かつては水産物の争奪戦で中国に敗れ問題になった「買い負け」。しかしいまや、半導体、LNG(液化天然ガス)、牛肉、人材といったあらゆる分野で日本の買い負けが顕著です。7月26日発売の幻冬舎新書『買い負ける日本』は、調達のスペシャリスト、坂口孝則さんが目撃した絶望的なモノ不足の現場と買い負けに至る構造的原因を分析します。本書を抜粋してお届けします。
半導体を売ってもらえず日本産業が停止
「半導体不足でトヨタの生産が止まるの?」
これまでなら考えられない状況だった。王者として君臨してきた自動車産業のつまずきといえた。2021年に入った直後から自動車メーカーの工場稼働停止や生産台数減が相次いで発表された。トヨタが止まった。ホンダが止まった。日産が止まった。
日本勢だけではなく、フォード、ゼネラル・モーターズ、フィアット、フォルクスワーゲン等も同様だった。
理由は、半導体を調達できなかったから。その後、半導体不足で月の生産量が4割減になる自動車メーカーが出るなど、これまでの常識でいえば“異常状態”が続いた。あの自動車メーカーがちっちゃな半導体を入手できないのか──。
半導体は大きく分けて、演算を行うロジック半導体と、データを記憶するメモリーと、その他がある。とくにロジック半導体が当時はどれも入手困難だった。
結果、高級車の納車まで2年、SUV(スポーツタイプの多目的車)でも1年半、軽自動車でも1年は当たり前、といった状態が続いた。二輪でも半年待ち、1年待ちになった。
そもそも自動車には数百個もの半導体が使われている。制御用のマイコンから、パワー半導体。もちろん基板には電子・電気部品が無数に必要だ。これが電気自動車になると、もっと多くの半導体が搭載される。影響は深刻だ。
では半導体不足はどれくらいの損失を与えたのか。たとえば2021年に自動車メーカーは、半導体がなく生産できなかったために2100億ドルの損失があったとする推計がある。アウトドアブームがあり高価格帯の自動車が売れるなど好調な側面が報じられることがあったが、自動車メーカーの生産は半導体不足に苦しんだ。
もともと新型コロナが生じた直後の2020年前半には自動車の生産が落ち込んだ。あれだけの感染症だ。景気が後退局面にあると考えるのも普通だっただろう。株価は落ち込み、生産が手控えられたため、半導体は不要になった。自動車メーカーとしてはコロナ禍が不安で、半導体の購入を控えようと注文をキャンセルした。正確には自動車のモジュールを生産する仕入先企業を通じて間接的に半導体をキャンセルした。
しかし、大半の予想とは逆に、コロナ禍のなかで思わぬ需要の急回復と、さらに供給減が起きた。
・巣ごもりによる、パソコン、スマートフォン、通信機器類の需要が増加
・これに伴ってデータセンター等向けの半導体需要が増加
・米中経済戦争により中国企業から台湾のファウンドリー(半導体製造企業)への委託量が急増し供給を圧迫
・新型コロナウイルス感染者の増加に伴い、各国の物流関係施設での遅延が発生
さらに日本で半導体を生産している旭化成マイクロシステムの延岡事業所は2020年に、ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリングの那珂工場は2021年に、それぞれ火災が発生。復旧までの数か月は供給が大混乱した事件もあった。
もちろん半導体不足は自動車産業だけではなかった。さきにあげたパソコン、スマホも需要急増で生産に支障が出たし、機械・設備、家電、オフィス機器、給湯器などのキッチン関連製品など、半導体を使用するすべての産業に工場の稼働率低下、停止といった影響を与えた。
またコロナ禍前半に半導体をキャンセルしたのは自動車メーカーだけではない。ただ半導体メーカーとしてみれば、顧客がキャンセルして、すぐさまやはり半導体をほしいといわれてもすんなりと供給できるはずがない。むしろ半導体メーカーの反感を買った。
半導体商社も急なキャンセルが相次いだ経験から、急に必要だといわれても在庫水準をあげて半導体を供給するのが難しかった。
現場で起きていた混乱
半導体が逼迫しようとしていたとき、「2か月以内に1年分の確定発注をお願いします」と各半導体メーカーは客先に依頼した。しかし日本の客の反応は遅かった。そもそもなぜ1年分の発注を確定しなければならないのか、数か月先の数量もわからないのに、1年なんて予想できない……。それらは日本の客からすれば素直な反応だった。
しかし、半導体の“取り合い”状態においては決定的に遅かった。
「2か月以内」といっても、各半導体メーカーのもとには世界中から続々とオーダーが入っていた。そのあいだに日本企業内では、半導体確保のために担当者が稟議書を書き、中間管理職、部長、役員……と無数の承認を得ていた。そしてそれぞれのプロセスでは誰も責任を取らないでいいように、細かな質問が相次いでいた。担当者がそれに対応するために、各半導体メーカーか半導体商社に質問を送って、その返答を待つあいだに時間は刻々と過ぎていった。
2か月ギリギリのうちに返答した日本企業もあったが、それでも、半導体アロケーション(配分比率)が決まったあとだった。つまり、トップダウンで半導体の確保に動いた外国企業が確保したあとだったのだ。
その後、納期が1年先、2年先になる通知が届き、現場は大騒ぎになった。
どのような状況だったのだろうか。
半導体製造装置関連メーカーの部長が教えてくれた。
「欧米の半導体メーカーはひどかった。納期が間近なものであっても、出荷直前になって『ロットアウト(検査基準をクリアできず不良になる現象)した』といってくる。しかし実際はそんなことはない。米国の企業に流れていたと聞きました」
正規ルートから入手できない以上は、さまざまな方法が講じられた。2021年から2022年に企業のサプライチェーン・調達に関わった人なら、ほとんどが同じ目にあっている。モノがどこで買えるかを探して奔走していた。
「大変な時期でした。中国の商人たちが通常の100倍の値段で買っていく。10円のロジック半導体なら1000円です。それをさらに150倍の1500円でブラックマーケットに流すんです」
ブラックマーケットとは素性のわからない有象無象の世界だ。
この時期には、ブラックマーケットや怪しげな卸売業者を通じて半導体を入手した日本企業が多かった。もちろんその多くは怪しげなものだった。そこで各社はサンプルを取り寄せ、X線試験をしたり、製造日とロットナンバーを正規メーカーに問い合わせて純正品か確認したりした。
「あまりに半導体が足りなくて、どんなブラックマーケットにも探しに行きました。よくわからない企業がもっている場合がある。切羽詰まっているので、見つけたら、とりあえず購入するんです。たとえば半導体A社のマレーシア工場で生産されたロットナンバーXXXの半導体が見つかったと。購入して日本に取り寄せて、そのA社にそのロットナンバーXXXは正規品なのかを聞いていました。すると、『そもそも私たちにはマレーシア工場なんかないですよ』って言われて苦笑しましたね」
それだけ混乱が続いていたのだ。
続けて、産業機器関連企業の役員が教えてくれた。
「3年間ほど混乱していたので、偽物を見抜く力がつきましたよ(笑)。半導体を梱包する段ボールに貼られたバーコードが黒マジックで塗りつぶされている流通品が純正品だといわれた。なぜならそれはメーカーから横流しされているから出元がわからないようにする。ただ偽物は、パッケージも偽造するから黒マジックのような変な工夫はしない」
そのような力を習得してしまうほど、苦労の連続だったわけだ。
とはいえ、日本には外資系半導体メーカーの日本拠点がある。日本拠点は役に立たないのか。多くの場合、日本拠点は本国のセールス・サポートの位置付けだ。本国の生産管理部門に口出しできる権限をもたない日本拠点が多い。少なくとも口出しをすると日本拠点長がレイオフされる現実がある。これまで、買い手である日本企業側に肩入れしてくれる“優秀な”日本拠点長ほどすぐ消えると多くの人から聞かされた。
あるサプライチェーンのマネージャーは呆れたように話す。
「外資系の日本支店や拠点がありますよね。彼らは米国本社から売上をコミットさせられている。でも、それだけなんです。米国本社が生産とか割り振りを決めていて『日本の顧客から納期を催促されているから急げ』と強く言えない。売上目標が高いから受注はどんどん獲得する。でも納入できない。これは『納める納める詐欺』ですよ」
これは日本拠点が本国に英語でタフな交渉ができない構造上の問題だ。あくまで米国本社からすれば東アジアの一国、一企業。そこを優先させたいインセンティブは存在しない。
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