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パーティーが終わって、中年が始まる

2024.06.14 公開 ポスト

「ひとりが寂しい」ひらめきが起きなくなった40代独身男性の“創作”をめぐる変化pha

かつて「日本一有名なニート」と呼ばれ、定職につかず、家族を持たず、気ままに生きることを最上の価値としてきたphaさんが、年を重ねるなかで感じた自身の変化。最新刊『パーティーが終わって、中年が始まる』から、若さの魔法がとけた人生と向き合う日々を抜粋してお届けします。

ひらめきアディクション

暑くも寒くもない五月の夜遅く、好きな音楽をイヤフォンで聴きながら、家の近所を意味もなく歩き回る。昔はただそれだけで楽しかった。

信号機の光、コンビニの光、自動販売機の光。風に揺れる街路樹の影。人の少ない夜の街は、昼とは全く違って見える。

散歩が好きなのは、歩いていればいつも何かを思いつくからだ。

頭の中にぼんやりと浮かんでいるきれいな色のもやに、手足をはやして目鼻をつけて、現実世界のものにしていく。

バラバラの要素だったAとBとCが、○と△と□が、火花を散らしながら結びついて、見たことのない何かを形作りはじめる。

何かを思いつくたびに、脳にしびれるような快感が走る。すべてがキラキラと光って見える。その瞬間が、生きている中で一番好きだった。

それ以外の時間は、すべてどうでもいい、と思っていた。

だけど最近、そうしたひらめきがあまり起きなくなっているような気がする。

歩いていてもあまり何も思いつかない。そもそも散歩自体がそれほど楽しくない。

あんなに何度も聴いた好きな音楽も、心を動かさないようになった。こんなにも季節や体調のコンディションは最高なのに。おかしい。

昔は歩いているだけでなぜあんなに楽しかったのか、思い出せなくなってしまった。

そもそも自分が、お金や仕事や、社会的な地位や名声にあまり興味がなかったのも、頭の中で何かを思いついているときの快楽に比べれば、どれも大したことがないな、と思っていたからだ。

文章を書いたり、シェアハウスを作ったり、イベントを企画したり、友達に別の友達を紹介したりといった、世界に新しい結びつきを作ることにしか興味がなかった。

だから、自分の中ではお金よりも時間のほうが圧倒的に重要だった。何かを思いつくのに必要なのは、お金ではなく時間だ。お金がいくらあっても暇な時間がなければアイデアは降りてこない。自由に物を考えられる時間さえあれば、いくらでも頭の中だけで楽しむことができる。だから二十八歳のときに会社を辞めて、自由な時間を確保した。

そこから十五年あまりが経った。定職につかずに物事を自由に考える生活は、予想通りにとても楽しくて、思いつくままにいろんなことをやっているうちにあっという間に年月が過ぎた。

しかし、順調だったその生活も、四十代半ばにさしかかって少しかげりが出てきた。最近、今までと同じようにやっていてもなんだか楽しくなくなってきてしまった。

何かを自由に考えることに楽しみが見いだせないと、自分の生活の基盤が崩壊してしまう。

これは、年齢のせいでクリエイティビティが落ちてきたということなのだろうか。

周りのライターや作家など、文章を書く人を見ていて気づいたことがある。

それは、ほとんどの人は自分のように、ひたすらひらめきに頼るようなやり方で物を書いているわけではなさそうだ、ということだ。

今まで僕が文章を書くやり方はこんな感じだった。

頭の中にひらめきが降りてくるまでは、机に向かわずにだらだらしている。ゲームをしたり、散歩をしたり、風呂に入ったりしている。そのあいだ、ずっと書く内容をぼんやりと考えてはいるけれど、そんなに真剣には考えていない。

考える内容を頭に入れたままで他のことをしていれば、そのあいだに無意識の領域で問題が整理されて、解決に向かっているはずだ、と信じている。

そうしているうちに、ふと、何かが降りてくる。あれとこれを組み合わせて、こういう順番で並べていけば形になるのでは、というアイデアが浮かぶ。

その瞬間、頭がしびれるような快感がある。光る水が脳の隙間を流れていく。これだ、これを待っていたんだ。

そして、テンションを上げて集中しながら、一気に文章を書き上げる。書いているあいだじゅうずっと、脳が気持ちよくてしかたがない。至福の時間だ。これを味わうために自分は文章を書いているのだ。

この楽しさに比べたら、世界にある他のすべてのこと、人間関係とか社会とかなんだかんだは、全部どうでもいい。

この快感執筆ゾーンにできればずっととどまっていたいのだけど、一時間半くらいで限界がきて、書けなくなってくる。ちょっと疲れたな、と思って時計を見ると、測ったようにちょうど一時間半が経っている。

脳内のドーパミンか何かを使い尽くしてしまうのだろう、一旦この状態から抜けると、かなりぐったりとした状態になる。再び執筆可能になるまでは、数時間の間隔を空けないといけない。

書き終わったあとはいつも、しばらく反動で何もできない。頭の中は重くてだるくて、世界が終わってしまいそうな憂鬱な気分だ。部屋の電気をつけずに布団に潜って、うつろな表情でひたすら横になっていることしかできない。そうやって、再びエネルギーが充塡されるのを待つしかない。

一回書くごとに虚脱状態になるので、一日に執筆状態に入れるのは最高で二回くらいだ。一時間半書いて、数時間休んで、また一時間半書く。

気力がなくてサイクルを一回しか回せない日も多い。そうすると、一日の中の執筆時間は一時間半だけしかないということになる。短い。世の中の人はみんな一日八時間とかそれ以上働いているのに。

でも、そんなものだと思っていた。物を書くというのはそういう作業なのだ。文章を書く人や何か創作をする人は、みんな多かれ少なかれ、自分みたいな仕事のやり方をしているはずだ。

だけど、実際にいろんな人に話を聞いてみると、そんなことはなかった。普通に仕事をするように、毎日何時間も机に向かって書いている人がほとんどだった。

僕みたいに、普段はひたすらだらだらしているけど、獲物の気配がしたらウオーッと槍やりを持って出かけていって、マンモスを狩り終わったらまたひたすら寝ている、みたいな、原始人みたいなやり方で書いている人はいなかった。

そのことを知ると、「文章にはひらめきが必要だから、安定して文章を書くなんて無理。ひらめかないときは仕事をしたくない。だから締め切りはないほうがいい」とか言っていた自分が、少し恥ずかしくなってきた。

自分は変に芸術家ぶっていただけなのかもしれない。ただ快感のためだけに書いていた自分は、すごく子どもっぽいような気がしてきた。

そもそも、そんな原始人みたいな仕事のやり方で生活が成り立つのか? という疑問が出るかもしれない。それがなぜか成り立ってきたのだ。自分でも不思議なのだけど……。

しかし、そんな気ままな状態はずっとは続かなそうだ。

年をとるにつれて、少しずつ執筆のオファーも減ってきている。アイデアを思いつく頻度も減った。

そして、何より、脳に電流が流れたようなトランス状態で執筆して、そのあと虚脱状態でどん底に落ちる、という、激しいアップダウンを繰り返しながら書き続けるのに、少し疲れてきてしまった。年をとって体力がなくなったせいなのかもしれない。

書くことが嫌いになったわけではない。書くことと読むことは自分の根幹を成しているし、それはこれからもずっと変わらないだろう。

そもそも、今さら自分にできる仕事も、書くことくらいしかなさそうだ。四十代半ばまで、他のスキルを積み重ねずにやってきてしまった。

ただ、今までの書き方は疲れた。今までは、執筆時に出てくる脳内快楽物質の、ただのジャンキーだった。びりびりとしたしびれのなかで舌を出していたい、というだけだった。若い頃はそれだけでもやってこられたけど、この先ずっとは厳しそうだ。

もっと、普通に仕事をする人と同じように、何時間も平熱で淡々と仕事を進められるようになりたい。毎回ジェットコースターに乗るような感じではなく、もくもくと壁にペンキを塗り続けるような感じで、着実に文章を書けるようになりたい。

去年の春頃、ひらめきをひたすら追い求めるやり方に疑問を持ち始めたあたりから、生活スタイルが変わってきた。

具体的には、ひとりで何かをするのが楽しくなくなってしまった。

今までは、ひとりで本を読んだり、散歩をしたり、旅行をしたりするのが好きだった。誰かといるよりもひとりでいるほうが、いろんなことを思いつくから楽しい、と思っていた。

それが、創作へのモチベーションが減ったとたん、楽しくなくなってしまった。

僕がひとりを楽しんでいたのは、それが創作の役に立つ、というのが前提になっていたみたいだ。読書も散歩も旅行も、それをしているといいアイデアを思いつくからやっているところが大きかった。

自分は、創作とは関係ない純粋な楽しみを持っていなかった、ということに気づいてしまった。

そうすると急に時間が余るようになった。ひとりで本を読んだりゲームをしたりしても楽しくない。この空き時間を何をやって埋めていたのか、全く思い出せない。しかたないので普段やらない家事(ガスコンロをきれいに磨いたり)をしたりしている。

昔は「ひとりでいるのが一番楽しい」と平気でうそぶいていたのに、ひとりでいる時間がやたらと寂しくてしかたなくなってしまった。

こんな状態なら、会社勤めが普通にできそうだ。ひとりでひたすら虚無の時間を過ごすくらいだったら、会社にでも行っていたほうがいい。そうか、みんなこんな感じで会社勤めをしていたのか。

クリエイティビティと孤独というのは表裏一体なのかもしれない。

頭の中に、作り出したいものがたくさんあるときは、ひとりでいても何も問題がなかった。むしろ他の人間の存在はノイズだった。ひとりのほうがいいものを作れる。もっと、ひとりになりたい、と思って、近くにいるいろんな人を遠ざけてきたのが自分の人生だった。

創作を楽しめているときはそれでもよかった。しかしクリエイティビティが去ってしまうと、残ったのは単なる孤独だった。

ひらめきがあまり起きなくなり、ひとりでいる時間が楽しくなくなって、世の中の人がなぜパートナーや家族を作るかが少しわかった気がした。

自分がずっとハマっていた、何かを思いついたときに脳に起こる麻薬的な快楽、それをそもそもみんな重視してないから、みんな家族を作ったり、会社に属したり、社会のために何かをやったりしていたのだ。

天才的な芸術家のように汲めども汲めども尽きない発想の泉を自分の中に持っていれば、孤独なんて感じる暇はなく、生活のことなんて放りっぱなしで、頭の中の宝石を現実化する作業をしているだけで一生が過ぎ去っていくのだろう。そういった存在に憧れていたけれど、自分の中の発想の泉は四十歳で息切れする程度の湧出量しかなかったようだ。

それはそれで幸せなことだったのかもしれない。

電撃ではなく、もっと地道なものを追い求めてみようか。熱に浮かされたようなうわずった表情で作り上げたものは一瞬人を幻惑するけれど、すぐに霞のように消えてしまう。

もっと粘り強くありたい。瞬発力では絶対に若者には勝てない。決して鋭くはないけれど、この人ならではの、言葉では説明しにくい曖昧な良さがある、そういうところを目指したい。そういう存在を目指したい。

謎のじじい、みたいな。

関連書籍

pha『パーティーが終わって、中年が始まる』

定職に就かず、家族を持たず、 不完全なまま逃げ切りたい―― 元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!? 赤裸々に綴る衰退のスケッチ 「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。 何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。 この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。 喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より 若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

pha『どこでもいいからどこかへ行きたい』

家にいるのが嫌になったら、突発的に旅に出 る。カプセルホテル、サウナ、ネットカフ ェ、泊まる場所はどこでもいい。時間のかか る高速バスと鈍行列車が好きだ。名物は食べ ない。景色も見ない。でも、場所が変われば、 考え方が変わる。気持ちが変わる。大事なの は、日常から距離をとること。生き方をラク にする、ふらふらと移動することのススメ。

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パーティーが終わって、中年が始まる

元「日本一有名なニート」phaさんによるエッセイ『パーティーが終わって、中年が始まる』について

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pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職につかず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。Xアカウント:@pha

 

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