2023年10月「日本歴史時代作家協会賞 作品賞」、11月には「本屋が選ぶ時代小説大賞」も受賞! 文芸誌「小説幻冬」にて続編「まいまいつぶろ 御庭番耳目抄」の連載もスタートした『まいまいつぶろ』が、「これまでの第九代将軍・徳川家重観を一変させた」と話題だ。
半身麻痺のために口が回らず、意思疎通のできない家重の“御口”になったのは、彼の言葉を唯一人理解することができたという大岡忠光。想像を超えた忠光の力とその人物を描くとき、村木嵐さんの助けとなったのは、4歳で視力を失い、感性の力でこの世界を見てきたエッセイストの三宮麻由子さんとその著書だったという。
二人の対話のなかに現れる視点から見ると、『まいまいつぶろ』という物語が、様々に姿を変えていく――。
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目が見えなくても“見えて”いる
―― お二人の出会いのきっかけとなったのは一冊の本、4歳で視力を失った三宮さんが、鳥の声によって広がった感性の世界を綴ったエッセイ『鳥が教えてくれた空』だったそうですね。
村木嵐さん(以下、村木) 私がその一冊と出会ったのは、作家になる以前、司馬遼太郎先生の奥様(福田みどり氏)の個人秘書を務めていた頃でした。最寄りの駅前には3軒の本屋さんがあって、棚に並ぶ本の背表紙を眺めるのが好きだったんです。ある日、そのなかに『鳥が教えてくれた空』を見つけ、何気なくページを開いたところ惹きつけられ、最後まで立ち読みしてしまいそうだったので購入しました。読後、感動のあまり呆然としていたら、“よかったら感想を”とアドレスが記してあったのですぐに送ったんです。
三宮麻由子さん(以下、三宮) 単行本が刊行されてすぐメールをくださっているから2000年の少し前のこと。もう20年ほど前のことになりますね。ブランクはありましたが、嵐さんとはあれからつかず離れずの距離で交流をさせていただいて。記憶に鮮やかなのは、嵐さんが『マルガリータ』で松本清張賞を受賞されて、お祝いのご連絡をしたときのこと。あれから嵐さんは急に忙しくなってしまわれましたね。
村木 あのあと奥様が亡くなられ、親の介護のために京都に帰り、と、いろんなことが押し寄せてきたんです。
―― 20年以上も親交を深めてこられたお二人が、実際に顔を合わせたのはつい最近のことだったとか。
三宮 初めてという気がしませんでしたね。中学生の頃からの友人と喋るように盛りあがって。嵐さんが帰る電車の時間がなかったら私たち、一日中喋っていたかも(笑)。
村木 二人で喫茶店に向かうとき、驚いたのが、「あのお店、まだ閉まってる!」って麻由子さんが突然おっしゃったこと。店の前に着くと、お店の人が掃除機をかけていて、まだ準備中だったんです。距離もだいぶ離れていたのに、どうしてわかったの? ってもうびっくり。
麻由子さんは著書やインタビューのなかで、シーン(風景)がレス(ない)=シーンレスという独自の言葉を使われていますよね。目が見えないということはシーンがないだけで、でも“見えている”という風に私は理解してるんですけど、やっぱりそうなんですよね? 喫茶店の前でも確信したのですが、何冊著書を読んでも、やっぱり麻由子さん見えているよね? と私は思っているんです。
三宮 イエス、ノーで答えるとすればイエス、見えていると思います。けれど当然、目の見えている人とは違う見え方です。“シーンレス”とは私の作った和製英語ですが、『鳥が教えてくれた空』に書いたように、視力を失ってからは、音を聴くことをはじめ、いろんな五感を磨いていきました。生きるために必要な実用のための訓練を経て、それを感性のレベルにまで引き上げてきたわけです。感性を使うことができるようになるとすごく楽しくなっていくんです。そのとき、シーンレスがシーンフルに変わったんですね。“フル”というのは、風景がいっぱい目の前にあるという意味ですが、音を聞き分けて空間を把握すると、目の見える人とは別の形のシーンが出てきて、シーンフルになる。
ただ、私のように幼少期の視覚を記憶している人が再現するシーンと、昨日まで見えていた人の中で再現されるシーン、あるいは生まれてから一度も“見る”という経験をしていない人がイメージするシーンはすべて異なるので、人の数だけその風景はあるはずです。私は4歳までの視覚記憶が脳の中で比較的機能してくれているらしく、目の見える人が使っている文字や楽譜が立体的な絵のように見えるんです。そういうイメージを失わずに勉強できたので、視覚的な感覚が働いてくれているのだろうと思っています。
最近ではiPhoneのような視覚的デバイスを使うことで刺激される経験や、書道の個展を開いた経験から、視覚で見えている方に近い景色がある程度ながら味わえているのではないかと思っています。
村木 圧倒されてしまって、正直、麻由子さんのお話に追いついていけていないのですが、いつかちゃんとわかるようになりたい。私にとって麻由子さんは魔法使いのような存在。“見える、見えない”の境界を軽々と越えていかれる魔法使いなんです。
忠光の力を恐れずに書けたのは『鳥が教えてくれた空』があったから
―― 村木さんにとって「歴史小説を書くことは自分がミステリーのなかに入り込んでいくこと」であると。『まいまいつぶろ』のミステリーの入り口はどこでしたか?
村木 資料を調べていくと、当時、老中職にあった松平乗邑が突然、失脚しているんですね。その半年ほど前には一万石もの加増を受けているにもかかわらず。どうして? と考えていくと、“その間に何かあったんだ”という思いが巡っていって。その後、田沼意次の主導により、郡上一揆が解決したのですが、それもいったい、彼はどういう風に解決したのだろう? と疑問が次々と湧いてきたんです。そういうことってあまり記録には残っていないので。でも執筆の端緒となったのはやはり第九代将軍、徳川家重は愚鈍だった、と書かれている資料を読んだこと。“いや、それはちょっと違うんじゃないか”という疑問が自分のなかから頭をもたげてきました。
―― 半身が麻痺しているため、口が回らず、不明瞭な言葉は誰にも通じない。尿意もコントロールできないため、歩いた後には尿を引きずったあとが残る―皆から蔑まれたと伝わる家重。『まいまいつぶろ』では唯一彼の言葉を解し、常に側に控えた大岡忠光と家重の数十年にわたる絆が描かれていきます。
村木 大岡忠光という人だけが家重の言葉を理解していたという記録は残っていますが、彼はどんな人だったのか? と資料を紐解いていくと、ひと言ずつくらいしか記録に残っていない。それも賄賂まみれの人だったというものと一点の曇りもない清廉な人だったと両極端なもので。これは一体、どういうこと? 家重の生きた時代は謎ばっかりだなとミステリーのなかへ分け入っていきました。
―― 家重の言葉を唯一聞きとることができ、一言一句、正確に“通訳”する忠光を造形する際、助けられたのが、『鳥が教えてくれた空』だったそうですね。
村木 忠光の持つ力は本当に信じられないような力なんですけど、実際にそういうことできる人なんている? それを書いたらおとぎ話になってしまうのではない? という思いを巡らせていたとき、“麻由子さんはそれをしているじゃないか!”と気付いたんです。自分には想像もできないけれど、その想像を超えたことを実際にしている人がいる。だから恐れずに忠光を書こうと思うことができたんです。麻由子さんがいるから大丈夫、ここに証拠がある! って、突っ走っていくことができました。
三宮 冒頭に忠光の少年時代が描かれていますが、小鳥の声を聞くのが大好きな少年である、という場面を読んだとき、あ! と思いました。そして彼は家重の言葉を他の人に伝える“通訳”でもある。執筆活動とともに、私は外資系通信社で経済を中心とするニュースの翻訳に携わっていますので、“小鳥と通訳”ってもしかして私のこと? とワクワクしながら読み進みました。
村木 麻由子さんが『鳥が教えてくれた空』で書かれているように鳥の言葉に耳を澄ます人、その声の意味することがわかる人は、“心でわかる人”のような気がするんです。毎朝、庭に来る鳥たちをじっと眺めているのですが、その囀りを聞きながら“何か話しているよな”って思うんですけど、私にはわからない。わかったらいいな、わかる人はいるんだろうな、羨ましいな、という気持ちが、小鳥が何を話しているのか聞き取ることのできる忠光の像を結んでいきました。
家重を“等身大”に捉えてみる
―― 麻痺を抱え、廃嫡さえ噂されていた家重を描いていくとき、大切にしたことは何でしたか。
村木 将軍、そして家重のような嫡子は特権階級の中でも特権をもつ人なので、等身大の人を描くということに一番心を砕きました。誰もが悩みは持っているのだから、将軍だって悩んだはず。でも彼は特権階級だよね? という読み方をされてしまうと、家重にとっても不幸だと思ったんです。一方、彼の体が思うようにならないことについては執筆中、ほとんど意識していませんでした。“家重が抱える障がいに、正面から取り組まれて”というご感想をいただいて初めて、「そうか、私は障がいについても書いていたのか」と気付いたほどでした。
三宮 家重に光を当てる以上、障がいに注目しないわけにはいかなかったと思いますが、私が“良かった”と感じたのは、本作が障がいを真正面から書いた小説ではないということ。テレビドラマなどでも家重のハンディキャップは、かなり生々しく、重々しく描写されていることがありますね。でも『まいまいつぶろ』は、そこに焦点を当ててはいなかった。嵐さんが最も注力したと語られる“等身大”。その目線は階級の面でも、ハンディキャップの面でも一貫していると思います。
村木 彼に寄り添う忠光も非現実的な人物にならないよう、最初から最後まで気を張り詰めながら書いていました。自分にとってのリアリティをちゃんと伝えなければと、頑張って書いていたんです。
三宮 いや、頑張らなくても、嵐さんは書けたであろうと私は思っています。入院中の奥様(司馬遼太郎夫人)と一緒に病院で寝泊まりしたり、ご自身のお父様の介護をされたり、常に弱い立場にある人に寄り添う姿勢を取っておられるから。20年前からそう感じていました。
私はある意味、社会的には弱者という立場であるので、ハンディキャップのない人よりは助けが必要です。そんな私のところに突然飛び込んできて、友だちになってくれた嵐さんは、弱い人に慈悲をかけるという目線ではなく、この人を助けながら一緒に歩もうと同じ方向を見る。相手に速度を合わせ、その人の能力が100パーセント発揮できる方向を懸命に考え、それを実践しようと心を尽くす。嵐さんがそういう風にしていらっしゃるからこそ、忠光のこの視点が生まれてきたのだと思うんです。
忠光が非現実的な人物にならなかったのは、“頑張った”からというより、嵐さんの本来の才能、清らかさがあるからではないかと。弱い人に上から優しくするのはある意味、自然にできることともいえます。でも助けが必要なその人が自分より能力のある人であったときこそ、助けの質が問われてきます。嵐さんは、相手の能力の一部として行動されていると思います。まさに忠光が家重に行ったことです。ご自身がそれを実践していないといくら頑張っても、こういう風に書けなかったと思います。
村木 もう、泣きそうです。奥様にしても、父にしても、看病しているとき、自分の方が上の立場だなんて思ったことはなかったんです。自分のなかでは当然過ぎて、気付くことのできなかった思いを麻由子さんが言葉にしてくださって今、すごくうれしい……。
“献身”は“才能”のひとつ
三宮 大学時代、大変一所懸命助けてくれていた友人が、別の友達に「自分が助けてあげている人のほうが成績がいいと、やっぱり悔しい」と話しているのを聞いてしまったんです。そういう心理があるのかと驚くとともに、助けられる側にも配慮が必要なのだと学びました。忠光は家重を自分より弱い人だと捉えず、対等な視点で献身をします。それは心の中にギフトがある人じゃないとできないこと。
村木 そう言っていただけてうれしいです。
三宮 まだ長福丸であった頃の家重が、“そなたが先であれば良かったな”と、自分を疎ましく思っている弟の小次郎丸に、やさしくつぶやく場面があります。ハンディキャップのないそなたが嫡子であればよかったのに、と。あれも嵐さんの心で家重を見ていないと書けないセリフでしょう。家重を馬鹿にする弟に、忠光はそんな家重の広い心を伝えたい、でも忠光は涙を溜めながら、家重の言葉を自分のなかに押し留めます。そうした場面は才能ある書き手なら書くことができると思いますが、そこに心が入るかとなるとまた別の話です。読み手の心を震わせ、読後も尾を引いていくそうした場面のひとつひとつがリアルに書かれているのは、やはり嵐さんの経験と心理に裏付けられているからだと思います。
村木 あぁ、うれしい。
三宮 もうひとつ注目したのは、“目と耳になってはならぬ”“そなたは御口代わりだけを務めねばならぬ”と、遠戚の大岡忠相から言い渡され、忠光は“通訳”に徹すると決意し、実践するところ。通訳や翻訳のように意訳するのではないから厳密には「伝達」なわけですが、架け橋になるという点が共通しています。
私はかれこれ30年翻訳の仕事に携わってきました。翻訳は前提としてまず原文の意図に忠実でなければいけません。一方で、原文を書いた人以上に原文の意味を理解していないと訳せない。それも、読者にすっと理解され、共感される論旨と表現でさらりと訳さなければならないのです。伝達においても、この点は同じでしょう。
作品を読むと忠光は家重以上に家重の心がわかっていたであろうと感じました。通訳や翻訳の経験をお持ちでないのに、よくここまで心情を分析されたと驚きました。やはり嵐さんが寄り添う力を持っているがゆえに、このように通訳者、翻訳者の気持ちを理解することができたのだなと感じました。
―― 忠光を造形する助けとなったのは三宮さんの存在であると村木さんから伺いましたが、三宮さんのお話を伺っているうち、忠光は村木さんご自身でもあるのだなと。忠光はお二人が一緒になって生まれてきた人物だと感じました。
史実の悪評は小説でひっくり返す
三宮 この小説を通し、何らかのメッセージを送りたいと思われましたか。
村木 それはなかったのですが、家重に関し、あまりにも酷いことばかり記録に残ってるので、それはちょっとないよな、小説でひっくり返したいな、という気持ちはありました。それは本作に限らず、どの作品の主人公に対しても思っていることなのですが、良い評価が残ってる人に対してわざわざ悪い評価に書き換える必要はないと思うけれど、逆に悪いことばかり言われてる人には“本当にそうだったのかな?”と思う癖みたいなものが私の中にあるんです。メッセージではありませんが、そうしたものが作中には現れてきたかもしれません。
三宮 私が『鳥が教えてくれた空』を書いたときも、何かのメッセージを伝えたかったというより、とにかく鳥が可愛かったから書かずにいられなかっただけだったので、その気持ちはわかります。言われっぱなしの人を救いたいという気持ちも。
なぜメッセージについて伺ったかというと、この小説にはもうひとつとても大事なメッセージがあると私は思っているんです。それは素晴らしい援助者が現れたとき、その人だけに頼ることの危険性です。一人だけに頼ってはいけないというのは私が実践で学んだことであり、座右の銘でもあるんです。なぜならどんなに素晴らしい理解者、援助者であっても、その人が欠けたとき、破滅が起きてしまう可能性があるから。忠光の旅立ちを予感して、家重はもう自分は将軍職を務めることはできないと引退しますね。もし忠光がほかの誰かに家重の言葉の聞き取り方を教えていたり、他にも通訳のできる人がいたりしたら、二人の絆はここまでにはならなかったとしても、家重はもう少し仕事を続けられたかもしれないとも思ったのです。本作の最後に描かれる家重の姿は、一人の援助者に頼る危険性を警告する厳しい指摘の形でもあったと思いました。
三宮さんが「ありがとう」と言いたくなった、“外側のバブル”の描き方
―― 三宮さんは、“社会的なシステム”を『まいまいつぶろ』のなかに感じられたそうですね。
三宮 この対談で一番言いたかったことです。私がこの小説の最大の価値だと思ったのは、家重と忠光の物語であることの前にお仕事小説として読めたことです。
たとえばヘレン・ケラーは偉い、サリバン先生も偉い、ホームズはすごい、ワトソンもすごい……たしかにそうですが、物語が中心にいる二人だけで成立したかと言えばそうではない。サリバン先生は偉かったし、ヘレンも頑張った、でもお父さんが惜しまずにお金を出してくれたからヘレンは高いレベルの教育を受けられたわけです。講演に招くなど、彼女を人材として求める人たちがいたから、サリバン先生が亡くなった後も、ひとりの職業人として生きていくことができた。
社会には、当人たちの外側に、もう一つバブルがあるんです。これがきちんと描けていないとお仕事小説にはならないのです。家重と忠光の二人には吉宗という強力な助け手、田沼意次をはじめ、それとなく二人を後押ししてくれる人が何人もいた。外のバブルできちんとバックアップする人、しかも社会的に発言権のある人が行動し、組織を動かしてあげないと、職業人としての道は実現しない。
本人が頑張れば、個人的な自己実現はかなりできるチャンスがあります。頑張る人の前に、サリバン先生的なサポーターが現れてくることは多々あるからです。けれどそれだけでは、個人的な実現はできても社会的な実現には至らないんですね。
―― その“社会的な実現”ということについてお聞かせください。
三宮 私が大学院を終えて通信社に就職したとき、周りも私もどうしていいかわからなかったんです。
まず新入社員によくあるように、新人教育担当者=メンターに任命された先輩が、新社会人である私の面倒を見てくださったわけです。と同時に、直属の上司から支局、さらには本社につながるライン全体が一つとなり、会社全体として私が働ける環境とシステムをしっかり作ってくれました。たとえばエレベーターの音声をどうするか、ウォーターサーバーの位置はどこがいいか、といった日常の細かいことから、パソコンの整備などを含め、翻訳の業務をどのように、どんな手段で行うかといった根幹の細部まで、あらゆる点で現場から経営陣まで全員が関わらないとそのシステムは実現できません。
執筆も同じで、私を起用してくださる編集者や講演主催者、メディアの方がいて、初めて私はエッセイストとして仕事ができるわけです。忠光一人だけいても家重はきっと将軍にはなれなかった。トップダウンで周りを動かすことのできる吉宗がいて、周りの理解者がいて、みんなでサポートして良い将軍として務めてもらおうと盛り立てて、家重が将軍として務められるシステムをきちんと作った。その結果、家重は稀有な能力を発揮してしっかりと将軍を務めました。そこが描けているかどうかがお仕事小説の勝負どころだと思うんです。
『まいまいつぶろ』は、外側のバブルから描かれています。中心から放射状に見ていくのではなく、外から中心にアプローチしていく。円の外側から外堀を埋めつつ、中心にアプローチしていくと、そこに家重という光がある、そして忠光という人がその光をさらに輝かせる。作品の最後にも、別のハンディキャップの人物に大名が務まるかと問う人に、周りが支援すれば能力は発揮できると答える場面があります。大変印象的な会話でした。本作のバブルの描き方は助けられながら努力し、開拓してきた自分の経験を踏まえると「ありがとう」と言いたくなるものでした。
―― 「ありがとう」に込められている思いとは?
三宮 東京パラリンピックはきっかけの一つになったと思いますが、日本の一般社会にもダイバーシティの感覚が浸透し、コロナ禍ではいろんな働き方が出てきました。たとえばハンディキャップという観点ではなく、それぞれの特色として受け入れていこうと。さらにはオンラインで働けるようになったから住んでいる場所で仕事を限定されることも少なくなっていった。そうした多様性が日本でも現実的に受け入れられるようになってきたタイミングで、この小説が出てきたわけです。時代に受け入れられるべくして生まれ、生まれるべくして書かれたのだといえるのではないでしょうか。
私はこの作品をお仕事小説として読みましたが、介護小説として読んでも輝いているし、友情や絆、師弟関係、主従、そういう観点から読んでも、あるいは時代背景を鋭くとらえた歴史小説としても、どの角度から読んでもクリスタルのように輝く力がある。でもやっぱり私はハンディキャップ当事者として仕事の道を切り開き、人の助けや自分の努力を常に見つめながら歩んできたので、この作品を書いてくださった嵐さんには、「お仕事小説として読めるものを書いてくださってありがとう!」とお伝えしたいです。
村木 お仕事小説と言っていただいたのは初めてのことです。自分でも意識していなかった。麻由子さんご自身が歩まれてきた道のりを、この物語に重ねて読んでくださって本当にうれしい。感無量です。
(2023年11月10日収録 「小説幻冬」1月号掲載)