謎とロマンにあふれている古代文明。あの建造物や不思議な絵などは、いつ、誰の手で、何のためにつくられたのか……? 世界中に残る謎に満ちた遺跡や神秘的なスポットについて解説。今回は「古代蜀文明」の謎をお送りします。
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長江の上流域にあった文明
前方に大きく突き出た目、高い鼻、巨大で垂れ下がった耳、耳の付け根まである大きな口。こんな形相の青銅仮面が発掘を進めるそばから次々に出土したのだから、現場に立ち会った誰もが度肝を抜かれたに違いない。
どれも幅130センチメートル以上、高さ60センチメートル以上と、特大なサイズだったから、なおさらである。
出土したのは仮面だけでなく、高さ260センチメートルにも及ぶ青銅立人像や高さ4メートル弱に及ぶ青銅神樹など、従来の古代中国遺跡から出土した文物とは明らかに性格を異にしていた。
これら不可思議な文物が発掘された場所は、四川省徳陽市広漢県の三星堆(さんせいたい)遺跡と同省成都市青羊区の金沙(きんさ)遺跡で、金沙遺跡の文物が殷王朝末期から春秋時代のものであるのに対し、三星堆遺跡の文物はそれよりもやや古く、3000年前から5000年前のものと推測されている。
この二つの遺跡が位置するのは、黄河の流域からはるか南、中国で最長の河川、長江の上流域にあたる。これまでの中国史は黄河流域の興亡を王道として説かれ、古代の長江流域は未開野蛮の地と扱われてきたが、三星堆遺跡と金沙遺跡の発見は、そのような黄河中心史観に修正を迫るインパクトを有していた。
秦に滅ぼされた「蜀王国」
春秋時代の四川省に蜀王国があったことは、司馬遷(前135?~前86?)の『史記』にも記されている。
ただし、「秦本紀」には「秦の恵文王の9年(前316)、秦の将軍・司馬錯(しばさく)が蜀を滅ぼした」としかなく、「張儀列伝」では蜀とそこの住民に関し、「西方辺鄙の国で、戎翟(じゅうてき、辺境の野蛮人)の仲間」と断じ、「西南夷列伝」は蜀のさらに南、現在の雲南省の説明ばかりなど、蜀の扱いはぞんざいかつ、露骨な蔑視に終始していた。
元の史料が同じものだったのか、前漢末の劉向(りゅうきょう)よりに編纂された『戦国策』の記述も「張儀列伝」のそれとほぼいっしょで、これまた残念にすぎる。
北宋の983年に編纂が完了した類書(百科事典)の『太平御覧』には、前漢末の揚雄(ようゆう、前53~後18)が著わした『蜀王本紀』からの引用として、もう少し具体的な話が載せられている。
秦の恵文王のとき、秦には純金を排泄(はいせつ)する牛がいるとの流言を蜀で広めさせ、秦から蜀にその牛をプレゼントしたいと申し入れた。
道が整備され次第贈ると伝えたころ、蜀王が喜んで応じ、南北を貫く道を整備したことから、秦軍はその道を使うことで、やすやすと蜀の征服を果たしたという内容で、疑うことを知らない蜀の王をあざ笑うかのごとき結末となっている。
古代蜀を巡る大いなる謎
蜀に関する記述が皆無なよりはましだが、それでも蜀を文明・文化の恩恵とは無縁な僻地(へきち)とする見方はやはり偏向と言わざるをえない。長江上流の蜀に、黄河の中流域に引けを取らない高度で独自の文明が栄えていたことは、三星堆遺跡と金沙遺跡から出土した文物が証明している。
司馬遷や劉向、楊雄は何故、古代蜀について詳しく記さなかったのか。考えられる可能性は二つある。一つは伝承が途絶え、参照すべき史料が入手できなかったから、もう一つは意図的に排除したから。
黄河の中流域を中華文明の絶対的な中心とし、蜀を僻地とする先入観が強ければ、それと矛盾する伝承や文物は無視するか、信ぴょう性のないものとして取り合わない。各時代の最高レベルの知識人であっても、犯しかねない過ちである。
古代の蜀について伝える文献史料も皆無ではなく、東晋の355年に編纂された『華陽国志(かようこくし)』という地誌には、短いながら以下のような記述があった。
「蜀は周王を奉っていたが、春秋の会盟には参加できなかった。彼らの制度や文字が中原とは異なっていたからである。周が衰退すると、蚕叢(さんそう)という蜀の侯が王を称した。彼は〈目縦〉だった」
この「目縦」が何を表わすかは長らく謎とされてきたが、三星堆遺跡と金沙遺跡から出土した仮面や人頭像はどれも目が特徴的で、それらが発見されるとともに、「目縦」との関連性に注目が集まった。
二つの遺跡ではいまだ発掘が継続中なので、今後の新たな発見や研究成果に期待したい。
独特の文明を担ったのは、現在で言うどの民族に近かったのか。その実態はもとより、殷・周王朝との関係性、水稲栽培発祥の地である長江中流域との交流など、古代蜀を巡る謎の解明はようやく最初のページが開かれたばかりである。
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