かつては水産物の争奪戦で中国に敗れ問題になった「買い負け」。しかしいまや、半導体、LNG(液化天然ガス)、牛肉、人材といったあらゆる分野で日本の買い負けが顕著です。7月26日発売の幻冬舎新書『買い負ける日本』は、調達のスペシャリスト、坂口孝則さんが目撃した絶望的なモノ不足の現場と買い負けに至る構造的原因を分析します。本書より「はじめに」を抜粋してお届けします。
「買い負け」が象徴する日本企業没落に至る体質
悲鳴は、2021年の初頭から入ってきた。
絶望的なモノ不足について語ってくれたのは、私が仕事で関わりをもった機器装置メーカーの調達関連責任者だった。遅れて会議室に入ってきた氏は、社内中が大混乱していて、ついさきほどまで納期調整に奔走していたという。
「電子部品を注文しているが、納期が2年先とか3年先とか言われています。現在は在庫を切り崩して対応したり、該当の部材を使わない製品を生産したりしているものの、すぐに行き詰まるかもしれない」
当然だが、部材の一つでも手に入らないと完成しない。その他、何が足らないのだろうか。
「何が足らないかと言われると……。あえて言うなら、すべて」
先に上げた電子部品、材料、ハーネス、基板。そして労働者と、製品を運ぶ物流。それらすべてが不足する異常事態にあった。仕入先からの納期回答は日に日に後ろ倒しされていく。後ろ倒しされるくらいならまだマシで、大半が納入日未定になっていた。
「仕入先に連絡すると、まったく生産の目処がつかないと言われます。理由を聞くと、彼らも生産に必要な部材を調達できていない。2次、3次の仕入先から納入されない状況で、もはや追いかけられないんですよ。入ってくる予定だった部材も、どっかに取られたとか、運べなかったとかで。ウチの分は『あと回しにされている』と正直に言ってきた仕入先もいましたね。そこから、価格は通常の100倍だけど中国のどこかの商社が部材をもっているといった話が聞こえてきて、ためらっていると在庫がなくなっていて途方にくれました」
2019年末に発生した新型コロナウイルスは2020年に深刻な影響をもたらしていた。グローバルサプライチェーンは網の目のようにつながっている(サプライチェーン:供給連鎖。原材料・部品の購買から販売にいたる一連の流れ。上流から下流までの調達・加工・在庫・物流)。
どこかの国の機能不全は、世界中の企業に影響をもたらした。従業員が出社できない、生産できない、モノを運べない。供給面での問題があった。
そしてこのときは2021年。2020年初めに2万9000ドルほどを付けていたダウ・ジョーンズ工業株価平均は、コロナ禍で2万1000ドルほどに急落。消費低迷の懸念から企業業績を不安視する見方が広がった。
しかし、その後、株価は急回復を見せ、2021年初頭には3万1000ドルを突破、半ばには3万6000ドルまで伸びた。巣ごもり需要や、コロナ禍で各国が積極的な財政政策を講じたことにより、中ごろから、それまで落ち込んでいた消費を刺激したためだ。
コロナ禍による影響が払拭できないなか、消費は旺盛になったが、供給面の制約があり世界中で限られたパイを巡って取り合いになった──。一般的にはこう説明されている。私は当時、本業のコンサルティングは客先との対面が叶わずに、ウェブ会議システムを活用していた。2020年初頭には、そもそも景気の先行きを懸念しコンサルティングのプロジェクトの延期が続いた。
その後、景気の浮揚に伴いプロジェクトは急速に復活し、ほどなくすると「納期問題が大変でプロジェクトどころではない」とする声が相次いだ。
この数年間、同じ発言を聞かされた。ウチはマイナーな産業だから、ウチは中小だから、ウチは購入量が少ないから、ウチは仕入先との関係が弱いから……。まるで「ウチ」以外は買う力が強いといわんばかりだ。ピラミッド構造の上部にいる企業は購入量が多いので、他企業よりも優先してもらえるため、支障なく生産を継続できる、と誰もが思っていた。しかし、それは幻想だった。
2021年初頭には、自動車メーカーが相次いで工場を稼働停止させるニュースが飛び込んできた。理由は、部材不足。強固なシステムとして知られた、自動車産業のサプライチェーンシステム──系列とジャスト・イン・タイムで必要な時期に必要な数量だけを調達し必要な量を生産し販売する仕組み──の神話が崩壊した瞬間だった。
これまで「買い負け」とは、主に食料関連のニュースで使われてきた。他のアジア各国に魚類などを高値で競り落とされた報道に触れる機会が多い。しかし、その「買い負け」が食料だけではなく、さまざまな商品に広がり、さらに日本の多くの企業に影響を及ぼしていると、一体どれほどの人が気づいているだろう?
この数年、さまざまなメディアの方から、昨今のサプライチェーンの混乱について解説してほしいと依頼を受けた。ある編集者はこう言った。
「コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻を背景とする外因をしっかり分析しなければなりませんね」
しかし、外因だけが理由だろうか。もちろん、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻は重要な変化であったに違いない。しかし、それは外因であって、近年の買い負けは、日本の内因がついに表出したといえないだろうか。
その内因とは、まず日本経済全体の凋落だ。もしいくらでもお金を払えるなら買い負けは多少なりとも緩和するだろう。そして企業の内因としては、冒頭で紹介した機器装置メーカーの調達関連責任者のコメントが象徴している。すなわち、多層構造ゆえに全体が見えていないこと、要求品質が過剰で仕入先から敬遠されていること、さらに決断の遅さ。
これらはかつて日本企業が成長した特性ともいえた。しかし現在、それらは逆回転をはじめている。
人びとは、大きな変化には気づく。しかし、ゆっくりとした変化にはなかなか気づかず、実感をもちにくい。かつて栄華を誇った日本企業群がもはや他国から積極的に売ってもらえなくなっているとすれば?
見たくない現実を見続けないと、おそらく起死回生の一手を練ることも難しい。ならば、と思った。いま、見たくない現実を突きつける内容を書いてみようと。これは日本の「買い負け」を通じた日本企業論にほかならない。
本書で書いた「買い負け」商品のなかで、読者が読むタイミングによっては落ち着いているものもあるかもしれない。需要の減少によっては、「買い負け」どころか、難なく調達できるかもしれない。しかし、個別商品の現状がどうかなど、私は究極的には興味がない。
私が本書で描きたかったのは、「買い負け」事例を通じた日本企業の宿痾であり、世界経済のなかで30年ほど停滞し続けている日本企業の体質である。
繰り返す。個別商品の現状がどうかなど、私は究極的には興味がない。
現状を俯瞰しつつ、一つひとつの事象をすくい上げるとともに、その深層にもたどり着きたいと私は思う。買い負けの真因として日本企業の機能不全があり、それゆえに私たちにとって大きな危機が訪れていることを知るために。
※続きは、『買い負ける日本』をご覧ください。
買い負ける日本
2023年7月26日発売『買い負ける日本』について