
「クリエイターが陥る罠」への恐怖
──全四章立てで、それぞれの章が「インタビューに答えたもの」「覚書」「覚書」「独白(意識)」という構成です。この『spring』全体は、それら全部を書き言葉に変換したメタな存在でもあるのでしょうか。
恩田 うーん、それもまた、特に意識はしていなかったですね。とにかく、時系列順、一方通行の話の流れにはしないで、いろいろな方向から描写したい、という方針しか決めていなかったので。
──四者四様で語られていて、必ずしも時系列で書かれているわけではないですが、主人公の経歴書というか年表、カレンダーは作ってから書き出したのでしょうか。
恩田 私がそんなことするわけないじゃないですか(笑)。思いつくままに書いていってしまって、例によってあとから辻褄(つじつま)を合わせるのがたいへんでした。担当編集さんと校正者さんにはたいへんお世話になりました(汗)。
──それは恩田さんの通常運転なので、想像に難くないです(笑)。ピアノやバレエといった、芸術分野の「業界小説」として読んだ場合、『蜜蜂と遠雷』が編集者的な視点からだとすると、『spring』は作家的な意識で描かれていると思いました。「クリエイターが陥る罠」とか「見覚えがある」といったフレーズが出てきます。
恩田 『spring』は私の創作論的なものがけっこう反映されていると思います。特に七瀬の章は、私の意見がにじみ出ているかもしれません。とにかく私自身、何よりも「縮小再生産になっていくこと」に対する恐怖がものすごく強いです。この恐怖はこの先も消えることはないと思います。
──ひとたび売れっ子になったり、ある作品が注目されたりすると、編集者は「我が社も同じ主人公でお願いします」とか「うちにもなにか(似たような作品を)お願いします」と言って、「再生産」を小説家に求めがちです。作品を依頼する出版社側も肝に銘じなければなりませんね。
恩田 まあ、需要と供給の関係から、そういう依頼があるのも分かります。
ただ、私はこれまで「ああいうのを」と言われたことは一度もなかったので、ラッキーだったのかなとは思います。
──恩田さんの場合は「なにを書いても〈恩田陸〉というジャンル」と言われてますもんね(笑)。
誰もが持っている、芸術に触れたいという潜在意識
──『蜜蜂と遠雷』にかんして、今だから言えることです。編集している時、宣伝している時は興奮しているので自覚できませんでしたが、この作品って、取り上げたジャンルがマイナーだし、小説として長いし、登場人物も多いし、読むにも面倒な小説なのに、あれだけ広範な読者に支持され、今なお売れ続けているのは奇跡だし、そもそも不思議ですよね。
恩田 いや、本当にありがたいことです。あれだけの長編を多くの方に読んでいただけて、小説家冥利に尽きます。同時に、やはり誰もが潜在的に、音楽等の芸術作品に触れたいと思っているんだなと感じます。
──そうか! 読者の方々は「音楽や芸術に触れたい」という潜在意識で読んでくれたんですね。クラシックとか、ピアノ曲とか、そういう音楽に。気づきませんでした。そういえば読者ハガキの感想で「読んだ後すぐになにかを聴きたくなる」というのが圧倒的に多かったですもんね。
恩田 ええ、『spring』を読んで、舞台を観たいと言ってくださる方がいるのが嬉しいです。
──早くもそういう声が届いてるんですね。
バレエ初心者がまず見るべき映画3選
──そろそろ最後の質問です。これまでバレエを実演その他で観たことがないけれど、『spring』がきっかけで、これからバレエに触れたいという方に、映画なのかDVDなのか実演なのか特定の団体なのかは措いて、3つほど入門にふさわしいバレエを挙げていただくことは可能でしょうか。わたしも観て「目を育てる」第一歩にします。
恩田 毎年、クリスマスシーズンになるとよく上演される『くるみ割り人形』は、最初に観るにはいいバレエだと思います。チャイコフスキー作曲のキャッチーなメロディーが楽しいですし。日本のバレエ団は、今、レベルがとても上がっていて、特に、新国立劇場バレエ団、東京バレエ団、Kバレエ トウキョウはどれを観ても外れがないです。
いわゆるコンテンポラリーというジャンルでは、私が取材をした金森穣さん率いる新潟の「Noism(ノイズム)」のものが最先端なので観てほしいです。
あるいは、映画『ホワイトナイツ 白夜』『愛と哀しみのボレロ』などで伝説的なダンサーの踊りを観ることができるので、映画から入るという手もあります。現に、私がミュージカルからコンテンポラリーを観るようになったのは、名振付家ボブ・フォッシーが監督を務めた、自身をモデルにした映画『オール・ザット・ジャズ』がきっかけでした。
──いま挙げてくださった映画の3作品は有名作なので、わたしもたまたま観ています。『オール・ザット・ジャズ』は、大学ジャズ研時代に、てっきり「ジャズ音楽のすべて」みたいな映画だと思ってビデオで観たら、全然ジャズが出てこないのでがっかりしましたが(笑)、落胆にもかかわらず、踊りはすばらしいと感じました。誰が観ても感動する作品だと思います。
そうだ、こうなったら『蜜蜂と遠雷』におけるピアノ曲「春と修羅」のように、どなたか演出家やプロダクション、バレエ団体の方に、『spring』の中のオリジナル・バレエ作品を演出して実作化してほしいですね。観たいなぁ。わたしは、とりあえず「非居住地域」という強烈な意味のタイトルを持つ「アネクメネ」を観たいな。
恩田 私が観たいのは「KA・NON」と「クインテット」かなあ。あと、『三つのオレンジへの恋』はぜひ誰かに全幕で作ってもらいたいです。
──いいですね。想像、膨らみますね。今日はお時間をどうもありがとうございます。
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恩田陸氏インタビュー

ひとことで言って、出てくる登場人物が全員、本当に全員、魅力的な最新刊『spring』(筑摩書房)。この小説の主人公が、天才男性ダンサーにして振付家でもある萬春(よろず・はる)だ。彼を少年時代から描いたバレエ小説が大好評の恩田陸さん。「『蜜蜂と遠雷』を書かなければ『spring』は生まれなかった」とも語る著者に、執筆の経緯や両作品の関係性、作品そのものについて、そして創作論まで、『蜜蜂と遠雷』の担当編集者が訊(き)いた。
撮影/砂金有美
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