名だたる文豪からその才能を認められながらも、病のため23歳という若さでこの世を去った一人の作家に、いま注目が集まっています。作家の名前は北條民雄。北條がハンセン病の闘病生活の中で執筆した「いのちの初夜」は、NHKの「100分de名著」で取り上げられ、大きな話題を呼びました。本書の魅力とは何か、なぜ今、注目されるのか。『いのちの初夜』復刊に関わった編集者が、その魅力を語ります。
川端康成が手放しで絶賛した才能
NHK Eテレの人気番組「100分de名著」の2月のテーマは「いのちの初夜」。本作は川端康成に才能を絶賛されつつも、23歳で夭折した作家・北條民雄が生み出した短編です。
療養施設である全生病院に入院した初日の出来事を、実体験に基づいてショッキングに描いた本作は、ノーベル賞作家、川端康成をして「この小説を読むと、まず大概の小説がなんとなくヘナチョコに思われる」と言わしめました。
「癩予防法」によって、患者の強制隔離が義務付けられていた当時、患者が書いた作品が世に出ることはほとんどなく、施設内の様子は闇に閉ざされていました。
北條が目にした光景
呼吸のため喉に穴を空けて「ああ、ああ、なんとかして死ねんものかいなあ!」と叫ぶ者、治療だと言って経文を唱えながら自らの足を金槌で叩き続ける者……。ハンセン病患者たちを活写した作品は、文壇のみならず社会全体にまで大きな衝撃を与えました。
北條は院内で目にした光景を、こう表現しています。
「あなたが、あなたのあらん限りの想像力を使つて醜悪なもの、不快なもの、恐るべきものを思ひ描かれても、一歩この中へ足を入れられるや、忽ち、如何に自分の想像力が貧しいものであるか、といふことを知られるであらう」(「柊の垣のうちから」)
文学に対する情熱
北條はハンセン病と診断されてから、幾度となく自殺未遂を繰り返しました。それでもついに死にきれなかったのは、文学に対する捨てきれない情熱があったからです。
「なんとしても書かねばならぬ。書くことだけが自分の生存の理由だ」
彼の日記には、力強い言葉が記されています。
常に頭のなかに「死」の文字があった北條の創作への情熱は凄まじいものでした。「自分もきっと目が見えなくなる」という強迫観念が、彼を駆り立てていました。院内の友人には常々「僕は文学と斬死する」と語っていたといいます。
初めて本作に触れる読者は、閃光弾のようなエネルギーに当てられ、思わず眩さを覚えます。編集者として『いのちの初夜』の復刊に関わった私も、学生時代に本作に触れ、そのエネルギーに立ち眩みしたひとりでした。
北條作品を読む難しさ
「いのちの初夜」は一般的に「病と差別と闘い続けた作家の作品」と解釈されがちです。しかし、この読み方は北條の最も嫌うものでした。ここに、北條作品特有の難しさがあります。
北條は自分の作品が、「癩(らい)文学」と見なされることに強い拒否感を抱いていました。彼は「頃日雑記」のなかでこう語っています。
「私は癩文学などいふものがあらうとは思はれぬが、しかし、よし癩文学といふものがあるものとしても、決してそのやうなものを書きたいとは思はない(中略)私はただ人間を書きたいと思つてゐるのだ。癩など、単に、人間を書く上に於ける一つの「場合」に過ぎぬ」
健常者の視点を持ち続けた北條
「いのちの初夜」を読んで月並みな感想を抱いていた者に、冷水をぶっかけるような一文です。つまり、ハンセン病患者を主人公とした私小説を、ハンセン病患者が書いたという視点から離れて読むことが求められているのです。北條の評伝である『火花 北条民雄の生涯』の作者で、ノンフィクション作家の髙山文彦氏に真意を尋ねました。
「もちろん、読者は作者の意図から離れて好きに読むべきです。しかし、重要なのは作中において、北條が常に健常者の視点を持ち続けていたという事実です。「いのちの初夜」を読むと、肉体的にも精神的にも、彼が健康体であり続けたことは明確です。病友の光岡良二は「彼はハンセン病の賭場口にも立っていなかった」と語っています。実際に北條の病状は非常に軽症で、重症患者を「化けもの」と表現することがありました。
反して日記や書簡のなかには、病を受け入れようとする葛藤が表出しています。もちろん、彼自身、のちに日記が公表されるとは思っていなかったでしょう。作品の中では、生身の感情は押し殺していたのでしょうね」
実際に、北條の死因は腸結核でした。
北条民雄に同情するな!
北條は、ともすれば「薄命の天才作家」と、その人間性までもが美しく語られます。こういった同情を含んだような神聖視も、彼の望むものではありませんでした。
日記のなかで、北條は独白しています。
「私は自分が癩者であることによつて、他人より受ける侮辱や嫌悪は何とも思はない。人に嫌はれるといふことはいやなことであるけれど、それは要するに自分に孤獨に堪へる力があればいいのだ。私をして死を思はしめるものは、人より受ける同情である。同情! これほどたまらないものが他にあるだらうか。同情されるとは何か。それは同情されねばならんほど自分が無価値で無意義な存在を証明するものだ。これが俺にはたまらんのだ」
「ハンセン病患者」というラベルから解き放つ時
この一文にたどり着いた時、私は頭を殴られたかのような衝撃を覚えました。「23歳で夭折したハンセン病患者の作家」というラベルに、私の感性はすっかり鈍化していたのです。勿論、北條だって人間であり、決して聖人ではありません。意図せず人を傷つけることもありました。
それどころか、院内の人々を見下し、徹底的にこき下ろすことも多かったといいます。女性患者を目の前に「女は女というより、雌(めす)という感じがする」と言ってのけたこともあれば、病友を「鰻の持つ強靭さも、鋭さも、精悍さもない。丸切り鯰の鈍感さだ。この男を見てゐると不愉快になると同時に、可哀想にもなつて来る」(日記)と独特の表現を使って批判したこともありました。院内には彼を恐れる患者も多かったといわれています。
肥大する自我と溢れんばかりの表現欲を抑えきれず、周りの人々を振り回し、暴言を放つことも少なくなかったのです。病に対する同情から、こういった人間性を無視し、神聖なものとして北條民雄を語るのは、むしろ彼の望むところではありませんでした。
コロナ禍において彼の作品が再注目を集めているいま、あらゆるラベルから彼を解き放つ時がきたのかもしれません。