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宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか

2024.01.12 公開 ポスト

カトリックとプロテスタントの近親憎悪は戦争を苛烈にする佐藤優/本村凌二

宗教的確執を抱えるロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス戦争が勃発、国内では安倍元総理銃撃事件が起こるなど、人々の宗教への不信感は増す一方だ。なぜ宗教は争いを生むのか? 国際情勢に精通した神学者と古代ローマ史研究の大家が、宗教にまつわる謎を徹底討論——。

2024年1月31日に刊行予定の『宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか』(幻冬舎新書)は、日本人が知らない宗教の本質に迫る知的興奮の一冊です。その発売の前に、一部を先行してお届けします。

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佐藤  宗教を掲げた戦争には、二種類あるように思えます。宗教的な大義を掲げながら領土や利権を取りに行くパターンがある一方で、宗教的な価値観そのものが衝突する戦争もある。もちろん両者が混在することもあります。

中世の宗教戦争もそうでした。十字軍戦争にしても、「エルサレムを解放するんだ」という大義名分はありながら、コンスタンティノープルに行って、そこでラテン帝国をつくって略奪のかぎりを尽くすわけですから。

ヨルダンのアル・カラクにある中世の十字軍の城

本村  1204年の第四回十字軍ですね。ムスリムの支配するエルサレムを取り返すために招集されたのに、東ローマ帝国からコンスタンティノープルを奪い、東方正教会のローマ皇帝に代わってカトリックの皇帝を即位させました。

佐藤  だから東方正教会サイドから見ると、十字軍なんてとんでもなく悪いイメージですよ。まだイスラムのほうがマシ、というぐらいです。

ただし中世の場合、ほとんど「キリスト教=社会」と見なせるぐらい宗教と社会が一体化しているので、キリスト教そのものは匂いも何もない空気みたいなものだったでしょう。ですから、宗教戦争といっても、ごく当たり前の話なんですよね。

本村  そうだと思います。イスラム社会からすれば、やはり十字軍というのは理解不可能な出来事で、それまでエルサレムでは共存共栄でした。それが、いきなり正義をかざした軍隊がやってくることになって、あまりにも異常な事態になってしまった。

一方で、第五回十字軍に参加したシチリア島生まれのフリードリヒ二世という人は、あまり十字軍に乗り気ではなく、当初は参加しませんでした。しかし、最終的に参加せざるを得なくなったのですが、その際にイスラム王朝のスルタンと交渉して、エルサレムを10年にわたって明け渡してもらうという方法をとっています。お互いを尊重し合って平和的な解決ができた。彼はおそらくアラビア語が理解できたといいます。相互に理解し合って、戦わないで済んだという事例もあります。

佐藤  しかし近代になると、キリスト教がカトリックとプロテスタントに分かれて戦争をするようになったので、事情がかなり変わりました。「キリスト教」という価値観ではひとつになれず、お互いに殺し合いをするわけです。

しかも、どちらも簡単には勝てません。どちらか一方が「まだ戦える」と思っているかぎり、終わらないんですよ。双方が「もう無理だ」と思ったときにやっと寛容になって、和平が実現するんです。非寛容な精神による徹底的な殺し合いを経ないと、寛容になれない。「もうこんなことは繰り返したくない」というところまで戦うと、やっと寛容になるわけです。

ところが、これは予防接種みたいなものなんですね。ワクチンの抗体と同じで、時間が経つと切れてしまう。それでまた戦争を始めて、しばらくすると抗体ができる。そういうことの繰り返しなんだと思います。

本村  カトリックとプロテスタントの戦いには近親憎悪みたいなものがあるから、同じキリスト教だからこそ、かえって非寛容になるんでしょうね。先ほど触れた三十年戦争も、カトリックとプロテスタントの分裂が長びいたことで起きた戦いでした。この戦争の中で、プロテスタントのルター派やカルヴァン派などの勢力をカトリック側が認めたことでようやく終戦しました。こうして1648年に、最終的にウェストファリア条約が締結されたわけです。

佐藤  そうです。近いからこそ、戦争も苛烈になる。

本村  ルネサンス以降も、イタリアの内部で領邦国家同士が争ったりしましたが、それもキリスト教内部の戦争でした。ビスマルクがドイツを統一するまでの戦争もそうですよね。

イタリアについては、1848年革命がうまくいかず失敗に終わった後、領邦国家の対立を克服して、イタリア全体を統合しようという動きが盛んになりました。やがて、あの有名なガリバルディが登場し、イタリア統一戦争の中でオーストリアの勢力を排除しながら、サルディニア王国を中心として統一が成り立ちます。その以前から、やはり多くの領邦国家の対立が起こっていたわけですが、これらはキリスト教内部の戦いでした。

国益に直結しないがゆえに理解しにくい価値観戦争

佐藤  キリスト教が拡張していった時期は、近代的な帝国主義の時代と重なっています。戦争の目的は植民地や資源や交通路などを手に入れることですが、その大義名分として宗教が使われることが多かったんですね。

近代の戦争はほとんどがそういうものだったので、現代人の多くは「利権を追求するのが戦争だ」と思い込んでいます。そのステレオタイプにとらわれたまま今回のロシア・ウクライナ戦争を見ると、何のためにやっているのか理解できません。

本村  たしかに、ロシアにどんな国益があるのかわかりにくいですよね。私はやはりかつてのソ連時代の巨大な東側勢力という体制の幻影というか、威信が忘れられず、ロシアの指導者がそこに(こだわ)っているのではないかと、そんな思いがあります。

佐藤  近代の帝国主義時代以降、これほど国家の利益に直結しない戦争は珍しいんです。国益という観点からすると、どう考えても合理性がない。だって、ロシアがウクライナに貸し付けてる金なんて、返ってきませんよ。それなのに、核戦争による人類滅亡のリスクまで抱えている。まったく割に合わないんですよ。

これが中東でやっているなら、「石油を取りたいんだな」と思えるじゃないですか。あるいはカザフスタンで戦争を起こしたなら、「ウランが欲しい」ということになる。でも、ウクライナと戦争をして何を取りたいのかわからない。

ウクライナの人口は、1991年が5500万人で、戦争が始まった2022年2月の時点で多く見積もっても4200万人ですからね。30年のあいだに1300万人も減ってしまうような国に、それほど大きな魅力はありません。少なく見積もっても数百万人の国民がウクライナから逃げ出しているのです。それにヨーロッパでも二番目ぐらいに貧乏な国ですよ。

しかもウクライナ社会はマフィアが牛耳っているから、腐敗や汚職もひどいんです。そんな国をわざわざ併合して統一するなんて、ただ面倒くさいだけでしょう。利権なんかひとつもない。それでもこんなことになっているのは、これが価値観戦争であり、宗教戦争だからなんです。

本村  一般的には、20世紀に起きた二度の世界大戦を最後に、覇権主義の戦争なんてもう終わっただろうと思われていたわけですよね。せいぜい中東あたりでゴチャゴチャと揉めごとが起こるぐらいだと思っていた。

ところが今回は、まさに覇権主義を全面に出したような形で戦争が始まったわけです。20世紀の経験がまったく生きていないように見えるんですよ。戦争の経験は、二世代ぐらいまでは覚えているけれど、それ以降になると忘れられていくのかもしれません。日本は敗戦したからいまだにいろんなことを引きずっているけれど、そうじゃない地域にとっては、20世紀の戦争は遠い歴史の出来事になっているような気もしますね。だから、これが宗教戦争だとおっしゃるのはよくわかります。

ゾンビ化した西欧のキリスト教

佐藤  しかも、双方の価値観のベースにあるのがキリスト教なんですね。この戦争では、キリスト教の悪い面が出てしまっています。

だから、たぶんキリスト教徒たちには止めることができません。むしろ、儒教の伝統が根づいている中国、神道の日本、あるいはユダヤ教のイスラエルといった国のほうが仲介役を果たせる可能性がある。キリスト教の世界にいる人たちは、どっちかに足が入っちゃっているんです。

ただし、中南米のキリスト教国は例外です。中南米では、カトリックもプロテスタントも現地の伝統的なまじないや土着の宗教などと混じり合って、同じキリスト教とは思えないほど変容しています。土着化して「ブラジルの宗教」や「アルゼンチンの宗教」になっているから、この戦争と距離を置くことができる。自分たちと関係のある話だと思わないので、「ウクライナに(やり)を持って馳せ参じよう」とはなりません。北米は違うので、ウクライナ系住民の多いカナダなんかは、政治的な発言を見るとアメリカ以上にウクライナを積極的に支援していますが。

本村  同じキリスト教国でも、地域によって溶け込み具合は違いますよね。だから、単純に人口に占めるキリスト教徒の割合だけ比較しても、宗教的な実態はつかめない。

佐藤  西ヨーロッパのキリスト教なんか、すっかりゾンビ化していますからね。たとえばドイツのケルン大聖堂でも、日曜日の礼拝に来ているのは30人程度です。イースターとクリスマスにはもっと賑わいますけれどね。

本村  クリスマスは日本でも信仰と無関係に盛り上がりますから。本来宗教と密接に結びついているはずの行事が、宗教とは切り離されたところで土着化が進んでいる。

佐藤  でも、いまの日本で新たにキリスト教に入信する人なんてほとんどいませんよね。日本のキリスト教は、完全に「家の宗教」です。親がキリスト教だから自分もキリスト教という人が大半でしょう。

だから教義内容も勉強せず、まともに聖書も読んだことがありません。遊びたい盛りの子ども時代に、親に言われてイヤイヤ教会(日曜)学校に行った程度の記憶しかないでしょう。いまの西ヨーロッパも、実態はそんな感じなんですよ。

しかし先ほど申し上げたように、西ヨーロッパにおける近代民主主義は世俗化したキリスト教です。そこは日本と違うところでしょうね。そこで守られる「人権」は「神権」が世俗化したものですから。

一方のロシアは世俗化していないので、プーチンも剥き出しの宗教用語を使って西側諸国のことを「悪魔崇拝」と罵るわけですが、じつは西側がロシアを「権威主義」「独裁体制」などと呼ぶのも、ベースにキリスト教があるという点では同じことなんです。

だからわれわれとしては、今回の戦争を通じて、キリスト教がいかに危険かということをよく覚えておくべきでしょうね。その一方で、どちらの価値観とも異なるグローバルサウスの存在がある。多元的なグローバルサウスの価値を見直すことが、本当に重要だと思います。

 

(※次回は1/19公開予定)

関連書籍

佐藤優/本村凌二『宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか』

宗教対立が背景にあるイスラエル・ハマス戦争など、国内外の宗教問題の影響で人々の宗教への不信感は増す一方だ。なぜ宗教は争いを生むのか? 宗教に関する謎について二人の権威が徹底討論。

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宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか

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佐藤優

作家・元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務等を経て、国際情報局分析第一課主任分析官として活躍。2002年背任等の容疑で逮捕、起訴され、09年上告棄却で執行猶予確定。13年に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。著書に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞受賞)、『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『私のマルクス』『先生と私』などがある。

本村凌二

1947年、熊本県生まれ。1973年一橋大学社会学部卒業、1980年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、2014年4月から2018年3月まで早稲田大学国際教養学部特任教授。専門は古代ローマ史。『薄闇のローマ世界』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞、『馬の世界史』(講談社現代新書)でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。

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