宗教的確執を抱えるロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス戦争が勃発、国内では安倍元総理銃撃事件が起こるなど、人々の宗教への不信感は増す一方だ。なぜ宗教は争いを生むのか? 国際情勢に精通した神学者と古代ローマ史研究の大家が、宗教にまつわる謎を徹底討論——。
発売直後から話題の『宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか』(幻冬舎新書)は、日本人が知らない宗教の本質に迫る知的興奮の一冊です。その試し読みをお届けします。
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(前回を読む)
ロシアとウクライナの「クリスマス論争」
本村 キリスト教が与党化するプロセスの中では、僕はミラノ司教のアンブロシウスの存在も大きかったと思います。アウグスティヌスをキリスト教に導いた人ですね。
佐藤 アンブロシウスにはかなりエキセントリックなところがありますから。
本村 でも、見方によっては彼ほどローマ人らしい人間もいなかったんじゃないかと思うんですよ。テオドシウスは三八〇年にカトリック国教化勅令を発しましたが、伝統的な異教に対しても寛容なところがあって、重要な官職にも異教徒を登用しました。厳しい異教徒政策を進めるアンブロシウスとは対立関係にあったんですね。
そして、390年にテッサロニキで起きたゴート人守備隊長殺害に激怒したテオドシウスが、報復措置として7000人もの市民を虐殺したとき、アンブロシウスは皇帝が公式に悔悛の情を表すまで聖体拝受を許しませんでした。
聖体拝受というのは、パンとぶどう酒を口の中に入れることです。つまり体内に入れることを指すわけで、これを禁止されるということは、結局、罪を許される人間として認められていないということになります。天国に入ることが許されない。その結果、テオドシウスは八か月後に折れて懺悔したわけです。
ちなみにハインリヒ4世がローマ教皇グレゴリウス七世に屈服し赦免を得た「カノッサの屈辱」が1077年のこと。それより700年ぐらい前に、アンブロシウスは同じようなことをやっていたんですね。
この出来事を経て、テオドシウスはすべての異教礼拝を禁じました。自分の信条を強く貫くという意味では、アンブロシウスはローマ人らしいと感じます。
佐藤 しかし東方正教会のほうから見ると、アンブロシウスは知性のかけらもない大変な乱暴者という印象になるんですよね。そのアンブロシウスによって回心させられたアウグスティヌスなんかは、「あれは半分ぐらいマニ教徒(マニ教:ササン朝ペルシャのマニが三世紀に創唱。ゾロアスター教を母体とする)だろう」と言われてしまう。
本村 実際、アウグスティヌスはもともとマニ教徒でしたよね。
佐藤 東で尊敬されているのは、なんといってもイスラム化したダマスカスで一生懸命にキリスト教の仕事をしたダマスコのヨハネですからね。全然別の系統です。
本村 東と西の対立は根が深いですよね。まず西でカトリックができて、それにあまり賛成しなかった人たちが東に行った。もともと相容れないものがあると思います。
佐藤 その東西のズレが、いま起きているロシア・ウクライナ戦争にも表れているわけです。カトリックのウクライナ人は相対的に少ないけれど、価値観としてはカトリックの代表みたいになっちゃっていますからね。
本村 ロシア正教内の争いではないわけですか。
佐藤 違います。正教とユニエイト(東方典礼カトリック教会)の争いです。それが顕在化したのが、2022年末に起こったクリスマス論争でした。ウクライナは一二月二五日にクリスマスをやりましたが、これは正教徒の国がやることじゃありません。ユリウス暦を放棄してグレゴリオ暦を使ったのですから、これは大変な話です。
本村 なるほど、ロシア正教で使うユリウス暦の12月25日は、グレゴリオ暦の1月7日なんですね。
佐藤 そういう面を見ても、これが宗教ベースの価値観戦争であることがよくわかります。価値観戦争だからこそ、たとえば国際刑事裁判所(ICC)がプーチンの逮捕状を取っても、ロシアはまったく慌てることがありません。プーチンから見れば、「なるほど、悪魔崇拝者たちはやはり悪魔の法廷を用意してきたな」という話ですよ。
ロシア人の多くは、プーチンに批判的な人たちも含めて、あれを侮辱的だと思っていますからね。だからクレムリンとしては、「ICCよ、われわれが団結する材料をくれてありがとう」ぐらいの感じだと思います。
本村 まさに「近代」の理屈が通用しない「前近代」的な姿勢がもたらした戦争なのだと理解が深まりますね。
ロシア正教は日本の国家神道に近い
佐藤 ただし念のため言っておくと、東方のキリスト教は多神教には寛容です。だから、たとえばモンゴル系のブリヤート共和国でも仏教を潰そうとはしないし、アルタイ共和国のシャーマニズムを潰そうともしません。
ロシア正教は、ある意味で、戦前の日本における国家神道に近いんですよ。ロシア国民の慣習みたいなものだから、プロテスタントも仏教徒も無神論者も、正教の行事には参加されたらいかがですか、という感じ。復活祭の前にはパンケーキを焼いて、お肉はあまり食べないとかね。宗教は、そういう形で人々の慣習になったときがいちばん強いんです。
本村 そういえば、英語学者で上智大学名誉教授だった渡部昇一先生はカトリックのキリスト教徒でしたが、「伊勢神宮に行くのは何の抵抗もない」とおっしゃっていました。それも国家神道が日本人にとって「慣習」のようなものだったからですかね?
佐藤 カトリックは日本人の神社参拝を「慣習」だとバチカンが認めています。戦前に暁星中学校の生徒と上智大学の学生が靖国参拝を拒否したときに、日本のカトリック評議会がバチカンに「これは日本国民の習俗であって宗教活動ではないから問題ありませんよね?」とお伺いを立てたんですよ。それに対してバチカンは「問題ない」と回答しました。その判断が現在も生きているので、カトリックでは神社参拝の問題は生じないんです。
本村 プロテスタントは?
佐藤 教派によりますが、ふつうは嫌いますね。たとえば富岡幸一郎さんは靖国問題を真面目に考えた上で参拝しているプロテスタント教徒ですが、日本の神学界は彼の問題提起を無視しています。彼は『使徒的人間 ~カール・バルト』(講談社文芸文庫)という良い本も書いていて、私もそれの解説を担当しましたけどね。日本聖書協会共同訳も、富岡さんが全部チェックしています。
本村 古代ローマ史の専門家で、僕の先生でもあった弓削達先生は、プロテスタントのキリスト教徒でした。国立に自ら創立者みたいな立場で教会もつくった人です。これはご本人から聞いた話なんだけれど、彼は大学生の頃に終戦を迎えたんですね。昭和20年8月15日のことです。
ご両親もキリスト教徒だし、ご本人も幼い頃からキリスト教徒なので、天皇制に対する嫌悪感のようなものは、表立っては口にしないものの内心に持っていたそうです。ところが、玉音放送が始まった途端に直立不動の姿勢になったんですって。それぐらい「慣習」として根づいていたということかもしれません。当時の皇民化教育の恐ろしさも感じますが。
佐藤 陸軍中野学校でも、「天皇陛下」と言われて直立不動にならないように訓練するのがいちばん大変だったそうですよ。秘密戦に従事しているとき、天皇に対してそんな反応を示したら一発で日本人だとバレてしまうから(笑)。