようだったと言っていた。

伯父が、最初の奥さんを赤ちゃんごと亡くしたのは、私が2歳3ヶ月のときだった。生まれて初めて見た伯母のお葬式と斎場の様子は、異様な光景として、幼い私の頭に焼き付いてしまった。

その日、母の実家に行くと、いつも私たちが寝る8畳の和室の畳の並べ方が変わっていた。いつもは、縦、横とパズルのように並べていた畳が、全部、縦になって4枚づつ2列に並べ変えられていた。(この畳の並べ方は、不祝儀の時にするのだということを、これを書くにあたって、調べて知った)

次に覚えているのは、四角い長い木の箱が祭壇に向かって垂直に、置かれていたことだ。その両側に2列になって、黒い着物を着た人たちが、祭壇の方に向かって座っていた。

その次の記憶の映像は、薄暗い広い空間だった。提灯がたくさんついていたのでお祭りかと思ったが、お祭りにしては、妙に静かで異様な感じがしたのを覚えている。銀色の台の上に乗った何かを、箱の中にみんなで入れていた。向こうの方でも同じ様にしている人たちがいた。その様子を見ている記憶が高い位置から見た光景だったのは、父か母が私を抱っこしていたからだと思う。

前の方に見える壁には、黒い観音開きの扉が5ヶ所くらいついていた。私たちが、そこを立ち去る時、その扉の一つが閉められ、ガシャーンという大きな金属音がし、そのあとかんぬきがかけられ、真ん中に丸い輪っかがあり、それを人がキュッキュッキュッと回して、扉を閉める音まで耳に残ってしまっているのだ。

2歳3ヶ月の私には、頭にこびりついた映像と音が何を意味するのかわからなかったが、大きくなるにつれ、人にその時のことを聞いたりして、わかるようになった。

それらは、伯母のお葬式と斎場の様子であった。一つ一つわかるにつれ、私は怖くなった。箱の中には伯母の遺体が入っていたこと。黒い扉の中で遺体を焼いたということ。わかるにつれ、恐怖は増し、「死」について考えるようになった。考えるというより、私の回りには、「死」で溢れかえっていると思った。

しわくちゃのおばあさんを見ても怖く、踏んだらパリパリと音がして粉々になっていく枯葉にさえ、「死」を感じた。

母にその恐怖を一生懸命に訴えたが、幼い私の言葉が拙いのと、母が、2年ごとに生まれた妹と弟の世話で忙しいので、私は母に思っていることを理解してもらえなかった。

悪夢も見た。斎場で黒い扉の側に片付けてある、棺をのせる金属のキャスターに、ロンパースを着た妹がヨチヨチと近づいて行ってしまうので、母に「まゆちゃん(妹)を連れに行ってー。お願い、お母ちゃま、お母ちゃまー」と言っても、母がわかってくれないので、自分で走って妹を連れに行く夢。怖くて泣きながら、飛び起きた。

小学生になると、母の実家に泊まるとき、「このお部屋の畳は取り替えたの? お葬式の時の畳なの?」と言って、母を困らせた。棺があった辺りの場所には寝られなかった。母の実家では、いつも、寝るときに母に手を繋いでもらいたかったが、母の両隣りには、妹と弟がいて、私には繋いでもらう手がなかった。

私は、目を瞑るのが怖かった。目を閉じたら、焼かれるのではないかと怖くて寝られずに泣いた。「お母ちゃまー、お母ちゃまー」と泣いても、母は、小さい妹と弟の世話で忙しかった。

大きくなるにつれ、夢の内容は悪くなるばかりで、ついに、母に「今日は斎場に泊まるわよ」と言われ、「いやだー、いやだー、うちに帰りたい。お母ちゃまー」と叫びながら母を揺さぶるという夢を見るようになった。「ダメよ。今日は、ここに泊まるのよ」と、母に言われ、私は「もうダメだ」と思い、全力で斎場の外に向かい、フェンスを乗り越え、暗闇の中に飛び込んで行く。暗闇の中に、わーっと飛び込んだところで、いつも夢から醒める。汗をびっしょりかいて、ベッドから起き上がると、安心すると同時に無性に母に腹がたった。

 

私は、今でも寝るのが怖い。

大学生になり、母方の祖父が亡くなった。平野威馬雄という仏文学者だ。初めてのごく近い身内の闘病から臨終の瞬間、葬式、そして、お骨になってしまうところまで全部寄り添った。

祖父が冷たくなってしまい、呼んでも触っても物のように動かないというのは、本当に怖かった。大きな声で笑い、「ミナやー」と呼んでくれる祖父の中身はどこへ行っちゃったのだろうか。雲散霧消して消えてしまったのだろうか。生が無になるのだろうかと思うと、生きているのも怖くなった。「死」は永遠の別れなのだろうか。永遠の別れなんて、なんて残酷なんだろう。

一年前には、伯父の2度目の奥さんが83歳で亡くなった。最愛の人が冷たくなり、呼んでも揺すっても動かなくなる恐怖を伯父の姿を通して感じた。斎場で伯母と最後のお別れをしている伯父を、私は、直視することができず、それでも目をそらしたくなくて、斎場と車寄せを隔てる真っ白いカーテンの外から見つめていた。

それから半年余り、梅雨に入るか入らないかの、ベッタリとしたグレーの空を、私はマンションのレースのカーテン越しに見上げていた。どうしても、「死」にまつわることを考えてしまう。厚い方の真っ白いカーテンを閉めたら、余計に怖くてたまらない。目が閉じられない。
閉じたら、死んで焼かれる悪夢を見そうだった。

2晩、一睡もできなかった。吐き気がして水しか飲めなくなり、きっと身体が冷えているのだろうと思いながらも、お湯に温めることさえ思いつかなかった。

 

頻繁にLINEのやり取りをしている、中高の同級生ノンちゃんのメッセージにも、ろくに返事ができなかった。ノンちゃんから、「ミナちゃん、音沙汰ないけど、どうした?」とLINEがくるが、「心配ありがとう。大丈夫」としか打てなかった。

1人暮らしの私の異常を察知したノンちゃんは、「アンタが、『ありがとう、ありがとう』って返事してくる時は、具合が悪いって知ってんだよ、私は」と、静岡弁で書いてくる。

「ありがとう。感謝してるよ」と返す。そんなやり取りをしていたら、ノンちゃんは、「ミナ、あんたねー、具合悪いからって、静岡の実家に帰るんじゃないよ。あそこには、あんたが具合悪くなると、もっと具合悪くなる老夫婦が住んでるんだからね。静岡帰るんだったら、うちに来な」と言うのだ。

いくら、ノンちゃんが、中学受験の塾からの友達と行っても、こんなお風呂に2日も入っていない、眉毛もないボロボロのヨロヨロの状態で他人のうちに行けるはずもない。私は、「そのお気持ちだけで。ありがとう」と出したら、「ミナは、いいカッコしいだから、他人には、ボロボロの姿、見せられないんだよね。知ってるよー」とくる。

「私、気持ち悪くて吐きそう」と出したら、「うちで吐け。うちは消化器内科だから、ゲロには慣れている」ときた。ノンちゃんのご主人のだいちゃんは、消化器内科のお医者さんだ。自由が丘から駅一つ向こうの高級住宅街で開業医をしている。

「とにかく、ダメだと思ったら、SOSを出せ。子供連れて、車で迎えに行く」ときた。「よそのうちになんか行けるもんか、こんな状態で」と思っていたが、怖くて目を瞑ることもできず、日は暮れてくるし、吐き気は押し寄せてくるしで、ついにノンちゃんのLINEに「SOS」と打ってしまった。

すぐに返事が来た。「ヒナコ乗せて車で行くから、通りで待ってて」ときた。私は、ボロボロでヨレヨレのまま、フラフラと通りに出た。

すぐにシルバーのボルボがきた。後部座席に乗ると、運転席のノンちゃんが、「イマムラミナ、18時20分、現行犯逮捕しましたーっ!」と叫ぶ。「なんで逮捕?」と聞いたら、「勝手にウツッて、自由が丘を暗くした罪で」と言って、ノンちゃんは、助手席の次女ヒナコ(高2)とゲラゲラ笑っている。

ノンちゃんのうちに着くと、「うちは、ミナがゲロ吐こうと発狂しようと平気だから、そこのソファーで寝てな」と、バサッと毛布を渡された。2匹の犬が私の足にまとわりついてくる。

私は、涙がわーっと溢れ、涙で頬が熱くなった。涙が止まらなかった。長女の大学院生、ユウコも帰って来た。私を見るなり、「あっ、ミナちゃん、いらっしゃーい。あれっ、泣いてる。珍しい」と楽しそうに言う。

電気がとても明るかった。

末っ子長男の中3、シンノスケも帰って来た。「あっ、ミナちゃん、来てたのー。あれ、どうした? 泣いてるじゃん」と、私の顔をジーッと見ているので、恥ずかしかった。

ユウコが、「よし。記念にレア・ミナ(いつも明るいところしか見せなかったから)と写真撮ろうっと」と言い、体育座りで涙を流す私の横でVサインを出し、自撮りしている。私は泣いている銅像になった気分だった。

診察が終わって、ノンちゃんの夫のだいちゃん先生が、リビングに上がって来た。「ああ、ミナちゃん、こんにちは」と、言いながら私を見て、「どうかした? 別にいつもと変わらないじゃん」と言う。今日はお化粧もしてないし、眉毛もないし、パジャマだし、「この先生は、すっとぼけて、私のどこを見ているんだろう」と思った。

ノンちゃんは、「ミナ、一階のおじいちゃまの部屋だったとこに布団敷くよ」と言うので、「すみません。一階は怖いので、ノンちゃんの隣りに寝かせて下さい」と言ったら、本当に、ユウコとノンちゃんが、ノンちゃんの布団の横に私の布団を丁寧に敷いてくれた。

3日目も私は、お風呂に入らず、ノンちゃんの隣で横になった。ノンちゃんは、「アンタ、ロクでもないこと考えてたでしょー。ミナってさー、ほんとに、ああでこうで、ガミガミガミガミガミガミ……」と大きな声で、私の悪いところを並べているのを聞いていたら、私は3日ぶりにすーっと眠ってしまったのだ。私が1人暮らしのマンションの、真っ白地獄から救出された夜だった。(次回につづく)

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今村三菜『お嬢さんはつらいよ!』

のほほんと成長してきたお嬢さんを奈落の底に突き落とした「ブス」の一言。上京し、ブスを克服した後も、地震かと思うほどの勢いで貧乏揺すりをする上司、知らぬ間に胸毛を生やす弟、整形手術を勧める母などなど、妙な人々の勝手気ままな言動に翻弄される毎日。変で愛しい人たちに囲まれ、涙と笑いの仁義なきお嬢さんのタタカイは今日も続く!

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さすらいの自由が丘

激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。

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今村三菜 エッセイスト

1966年静岡市生まれ。エッセイスト。仏文学者・詩人でもある祖父・平野威馬雄を筆頭に、平野レミ、和田誠など芸術方面にたずさわる親戚多数。著書に『お嬢さんはつらいよ!』『結婚はつらいよ!』(ともに幻冬舎)がある。

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