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本屋の時間

2023.12.15 公開 ポスト

第159回

たよりない日々辻山良雄

(撮影:齋藤陽道)

占いやジンクスを気にするほうではないが、ここ数年、年のはじめに決まって見ている占いがひとつだけあって、そこには二〇二三年のいて座の運勢として、次のように書かれていた。

「一番小さな声を聞くために、一番長い時間を取ることになります」

ふーん、一番小さな声ねぇ……。

よのなかにあるほとんどの占いは、最初見たときには、それほどピンとこないものだ。

そのときはそれきり見るのを止めてしまったが、今年は結局、くり返しこの言葉を思い出すことになった。

 

わたしが今年、一番長い時間その声を聞いていたのは、間違いなく猫のてんてんだった。彼はこの四月、基礎疾患から肝臓に炎症を起こし、またそのために投与した薬の副作用で糖尿病を併発した。いまは比較的よい状態を保っているが、夏の終わりには体の具合が急激に悪化、十日ほど入院することになった(のちに医者からは、あと一日遅かったら危なかったと言われた)。

この病気は投薬の時間がかなり厳密に決められているため、人間の行動も猫の時間を起点に決めなければならない。子どもがいないわたしたち夫婦は、これまで自分たち以外のいのちを優先して行動することがなく、行きたい場所には行くものだし、やりたいと思ったことはやるのがあたりまえだった。それがどうだろう、今年は長い旅行に行くこともなくなり、夜もイベントや会合の誘いを断り、最低でもわたしか妻のどちらかは、店が終わると一目散に家まで帰るようになった。

「ああ、そういうことだったのか……」

てんてんと過ごすようになってから、もう七年以上が経つ。自分の想像力のなさにはほとほと嫌になるが、このような状態になってはじめて、わたしは彼のいのちを深く受け取ることになったのだ。何も言わずずっとこちらを見つめているてんてんを見て、わたしは自分の手に託されたいのちがあるという事実に、毎日その日ごとに恐れおののいていた。

日に二回打っている注射の量を間違えたら、また注射や投薬自体を忘れてしまったとしたら、彼のいのちはすぐ危機にさらされてしまうだろう。ほかの何をしていても、てんてんがいまどういう状態にいるのか常に気にかかった。つまりわたしはどこにいても、ずっと彼の声を聞いていたのだ。

だが、わたしがそのように小さな存在を気にかけているあいだ、耳に入ってくるニュースといえば散々なものだった。ウクライナでの戦争は膠着し、中東では他民族同士の互いに対する積年の憎しみが噴出、多くの人命が失われ続けている。わたしはテレビで壊滅したガザの街を見て、そしてそのあと膝のうえで安らかに眠っているてんてんを見ながら、いのちというものの重さがわからなくなってしまった。

近くを見れば書店の閉店も相次ぎ、最近では隣駅の駅前にある書店が来年1月、店を閉めることにしたという。東京の阿佐ヶ谷で、競合店もない新刊書店が閉店するなんてにわかには信じがたいが、それが現実なのだろう。

そうした周りの状況もあってか、今年は店を開けていても、自分が何か微かな灯りをともしているような気にさせられた。街や来店する人の発する空気からは、時代が暗がりへと向かっていることが、否が応にでも感じられた。今年ほど「生きのびた」と実感した年はなかっただろう。

そうした息をつなぐような日々でも、今年は何度か全国各地にまで足を延ばし、わたしと同じように本を商っている人に話を訊くことができたのはよかった。遠くの誰かの存在が、いまここで生きている自分の支えになる。個人の店は、みなそれぞれ自分の責任で、いわば勝手に店を開けているだけなのだが、やはりどこかに誰かの存在を感じ、〈ともにやっていく〉ことも必要なのだ。わたしにとって本を商うことは、あくまでも行きがかりじょうで、深い使命感があってのことではなかったが、そうした彼らの姿を見ていると、わたしもここに灯りをともしておきたいと思うようになってくるから不思議なものだ。

 

一番小さな声を聞き続けることにはいいこともあって、毎日てんてんと長い時間を過ごしているいま、彼とは、彼が元気だったとき以上に通じ合っているような気がしている。てんてんのことを気にかけているようで、その実わたしは、彼によって生かされているのだ。そして本という存在も同じであり、どちらかといえば内向き、こちらが気にかけない限りは語りかけてもこないが、ずっとともにいるから通じ合える、より深くその魅力を伝えられるということもあるのだと思う。

今回のおすすめ本

さがるまーた vol.1』 講談社げんきMOOK

そもそも〈好き〉があり、そうした衝動があるから、本を作り続けることができるのだ。本とは、雑誌とは、すべからくそのようにありたい。バイブレーションに満ちた雑誌の創刊。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

○2024年11月15日(金)~ 2024年12月2日(月)Title2階ギャラリー

三好愛個展「ひとでなし」
『ひとでなし』(星野智幸著、文藝春秋刊)刊行記念

東京新聞ほかで連載された星野智幸さんの小説『ひとでなし』が、このたび、文藝春秋より単行本として刊行されました。鮮やかなカバーを飾るのは、新聞連載全416回の挿絵を担当された、三好愛さんの作品です。星野さんたってのご希望により、本書には、中面にも三好さんの挿絵がふんだんに収録されています。今回の展示では、単行本の装画、連載挿絵を多数展示のほか、描きおろしの作品も展示販売。また、本展のために三好さんが作成されたオリジナルグッズ(アクリルキーホルダー、ポストカード)も販売いたします。

※会期中、星野さんと三好さんのトークイベントも開催されます。
 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

◯【書評】

『アウシュヴィッツの小さな厩番』ヘンリー・オースター [著]/デクスター・フォード [著]/大沢 章子 [訳](新潮社)ーーアウシュヴィッツを含む3つの強制収容所を生き延びたユダヤ人が書き残した悪夢のような日常とは? [評]辻山良雄
(Book Ban)

『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)

◯【お知らせ】

我に返る /〈わたし〉になるための読書(3)
「MySCUE(マイスキュー)」

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第3回が更新されました。今回は〈時間〉や〈世界〉、そして〈自然〉を捉える感覚を新たにさせてくれる3冊を紹介。

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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